ほぼ日の糸井と早野と河野が、
東京大学の特別講義に講師としてよばれました。
講義のタイトルは
「学ぶこと、盗むこと、仕入れること。」
名づけたのは糸井です。
若い学生たちの希望にあふれる視線を受けて、
3人は、人生の先輩として、
「知恵や知識、行動のいろんなやり方を
どうやって覚えてきたのか」
を話すことになりました。
20歳のほぼ日とほぼ同い年の大学生からすると、
私たちのことをくわしく知らない人も
多かったことでしょう。
それでも積極的に質問を投げかけてくれました。
今回はほぼ日をあまり知らないという方々に向けて、
〈参考〉もつけましたのであわせてどうぞ。
みじかめの文章で全10回、
どこからでもよんでいただます。
- 聴講生(女性)
-
教育学研究科の者です、
本日はありがとうございました。
早野先生が、
「震災をきっかけに研究者としての
考えや生き方が変わった」
とおっしゃっていましたが、
どう変わったのか
具体的に教えていただけますか?
- 早野
-
震災前からツイッターをやっていて、
2011年の3月12日くらいから、
福島県の原発や放射能の状況について
ツイートし始めたんです。
そうしたら、フォロワー数が
一気に15万人に増えました。
当時のSNSのフォロワー数をランキング化すると、
NHK_PRさん(#1)がすごかったんですね。
他にも朝日新聞やキャスターの堀潤さんなど、
そうそうたるメンバーの中で
僕もいきなり7位くらいまで
あがってしまったんです。
しかも東京大学の教授であることや実名まで
明らかにしていたので逃げ場もない。
- 糸井
-
僕らも早野さんのツイートは、
信頼すべき指針として思っていましたから。
- 早野
-
ありがとうございます。
最初は僕も情報を集めてツイートすることだけ
一生懸命やっていたのですが、
次第にこれだけ研究費を使ってきた身として、
ここで行動すべきだと意識が変わりました。
研究して、論文を書いて、学会で発表するのでなく
「なにかやらなければ」と常日頃思っていたことを、
ここでやるべきだと。
それで徐々に手足を動かすようになり、
福島での活動がはじまるんですね。
今日お見せできなかったスライドのひとつに、
「お金」と書いていました。
「お金」はとても大事な話でして、
学んだり、盗んだり、仕入れたりするために、
あるいは生活全般をしていくためにはお金が必要です。
震災当時、僕には研究資金がたっぷりありました。
でも、ジュネーブで研究するための資金なので、
福島に使ったらつかまってしまいます。
だから福島のために使えるお金が全然なくて、
最初は動き出せなかった。
お金がないとできないことがたくさんあると、
あらためて実感したんですね。
でも、ここで僕にとって画期的なことが起こります。
『知ろうとすること。』にも書きましたが、
自分のポケットマネーで
福島の子どもたちの給食の安全性を測定する事業を、
南相馬の小学校ではじめたんです。
そうしたら15万人のフォロワーたちから
「私も協力したい」と現金書留の封筒が
届くようになりまして。
- 聴講生(女性)
-
早野先生のところに直接ですか?
- 早野
-
そうです。
でも現金はさすがに受け取れないので、
東大にある東大基金という
寄付を集約してくれる機関にお願いして、
僕宛の寄付をまとめてもらいました。
寄付は1口1000円から。
1口たった1000円なのに、僕が退官するまで、
約2,200万円の寄付が集まったんです。
これは本当にすごいことです。
しかも、いまだに寄付が入ってきます。
多くの方がサポートくださって、
福島に使えるお金が用意できたことは、
動き出すための大きな一歩になりました。
やるべきことを洗い出して、
僕自身の時間やリソースを
すべて福島につぎ込もうと決心できたんですね。
そうして、あたらしい研究者の道がひらけました。
それをきっかけに、
糸井さんにも出会ったわけですしね。
- 原島
-
震災当時のことで言うと、
私は糸井さんのツイートが印象的でして。
メモしてきたので、読ませていただきますね。
「僕は自分が参考にする意見としては、
よりスキャンダラスでないほうを選びます。
より脅かしていないほうを選びます。
より正義を語らないほうを選びます。
より失礼でないほうを選びます。
そしてよりユーモアのあるほうを選びます」と。
- 糸井
-
まさにこの言葉は、早野さんのことなんです。
早野さんの考えや行動に照らし合わせれば
簡単に理解できることで。
ただ僕も慎重な人間なので、
早野さんにすぐに声をかけたわけではありません。
群れることで誤解されたり、
むしろ動きづらくなったりする可能性も高いと
思っていますから、
距離を測りながらすこしずつ
早野さんに近づいていきました。
- 早野
-
2013年の春ごろですね。
震災直後よりは世の中が
すこし落ち着いてきたかなというところで、
「そろそろいいですかね」と声をかけてくれたんです。
- 糸井
-
そういえば河野さんとは、
震災の翌日にお会いしているんですよ。
- 河野
-
そうでしたね。
- 早野
-
そうなんですか、
知らなかったです。
- 河野
-
梅棹忠夫さん(#2)という、
ほぼ日のバイブルとされている2冊のうちの
1冊を書かれた方で、
没後1年の企画展が
大阪の国立民族学博物館で開催されるので、
その取材の打ち合わせをしたんですよね。
地震の直後でしたので、
伺うかどうか悩んだんですが、
こういうときこそ普段どおりに訪ねていくほうが
いいだろうと思いました。
糸井さんは寝てなかったんでしょう、
充血した目でしたが、
普段どおり話しました。
あの後、私が訪ねたことで、
すこし糸井さんの緊張感がほぐれたというようなことを
スタッフの方がおっしゃってくださって、
それならよかったと思いました。
たしかそのころ、糸井さんがツイッターで
「考えることはできるんだよ」とつぶやかれたんです。
私は『考える人』という雑誌の編集長でしたし、
「考える」ってなんだろうと
あらためて問いかけられました。
考えるの語源は「かむかふ」だといわれています。
この「むかふ」が大事で。
考えるとは対象と向き合って、
深く交流することなんだと教えられました。
震災当時の糸井さんは、
いま目の前で起きていることと必死に向き合って、
真剣に交わろうとしていたと思います。
(つづきます。)
-
- #1 NHK_PR
- NHK広報の公式アカウントである
NHK_PR1号さん。
ほぼ日にも二度ほど出ていただきました。
震災後に災害対策を話し合った
「その話し合いをしておこう」
そして、よりご自身のことをうかがった
「NHK_PRさんがユルくなかった4日間の話。」です。
-
- #2 梅棹忠夫さん
- ほぼ日の父とよばれ、愛読される本が
梅棹忠夫さんの書かれた『情報の文明学』です。
1988年に刊行された、
情報が社会をかたちづくる時代の到来が
予言的に書かれた本。
ほぼ日の母とよばれる本が
山岸俊男先生の『信頼の構造』です。