第1回:ほぼ日をはじめたきっかけ。
第1回
ほぼ日をはじめたきっかけ。
- 糸井
- はじめまして。
ひょっとしたら、毛先生のほうが
ぼくらのことを
よく知ってるかもしれないです(笑)。
- 糸井
- はじめまして。
ひょっとしたら、毛先生のほうがぼくらのことをよく知ってるかもしれないです(笑)。
- 毛丹青
- いやいや(笑)。
今日はお忙しいところ、
ありがとうございます。
私は神戸で教職に就いているんですが、
これまで5年間、『知日』という
中国語で日本を紹介する雑誌を作っていました。
そして昨年『知日』を離れて、
より深く日本文化や伝統を伝える雑誌
『在日本』を創刊しまして、
今日はそのインタビューも兼ねて来ました。
- 毛丹青
- いやいや(笑)。
今日はお忙しいところ、ありがとうございます。
私は神戸で教職に就いているんですが、これまで5年間、『知日』という中国語で日本を紹介する雑誌を作っていました。
そして昨年『知日』を離れて、より深く日本文化や伝統を伝える雑誌『在日本』を創刊しまして、今日はそのインタビューも兼ねて来ました。
- 糸井
- ぼくだけでなく、毛先生のお話も
いろいろ聞かせてくださいね。
ぼくは以前、『知日』の取材を
受けたことがあるような気がします。
- 糸井
- ぼくだけでなく、毛先生のお話もいろいろ聞かせてくださいね。
ぼくは以前、『知日』の取材を受けたことがあるような気がします。
- 毛丹青
- はい。2014年に手帳の特集を組んだ際に
取材をお願いさせていただきました。
そのとき担当編集者だった子は、
いま『在日本』の編集を手伝ってくれています。
- 毛丹青
- はい。2014年に手帳の特集を組んだ際に取材をお願いさせていただきました。
そのとき担当編集者だった子は、いま『在日本』の編集を手伝ってくれています。
- 糸井
- ああ、これですね。
- 毛丹青
- はい。その節はありがとうございました。
いま作っている『在日本』という雑誌では、
創刊号から第3号まで、
「手作り」というテーマで特集を組んでいて、
北陸や京都などをまわって取材をしています。
今日は糸井さんにいろいろなお話を
うかがいたくて東京に来ました。
なぜかというと、
糸井さんのお仕事は
「手作り」と深い関係があると思うからです。
- 毛丹青
- はい。その節はありがとうございました。
いま作っている『在日本』という雑誌では、創刊号から第3号まで、「手作り」というテーマで特集を組んでいて、北陸や京都などをまわって取材をしています。
今日は糸井さんにいろいろなお話をうかがいたくて東京に来ました。
なぜかというと、糸井さんのお仕事は「手作り」と深い関係があると思うからです。
- 糸井
- その視点はおもしろいですね。
- 毛丹青
- 20年近く前に、
「ほぼ日」が創刊したころって、
ネット環境が、
ダイヤルアップというものでしたよね。
じーっと待っていると変な音がして‥‥。
- 毛丹青
- 20年近く前に、「ほぼ日」が創刊したころって、ネット環境が、ダイヤルアップというものでしたよね。
じーっと待っていると変な音がして‥‥。
- 糸井
- プルルルル、プルルルルって。
- 毛丹青
- そうそう、そんな音でした(笑)。
これは私の想像ですが、
そのころ、糸井さんは「ほぼ日」が、
これだけの規模の会社になるなんて、
予想されていなかったのではないかと。
- 毛丹青
- そうそう、そんな音でした(笑)。
これは私の想像ですが、そのころ、糸井さんは「ほぼ日」が、これだけの規模の会社になるなんて、予想されていなかったのではないかと。
- 糸井
- はい。
予想してなかったです。
- 毛丹青
- 糸井さんは、どのような経緯で
「ほぼ日」をはじめられたんですか。
- 毛丹青
- 糸井さんは、どのような経緯で「ほぼ日」をはじめられたんですか。
- 糸井
- ぼくは、毎日を楽しく過ごすというのが
一番の理想なんです。
最も長い時間をかけて関わっている仕事が
つまんなかったら、
いくら休日に遊べるとしても楽しくない。
その意味では、
もともとやっていた仕事が
楽しくてしょうがなければ、
ぼくは「ほぼ日」を
はじめなかったと思ってます。
- 糸井
- ぼくは、毎日を楽しく過ごすというのが一番の理想なんです。
最も長い時間をかけて関わっている仕事がつまんなかったら、いくら休日に遊べるとしても楽しくない。
その意味では、もともとやっていた仕事が楽しくてしょうがなければ、ぼくは「ほぼ日」をはじめなかったと思ってます。
- 毛丹青
- そうなんですか。
- 糸井
- はい。もともとは広告のコピーライターという
仕事をしていましたが、
だんだんつまらなくなってきたんです。
広告の仕事は、クライアントがいます。
メッセージを出したい当事者はスポンサーで、
ぼくはその代理人みたいな役割ですね。
代理人としていい仕事をしたいというのは
いつでも思っていましたが、
伝えたい志とか、
人に買ってほしい製品だとか、
そういうものと自分の考えが一致してないと
うれしい仕事にならないわけです。
- 糸井
- はい。もともとは広告のコピーライターという仕事をしていましたが、だんだんつまらなくなってきたんです。
広告の仕事は、クライアントがいます。
メッセージを出したい当事者はスポンサーで、ぼくはその代理人みたいな役割ですね。
代理人としていい仕事をしたいというのはいつでも思っていましたが、伝えたい志とか、人に買ってほしい製品だとか、そういうものと自分の考えが一致してないとうれしい仕事にならないわけです。
- 毛丹青
- ええ、わかります。
- 糸井
- そのうえ、バブルがはじけたあとは、
どんなメッセージを
広告で出すかということよりも、
「安い」と謳うことのほうに
価値が置かれるようになってきました。
自分がやってきた、
会社とお客さんの関係性を
長い目で見て作っていけるような仕事が
だんだん難しくなってきたんですね。
プレゼンテーションをしても、
10割だった勝率が3割ぐらいまで落ちて。
ぼくも若かったので自尊心があるし、
「え? いいはずなのに落ちた」
ということが続いたんです。
だんだんと、
「この仕事を続けても、先はおもしろくないぞ」
と思うようになりました。
ただ、どうしていいかわからないから、
しばらく釣りをしてたんですよ。
広告の仕事もなるべくしないようにして、
1年間のうち、100日以上釣りをしていました。
- 糸井
- そのうえ、バブルがはじけたあとは、どんなメッセージを広告で出すかということよりも、「安い」と謳うことのほうに価値が置かれるようになってきました。
自分がやってきた、会社とお客さんの関係性を長い目で見て作っていけるような仕事がだんだん難しくなってきたんですね。
プレゼンテーションをしても、10割だった勝率が3割ぐらいまで落ちて。
ぼくも若かったので自尊心があるし、「え? いいはずなのに落ちた」ということが続いたんです。
だんだんと、「この仕事を続けても、先はおもしろくないぞ」と思うようになりました。
ただ、どうしていいかわからないから、しばらく釣りをしてたんですよ。
広告の仕事もなるべくしないようにして、1年間のうち、100日以上釣りをしていました。
- 毛丹青
- 釣りですか。
- 糸井
- はい。釣りって、誰かに
セッティングしてもらって釣っても、
おもしろくないんですね。
竿を用意して、糸を結んで、
ルアーを準備して、運転して、
眠くても朝からボートを出して。
そういうことをいい年をした大人が
誰の手伝いもなしに
全部自分でやらなきゃいけないんですが、
妙に楽しかったんです。
大会にも出ましたよ。
前日からホテルに泊まり、
朝5時半に受付して、必死になって釣って、
120位中の80位とかになって、
ガクッとして帰ってくる。
一度8位をとったときには、
うれしくて泣きました(笑)。
- 糸井
- はい。釣りって、誰かにセッティングしてもらって釣っても、おもしろくないんですね。
竿を用意して、糸を結んで、ルアーを準備して、運転して、眠くても朝からボートを出して。
そういうことをいい年をした大人が誰の手伝いもなしに全部自分でやらなきゃいけないんですが、妙に楽しかったんです。
大会にも出ましたよ。
前日からホテルに泊まり、朝5時半に受付して、必死になって釣って、120位中の80位とかになって、ガクッとして帰ってくる。
一度8位をとったときには、うれしくて泣きました(笑)。
- 毛丹青
- (笑)すごいですね。
- 糸井
- 釣りをしていると、
こういうことを仕事として
持ってないといけないんだなと
気付かされました。
「誰かがやるんじゃなくて、自分がやるんだ」
と思えることを一から試していって、
勝ったり負けたり、
さぼったり逃げたり、
そういうことをやろう、と。
それで、インターネットを使うことを
思いついたんです。
ぼくがおもしろいと思っている人に
会って聞いたことや、
ぼく自身が考えていることを
インターネット上で
伝えられたらいいなと思って
「ほぼ日」をはじめることにしました。
でも、もちろん最初は食っていけないし、
ビジネスという意味では、
3、4年は成立してなかったと思います。
- 糸井
- 釣りをしていると、こういうことを仕事として持ってないといけないんだなと気付かされました。
「誰かがやるんじゃなくて、自分がやるんだ」と思えることを一から試していって、勝ったり負けたり、さぼったり逃げたり、そういうことをやろう、と。
それで、インターネットを使うことを思いついたんです。
ぼくがおもしろいと思っている人に会って聞いたことや、ぼく自身が考えていることをインターネット上で伝えられたらいいなと思って「ほぼ日」をはじめることにしました。
でも、もちろん最初は食っていけないし、ビジネスという意味では、3、4年は成立してなかったと思います。
(つづきます)
2016-10-30-SUN