HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN 毛丹青先生✕糸井重里
HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN 毛丹青先生✕糸井重里

「LIFE」がぼくらのキーワード。 「LIFE」がぼくらのキーワード。

第2回:「恵まれた20年」だったかもしれない。

第2回
「恵まれた20年」だったかもしれない。

毛丹青
糸井さんが「ほぼ日」をはじめる前に、
日本ではバブルが崩壊して
多くの会社が早期退職者を募るという
状況になりました。
ここからの時代を
「失われた20年」と呼びますが、
私はどうもこの言葉に違和感があるんです。
経済面を考えた場合は、
失われたことがたくさんあったかもしれません。
でも、その中でも「ほぼ日」のように、
そこから新たにスタートしていく
ケースがありました。
日本のライフスタイルとか、
「ほぼ日手帳」といった商品が
この期間に驚異的なスピードで
中国にも知られるようになった。
そういう意味では、
私は「恵まれた20年」だったのでは
ないかと考えているんです。
毛丹青
糸井さんが「ほぼ日」をはじめる前に、日本ではバブルが崩壊して多くの会社が早期退職者を募るという状況になりました。
ここからの時代を「失われた20年」と呼びますが、私はどうもこの言葉に違和感があるんです。
経済面を考えた場合は、失われたことがたくさんあったかもしれません。
でも、その中でも「ほぼ日」のように、そこから新たにスタートしていくケースがありました。
日本のライフスタイルとか、「ほぼ日手帳」といった商品がこの期間に驚異的なスピードで中国にも知られるようになった。
そういう意味では、私は「恵まれた20年」だったのではないかと考えているんです。
糸井
あ、それ、そうかもしれないです。
毛丹青
私が北京で若者達と一緒に
『知日』を創刊してからの5年間は、
目から鱗の連続でした。
日本文化を紹介する雑誌なのですが、
中国人読者の反応が、「打てば響く」というか、
想像を絶するほど良かったんです。
日本と中国の政治的な関係がないところで、
文化がどんどん浸透していく様子を
目の当たりにしました。
毛丹青
私が北京で若者達と一緒に『知日』を創刊してからの5年間は、目から鱗の連続でした。
日本文化を紹介する雑誌なのですが、中国人読者の反応が、「打てば響く」というか、想像を絶するほど良かったんです。
日本と中国の政治的な関係がないところで、文化がどんどん浸透していく様子を目の当たりにしました。
糸井
ああ。
毛丹青
たとえば、私は3年前に
三浦友和さんの『相性』という自伝本を
中国語に訳して出しました。
奥さんの山口百恵さんは
中国でも人気があるんです。
この本の中に、こういう場面があります。
自分も奥さんもお酒に弱くて、
記念日にワインを半分も空けられない。
無言で時間だけが
静かに流れていく、という場面です。
そこには、何もありません。
このシーンに中国人が感動したんです。
静かにただ時間だけを共有する姿が美しい、と。
毛丹青
たとえば、私は3年前に三浦友和さんの『相性』という自伝本を中国語に訳して出しました。
奥さんの山口百恵さんは中国でも人気があるんです。
この本の中に、こういう場面があります。
自分も奥さんもお酒に弱くて、記念日にワインを半分も空けられない。
無言で時間だけが静かに流れていく、という場面です。
そこには、何もありません。
このシーンに中国人が感動したんです。
静かにただ時間だけを共有する姿が美しい、と。
糸井
へええ。
毛丹青
なぜこういう現象が起きたかというと、
中国では経済面での躍進が
あまりにも雑で激しくて、
人と会うときには、
「金はいくらでっか」「儲かるか」
みたいな話をする人が多くなったんです。
そういう雰囲気と、
この本に書かれている静かな時間の流れが
対照的だったからこそ、
感動が生まれたと思っています。
「ほぼ日手帳」も、政治的なこと抜きに、
その文化の重みが外国にも伝わっていった、
典型的なパターンだと思っています。
それと私、糸井さんが1日も欠かさず
コラムをお書きになっていることに
感動しているんです。
すごく強靭な精神が必要ですよね。
私も書く仕事をしていますが、
嫌だと思うときがしょっちゅうあるから。
毛丹青
なぜこういう現象が起きたかというと、中国では経済面での躍進があまりにも雑で激しくて、人と会うときには、「金はいくらでっか」「儲かるか」みたいな話をする人が多くなったんです。
そういう雰囲気と、この本に書かれている静かな時間の流れが対照的だったからこそ、感動が生まれたと思っています。
「ほぼ日手帳」も、政治的なこと抜きに、その文化の重みが外国にも伝わっていった、典型的なパターンだと思っています。
それと私、糸井さんが1日も欠かさずコラムをお書きになっていることに感動しているんです。
すごく強靭な精神が必要ですよね。
私も書く仕事をしていますが、嫌だと思うときがしょっちゅうあるから。
糸井
(笑)ぼくも、ありますよ。
毛丹青
特に二日酔いのときとか、嫌になります(笑)。
でも、糸井さんのその努力が今の規模に
つながっていったと思うんです。
糸井
お話をうかがっていて、
ぼくがずっと感じていたことと
共通点があると思いました。
バブルがはじけて景気が悪いといっても、
全員が困っているという状況はないんですよね。
知り合いの経営者が言ってたんですけど、
一流のレストランは
景気がどういう状況でも流行ってるんです。
景気がいいときというのは、
五流でも六流でも食っていけます。
景気が普通のときは
一流と二流と三流くらいが食っていける。
ところが景気が悪くなると、
一流しか食えなくなるんです。
糸井
お話をうかがっていて、ぼくがずっと感じていたことと共通点があると思いました。
バブルがはじけて景気が悪いといっても、全員が困っているという状況はないんですよね。
知り合いの経営者が言ってたんですけど、一流のレストランは景気がどういう状況でも流行ってるんです。
景気がいいときというのは、五流でも六流でも食っていけます。
景気が普通のときは一流と二流と三流くらいが食っていける。
ところが景気が悪くなると、一流しか食えなくなるんです。
毛丹青
ああ、なるほど。
糸井
だから、レストランとしてすべきことは、
どんなに苦しくても
一流のレストランでありつづけること。
そしたら、どんな時代でも食っていける。
人は必ず一番いいものを
手に入れたいものだから、という話でした。
それはぼくが弱気になったときに
必ず思い出すことで、
人から見た一流というものとは違っても、
自分の信じる
「一流はこうでなければいけない」
というものを守ることが
一番大事なことだと思います。
「やってていいんだ」
という自信につながりますから。
糸井
だから、レストランとしてすべきことは、どんなに苦しくても一流のレストランでありつづけること。
そしたら、どんな時代でも食っていける。
人は必ず一番いいものを手に入れたいものだから、という話でした。
それはぼくが弱気になったときに必ず思い出すことで、人から見た一流というものとは違っても、自分の信じる「一流はこうでなければいけない」というものを守ることが一番大事なことだと思います。
「やってていいんだ」という自信につながりますから。
毛丹青
ああ、わかります。
糸井
ぼくらは、自分たちが飽きちゃうことを
一番恐れてます。
ぼくらが飽きたら、
お客さんも飽きるに決まっているから。
飽きないように維持するためには
健康的な楽しさが必要だと思ってきたので、
周囲の経済状況については、
ぼくはほとんど考えないできました。
「ほぼ日」の読者には、
大金持ちじゃないけれども、
いいものを大事にしたいとか、
おいしいものを少し食べたいとか、
そういう考え方を持つ人たちがいて、
ぼくらと一緒に育っている。
その人たちがぼくらを
助けてくれてるんじゃないかなと思います。
糸井
ぼくらは、自分たちが飽きちゃうことを一番恐れてます。
ぼくらが飽きたら、お客さんも飽きるに決まっているから。
飽きないように維持するためには健康的な楽しさが必要だと思ってきたので、周囲の経済状況については、ぼくはほとんど考えないできました。
「ほぼ日」の読者には、大金持ちじゃないけれども、いいものを大事にしたいとか、おいしいものを少し食べたいとか、そういう考え方を持つ人たちがいて、ぼくらと一緒に育っている。
その人たちがぼくらを助けてくれてるんじゃないかなと思います。
毛丹青
ええ。よくわかります。
そういう意味で、「ほぼ日」は、
われわれの目指すモデルなんです。
あの、私、ちょうど今、
又吉直樹さんの『火花』という
小説を訳している最中なんですけど‥‥。
毛丹青
ええ。よくわかります。
そういう意味で、「ほぼ日」は、われわれの目指すモデルなんです。
あの、私、ちょうど今、又吉直樹さんの『火花』という小説を訳している最中なんですけど‥‥。
糸井
へええ。いいですね。
毛丹青
高い版権料を払って、
やらせていただいてます。
毛丹青
高い版権料を払って、やらせていただいてます。
糸井
(笑)
毛丹青
彼は非常に文学の才能があるから、
訳しながら感動しているんですが、
この小説が20年、30年ほど前に出ていたら、
おそらく中国では注目されないと思います。
そのときは生活レベルが違っていたから。
糸井
なるほど。
毛丹青
もう一つ実例を挙げますと、
村上春樹さんの小説が80年代から
世界に広がっていきましたが、
最初、中国語圏は無反応でした。
反応しはじめてたのは台湾、それから香港。
そのあとで中国大陸というふうに
順番に広がっていきました。
これはGDPと関係があるという説があって、
ある程度生活水準が上がっていけば、
彼が描くような生活がわかるんですね。
彼の小説は日本らしさがないと言われています。
日本酒も、芸者も、下駄も登場しない。
あるのはウイスキー、コカ・コーラ、
ジャズ、クラシックといったものです。
30年前だったら中国人はそんなもの知らない。
しかし、今となっては、
彼の小説は中国で売れ続けています。
毛丹青
もう一つ実例を挙げますと、村上春樹さんの小説が80年代から世界に広がっていきましたが、最初、中国語圏は無反応でした。
反応しはじめてたのは台湾、それから香港。
そのあとで中国大陸というふうに順番に広がっていきました。
これはGDPと関係があるという説があって、ある程度生活水準が上がっていけば、彼が描くような生活がわかるんですね。
彼の小説は日本らしさがないと言われています。
日本酒も、芸者も、下駄も登場しない。
あるのはウイスキー、コカ・コーラ、ジャズ、クラシックといったものです。
30年前だったら中国人はそんなもの知らない。
しかし、今となっては、彼の小説は中国で売れ続けています。
糸井
すごいことですよね。
毛丹青
そういえば私、昨年、村上春樹さんの
『女のいない男たち』という本を訳したんですが、
驚いたのは、あの方の文章の特徴です。
すごく主語が多くて、
川端康成の『雪国』とかとは全然違う。
本人もわざとそういうふうにしていると、
何かのインタビューでおっしゃっていました。
毛丹青
そういえば私、昨年、村上春樹さんの『女のいない男たち』という本を訳したんですが、驚いたのは、あの方の文章の特徴です。
すごく主語が多くて、川端康成の『雪国』とかとは全然違う。
本人もわざとそういうふうにしていると、何かのインタビューでおっしゃっていました。
糸井
だって、彼は最初の作品を
いったん英語で書いてから
もう1回日本語に書き直したんですよね。
そりゃあ主語が多くなりますよね。
糸井
だって、彼は最初の作品をいったん英語で書いてからもう1回日本語に書き直したんですよね。
そりゃあ主語が多くなりますよね。
毛丹青
そう。だから
読みやすくてわかりやすい文章になります。
毛丹青
そう。だから読みやすくてわかりやすい文章になります。
糸井
そういうのも含めて
中国の人たちに受け入れられてるわけですね。
糸井
そういうのも含めて中国の人たちに受け入れられてるわけですね。
毛丹青
そうです。
非常に大きいことだと思います。
ただ、彼の作品が受け入れられるまでに
時間差がありました。
しかし、又吉直樹さんの小説は違います。
ほとんど同時間に受け入れられるでしょう。
それが、この20年の変化だと思うんです。
毛丹青
そうです。
非常に大きいことだと思います。
ただ、彼の作品が受け入れられるまでに時間差がありました。
しかし、又吉直樹さんの小説は違います。
ほとんど同時間に受け入れられるでしょう。
それが、この20年の変化だと思うんです。
糸井
又吉さんの『火花』を読んでいて思うのが、
貧しい話やうまくいかなかった話を
書いているはずなのに、
ちょっとうらやましくなるんですよね。
その人生のほうが選ぶに足る
おもしろさがあるんじゃないかと
思わせられるというか。
糸井
又吉さんの『火花』を読んでいて思うのが、貧しい話やうまくいかなかった話を書いているはずなのに、ちょっとうらやましくなるんですよね。
その人生のほうが選ぶに足るおもしろさがあるんじゃないかと思わせられるというか。
毛丹青
そうです、そこなんです。
糸井
昨日、テレビでシンガポールの動物園の
ドキュメンタリーをやっていたんです。
動物を育てるときは、
栄養バランスが整ったペレットの餌を
決まった時間にあげることが多いんですが、
動物にとっておもしろくないそうです。
そこで、その動物園では、
食事どきになると
チンパンジーの餌である木の実を
箱に入れて持って行きます。
箱には不規則に開いてる穴があります。
すると、チンパンジーが自分で棒を持って来て、
あれこれ工夫して木の実を取り出して食べる。
つまり、面倒くささも含めて、
楽しみであり、喜びであり、
生きることそのものなんですね。
エンリッチメントといったらいいのかな。
糸井
昨日、テレビでシンガポールの動物園のドキュメンタリーをやっていたんです。
動物を育てるときは、栄養バランスが整ったペレットの餌を決まった時間にあげることが多いんですが、
動物にとっておもしろくないそうです。
そこで、その動物園では、食事どきになるとチンパンジーの餌である木の実を箱に入れて持って行きます。
箱には不規則に開いてる穴があります。
すると、チンパンジーが自分で棒を持って来て、あれこれ工夫して木の実を取り出して食べる。
つまり、面倒くささも含めて、楽しみであり、喜びであり、生きることそのものなんですね。
エンリッチメントといったらいいのかな。
毛丹青
ああ、エンリッチメント。
それが手作りの本質じゃないでしょうか。
糸井
ええ。そう思います。
人間にも同じことがいえて、
機械が作ったらできるセーターを
わざわざ手で編むのもそう。
機械が編んだものなら要らない、
手で編んだものだったら欲しいという
時代が来たんです。
「ほぼ日」でも、そういうことを
やってきたように思います。
糸井
ええ。そう思います。
人間にも同じことがいえて、機械が作ったらできるセーターをわざわざ手で編むのもそう。
機械が編んだものなら要らない、手で編んだものだったら欲しいという時代が来たんです。
「ほぼ日」でも、そういうことをやってきたように思います。
(つづきます)
2016-10-31-MON