HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN 毛丹青先生✕糸井重里
HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN 毛丹青先生✕糸井重里

「LIFE」がぼくらのキーワード。 「LIFE」がぼくらのキーワード。

第3回:キーワードは「LIFE」

第3回
キーワードは「LIFE」

毛丹青
「ほぼ日手帳」が国境を越えて
中国でも受け入れられたのには
もうひとつ理由があると
私は分析しています。
今、中国で「ほぼ日手帳」を購入しているのは、
1980年代から1990年代の後半までに
生まれてきた子たち、
大体18歳から35歳の若者が中心なんです。
で、この子たちの親は、
文化大革命の時代を過ごしているんです。
毛丹青
「ほぼ日手帳」が国境を越えて中国でも受け入れられたのには、もうひとつ理由があると私は分析しています。
今、中国で「ほぼ日手帳」を購入しているのは、1980年代から1990年代の後半までに生まれてきた子たち、大体18歳から35歳の若者が中心なんです。
で、この子たちの親は、文化大革命の時代を過ごしているんです。
糸井
ああ。
毛丹青
文化大革命の時代は、
カラフルな色合いというものが
ほとんどなかった時代です。
人民服、黒い自転車、煙突、
街全体が暗い色で覆われていました。
その後、1970年代の後半に入ると、
改革で国が開け、
海外からの自由な空気と
派手でカラフルなものが一斉に入ってきました。
ようやくつかんだある種の幸せ、
みたいな空気がそこにはありました。
この時代を過ごした人たちが親になったとき、
自分の子どもに対して、再びああいう
何の色もない生活をさせたくないと
思ってしまうんです。
それで、やたらとカラフルなものを
子どもに一所懸命与えるようになりました。
自分が子どものころにはなかった
ファミコンとか、パソコンなども
どんどん購入していったんです。
毛丹青
文化大革命の時代は、カラフルな色合いというものがほとんどなかった時代です。
人民服、黒い自転車、煙突、街全体が暗い色で覆われていました。
その後、1970年代の後半に入ると、改革で国が開け、海外からの自由な空気と派手でカラフルなものが一斉に入ってきました。
ようやくつかんだある種の幸せ、みたいな空気がそこにはありました。
この時代を過ごした人たちが親になったとき、自分の子どもに対して、再びああいう何の色もない生活をさせたくないと思ってしまうんです。
それで、やたらとカラフルなものを子どもに一所懸命与えるようになりました。
自分が子どものころにはなかったファミコンとか、パソコンなどもどんどん購入していったんです。
糸井
なるほど。
毛丹青
しかし、その子ども世代は、
日本の子ども以上に
カラフルな生活を過ごしたせいで、
逆に、そこに対しての
反骨精神が生まれてきたんです。
親が派手なものや、
高価な電子手帳みたいなものを喜んでいても、
その子どもは興味を示さない。
今度は紺とか白のシンプルな色合いや
手書きのもの、素朴なものを
好むようになっていきました。
だから、日本の「無印良品」も
中国の若者にすごく人気があるんですよ。
毛丹青
しかし、その子ども世代は、日本の子ども以上にカラフルな生活を過ごしたせいで、逆に、そこに対しての反骨精神が生まれてきたんです。
親が派手なものや、高価な電子手帳みたいなものを喜んでいても、その子どもは興味を示さない。
今度は紺とか白のシンプルな色合いや手書きのもの、素朴なものを好むようになっていきました。
だから、日本の「無印良品」も中国の若者にすごく人気があるんですよ。
糸井
はぁー、おもしろいですね。
日本もそれと近いことがあって、
「選び直し」がどこかのタイミングで
はじまったと思うんですよ。
日本にも、アロハシャツだとか
サーフィンだとか、
そういうカラフルなものが
海外から入ってきた時代がありました。
それはもちろん楽しかったですよ。
だけど、そっちにどんどん行っちゃうと、
ただ受け入れているだけで
ゲーム性がないんですよね。
逆に、色を抑えると、
新しいゲーム性が生まれます。
「単純なんだけど難しくて楽しい」みたいな。
日本で色が抑えられたのが
いつごろなのかはっきりわかりませんが、
「ほぼ日」がはじまったころくらいからでは
ないかなと思います。
糸井
はぁー、おもしろいですね。
日本もそれと近いことがあって、「選び直し」がどこかのタイミングではじまったと思うんですよ。
日本にも、アロハシャツだとかサーフィンだとか、そういうカラフルなものが海外から入ってきた時代がありました。
それはもちろん楽しかったですよ。
だけど、そっちにどんどん行っちゃうと、ただ受け入れているだけでゲーム性がないんですよね。
逆に、色を抑えると、新しいゲーム性が生まれます。
「単純なんだけど難しくて楽しい」みたいな。
日本で色が抑えられたのがいつごろなのかはっきりわかりませんが、「ほぼ日」がはじまったころくらいからではないかなと思います。
毛丹青
ええ、そう思います。
たとえば、手作りのものって、
最初は面倒くさいと思いますよね。
でも、それでもやっていくと、
楽しさというものが生まれてくる。
毛丹青
ええ、そう思います。
たとえば、手作りのものって、最初は面倒くさいと思いますよね。
でも、それでもやっていくと、楽しさというものが生まれてくる。
糸井
そうなんですよね。
ぼくにとっての釣りもそうだったんですけど、
社会的価値と関係なく、
自分の存在全体を賭けてやってみたいと思うこと、
自分の全体を取り戻すことが
先生のおっしゃる「手作り」ですよね。
そこをもう1回選び直したということですね。
糸井
そうなんですよね。
ぼくにとっての釣りもそうだったんですけど、社会的価値と関係なく、自分の存在全体を賭けてやってみたいと思うこと、自分の全体を取り戻すことが先生のおっしゃる「手作り」ですよね。
そこをもう1回選び直したということですね。
毛丹青
そうですね。
糸井
もし選び直さずにいたら、
ぼくは、髪の毛を茶髪にして、
アロハシャツを着た、
ロックンロールなおじさんだったかもしれない。
糸井
もし選び直さずにいたら、ぼくは、髪の毛を茶髪にして、アロハシャツを着た、ロックンロールなおじさんだったかもしれない。
毛丹青
(笑)
糸井
そこは棲み分けというか、
趣味の問題もあるので、
あえて選んでそうするのはいいと思います。
あと、同じ世代の仲間と
ずっといるならそれでもいいけど、
ぼくはもうちょっと若い人とも遊びたいんで、
自分が「選び直して」変わったほうが
若い人とも遊べるなと思いました。
糸井
そこは棲み分けというか、趣味の問題もあるので、あえて選んでそうするのはいいと思います。
あと、同じ世代の仲間とずっといるならそれでもいいけど、ぼくはもうちょっと若い人とも遊びたいんで、自分が「選び直して」変わったほうが若い人とも遊べるなと思いました。
毛丹青
わかります。
これまでの話から分析すると、
中国で「ほぼ日手帳」の人気が高いのは、
商品としての魅力ももちろんあるし、
土俵が待ち構えてたというのもあると思います。
非常にカラフルな生活を望む世代に対抗して
逆の価値観を作っていった若者たちによる、
いい土壌があったんです。
毛丹青
わかります。
これまでの話から分析すると、中国で「ほぼ日手帳」の人気が高いのは、商品としての魅力ももちろんあるし、土俵が待ち構えてたというのもあると思います。
非常にカラフルな生活を望む世代に対抗して逆の価値観を作っていった若者たちによる、いい土壌があったんです。
糸井
空間として存在しているところに
スポッと入ったんですね(笑)。
糸井
空間として存在しているところにスポッと入ったんですね(笑)。
毛丹青
そうなんです。
受け皿があって、待ち望まれていた。
糸井
「ほぼ日手帳」のことでもう少し言うと、
ぼくはもともと広告の仕事をしていたので、
上手に宣伝しようと思えばできます。
でも、上手にやることよりも、
そのままの事実を伝えることのほうを
したいと思ったんで、
社内の者にも広告の勉強をさせませんでした。
糸井
「ほぼ日手帳」のことでもう少し言うと、ぼくはもともと広告の仕事をしていたので、上手に宣伝しようと思えばできます。
でも、上手にやることよりも、そのままの事実を伝えることのほうをしたいと思ったんで、社内の者にも広告の勉強をさせませんでした。
毛丹青
ほう。
糸井
それでずーっとやってきたんですが、
一昨年から「ほぼ日手帳」のコピーとして、
「LIFEのBOOK」という言葉を作りました。
「LIFE」という言葉は、
先ほど先生がおっしゃった
「生活」でもあるし、
「人生」でもあるし、
「命」でもある。
ものすごく大きな意味が
「LIFE」という言葉の中に入っていて、
それが「ほぼ日手帳」の中に
BOOKとして残るんだということを
いま伝えようとしているんです。
よそが同じようなものを真似するかもしれないけど、
それは手帳の形を真似しただけで、
「LIFEのBOOK」ではない。
先生のお話をうかがって、
中国の人たちにも、
その考えが通じるように思いました。
糸井
それでずーっとやってきたんですが、一昨年から「ほぼ日手帳」のコピーとして、「LIFEのBOOK」という言葉を作りました。
「LIFE」という言葉は、先ほど先生がおっしゃった「生活」でもあるし、「人生」でもあるし、「命」でもある。
ものすごく大きな意味が「LIFE」という言葉の中に入っていて、それが「ほぼ日手帳」の中にBOOKとして残るんだということをいま伝えようとしているんです。
よそが同じようなものを真似するかもしれないけど、それは手帳の形を真似しただけで、「LIFEのBOOK」ではない。
先生のお話をうかがって、中国の人たちにも、その考えが通じるように思いました。
毛丹青
ええ。本当にそうだと思います。
日本と中国の政治情勢を考えた場合は、
最悪な状況が続いていますよね。
しかし、糸井さんがおっしゃった
「LIFE」というのは、これからの
キーワードになってくると思います。
毛丹青
ええ。本当にそうだと思います。
日本と中国の政治情勢を考えた場合は、最悪な状況が続いていますよね。
しかし、糸井さんがおっしゃった「LIFE」というのは、これからのキーワードになってくると思います。
糸井
政治というのは、
やはり政府の作るものですが、
一般の人は違う。
仮に今、中国と日本がものすごく
険悪な状態になっても、
先生とぼくはきっと会いますよね。
これが「LIFE」なんだと思うんです。
糸井
政治というのは、やはり政府の作るものですが、一般の人は違う。
仮に今、中国と日本がものすごく険悪な状態になっても、先生とぼくはきっと会いますよね。
これが「LIFE」なんだと思うんです。
毛丹青
はい。
私はいつも
海面と海底の関係を例に挙げるんですけど、
海面には、政治事件や社会問題といった
荒波が襲いかかってくる。
しかし、海底は、
いつまで経っても穏やかで静かです。
LIFEそのものなんですね。
これが人間の根幹です。
だから、政治的な関係が
悪化していたにもかかわらず、
中国人が日本へ旅行にやってくる。
個人の思想として、
「楽しむ」ということを求めてくる人が
どんどん来日しています。
「ほぼ日手帳」が中国で売れたり、
われわれ『在日本』のような雑誌が
売れていることが
それを物語っていると思います。
毛丹青
はい。
私はいつも海面と海底の関係を例に挙げるんですけど、海面には、政治事件や社会問題といった荒波が襲いかかってくる。
しかし、海底は、いつまで経っても穏やかで静かです。
LIFEそのものなんですね。
これが人間の根幹です。
だから、政治的な関係が悪化していたにもかかわらず、中国人が日本へ旅行にやってくる。
個人の思想として、「楽しむ」ということを求めてくる人がどんどん来日しています。
「ほぼ日手帳」が中国で売れたり、われわれ『在日本』のような雑誌が売れていることがそれを物語っていると思います。
糸井
なるほど。
ぼくは1981年に
はじめて北京に行ったのですが、
当時は団体旅行しか
認められていませんでした。
そのとき、すごくうれしかったことがあります。
自由行動する時間が少しあったので、
町の駄菓子屋みたいなところで、
何か買って食べていたら、
おばちゃんが魔法瓶を持ってきて
1人ずつにあたたかいお茶をいれてくれたんです。
冬で、寒くてガタガタ震えていたんで、
とってもありがたかったです。
お茶碗が足りなくて、
絆創膏で継いであるお茶碗が出てきて、
注ぐと、ぽたぽたぽたぽた落ちる。
でも、そうやってお茶を飲ませてくれたのが
うれしいじゃないですか。
昔の日本でもこうだったのかなと思いました。
それが1981年です。
でも、数年前に上海に行ってみたら、
日本より建物が高くなってました(笑)。
糸井
なるほど。
ぼくは1981年にはじめて北京に行ったのですが、当時は団体旅行しか認められていませんでした。
そのとき、すごくうれしかったことがあります。
自由行動する時間が少しあったので、町の駄菓子屋みたいなところで、何か買って食べていたら、おばちゃんが魔法瓶を持ってきて1人ずつにあたたかいお茶をいれてくれたんです。
冬で、寒くてガタガタ震えていたんで、とってもありがたかったです。
お茶碗が足りなくて、絆創膏で継いであるお茶碗が出てきて、注ぐと、ぽたぽたぽたぽた落ちる。
でも、そうやってお茶を飲ませてくれたのがうれしいじゃないですか。
昔の日本でもこうだったのかなと思いました。
それが1981年です。
でも、数年前に上海に行ってみたら、日本より建物が高くなってました(笑)。
毛丹青
今、物価も東京より高いんですよ。
普通のコーヒー屋さんを比べると、
上海のほうが高い。
毛丹青
今、物価も東京より高いんですよ。
普通のコーヒー屋さんを比べると、上海のほうが高い。
糸井
そうですか。
で、その高層マンションには
住んでる人の気配がなかったんです。
急いでこういうものを作ったんだなと思いました。
糸井
そうですか。
で、その高層マンションには住んでる人の気配がなかったんです。
急いでこういうものを作ったんだなと思いました。
毛丹青
おっしゃるとおりです。
昨日、私は取材で永平寺に行ったんですよ。
あの寺は開祖である道元が
留学僧として中国に渡って、
文化を持ち帰ってきたわけですね。
だから、永平寺を訪れる大勢の中国人たちが
みんなリラックスしていい表情してます。
永平寺の何が魅力なのかというと、
そこには、かつての「美しい中国」に対する
懐かしさというものがあるんです。
1000年前のものが密封されたまま日本にある。
みんなそれを静かに眺めていたいんです。
ほんまに、もう、いまの中国見てみいな。
キンキラキンの建物ばっかりやで!(笑)
毛丹青
おっしゃるとおりです。
昨日、私は取材で永平寺に行ったんですよ。
あの寺は開祖である道元が留学僧として中国に渡って、文化を持ち帰ってきたわけですね。
だから、永平寺を訪れる大勢の中国人たちがみんなリラックスしていい表情してます。
永平寺の何が魅力なのかというと、そこには、かつての「美しい中国」に対する懐かしさというものがあるんです。
1000年前のものが密封されたまま日本にある。
みんなそれを静かに眺めていたいんです。
ほんまに、もう、いまの中国見てみいな。
キンキラキンの建物ばっかりやで!(笑)
糸井
カラフルなお土産も売ってますし(笑)。
毛丹青
そうそうそう(笑)。
糸井
カラフルっておもしろいですね。
日本の場合は、最近また変化があって、
カラフルをよけ過ぎちゃう人に対して
今度は逆に
「カラフルがだめなの? いいじゃない」
と言って、ものすごくカラフルなものを作る
若い人が現れるようになりました。
でも、どちらがいいかという話になると、
趣味を押し付け合うことになります。
これから大事なのは「棲み分け」ですよね。
糸井
カラフルっておもしろいですね。
日本の場合は、最近また変化があって、カラフルをよけ過ぎちゃう人に対して今度は逆に「カラフルがだめなの? いいじゃない」と言って、ものすごくカラフルなものを作る若い人が現れるようになりました。
でも、どちらがいいかという話になると、趣味を押し付け合うことになります。
これから大事なのは「棲み分け」ですよね。
毛丹青
棲み分け。
はい、そう思います。
糸井
先日、ディズニーの
『ズートピア』という映画を見たとき、
これはまさしく棲み分けの映画だと思いました。
トラは肉を食べる。
ウサギは木の実を食べる。
「肉を食え」と言われても、
ウサギはそうはいかないですよね。
ウサギの側から、
「トラさん、肉はやめなさい」と言っても、
そうはいかない。
でも、付き合うことはできる。
そういうことが大事になってくると思います。
糸井
先日、ディズニーの『ズートピア』という映画を見たとき、これはまさしく棲み分けの映画だと思いました。
トラは肉を食べる。
ウサギは木の実を食べる。
「肉を食え」と言われても、ウサギはそうはいかないですよね。
ウサギの側から、「トラさん、肉はやめなさい」と言っても、そうはいかない。
でも、付き合うことはできる。
そういうことが大事になってくると思います。
(つづきます)
2016-11-01-TUE