第6回
人が、つなげてくれた。
- ──
- じゃ、ヒゲの金子先生との出会いが、
若き佐藤さんを、
縄文へ導いてくれたとも言えそうな。
- 佐藤
- うん、人とのめぐり合わせってのは、
いっぱいあるよね。ありがたいよ。
県庁に入ったあと、
はじめて発掘に来たのが、津南町で。
- ──
- ああ、そうなんですか。
- 佐藤
- 津南にいた先生に、飲みの席で
「ときに佐藤くんはどこの出身だ?」
って聞かれたんで、
いや、自分は三条ですって答えたら、
「昔、たしか三条から、
考古学好きなへんな中学生どもが、
徒党を組んで来たなあ」って、
「先生、それ俺たちだ」って言って。
- ──
- めぐり合うんですねえ(笑)。
ちなみに、
その考古学クラブのご友人たちとは、
その後は‥‥。
- 佐藤
- まあ、結局、職場の先輩のなかには、
学歴のことを言う人もいてさ。
俺が、よく議論ふっかけてたことも
あったと思うんだけど、
「なんだかんだ、
えらそうなこと言ったって、
おめさん、高卒だろ」
とかって、人を見下すようなのがね。
- ──
- そうなんですか。
- 佐藤
- そういうときに、俺も悔しいからさ、
夜中にさ、
東京の大学に行った連中に電話して、
「悔しいな」とかって愚痴言うと、
みんな「がんばれ、がんばれ」って、
励ましてくれたりしてね。
大学の考古学の講義を、
ないしょでカセットテープに録って
送ってくれたりもしてさ。
- ──
- わあ。
- 佐藤
- 文化庁で偉くなってるやつもいるよ。
- ──
- やっぱり、人とのつながりですね。
- 佐藤
- でも、結局ね、県庁も辞めちゃってさ、
ベジタブルハウスって屋号で、
八百屋と魚の行商をはじめたんですよ。
- ──
- え、行商? ベジタブルハウス‥‥。
- 佐藤
- うん、八百屋と魚屋を一緒にやって。
行商で三俣って集落へ行くときは
山下達郎を流して、
湯沢の中里のほうへ行くときは、
五木ひろしを流していったもんです。
- ──
- その曲のセレクトは、つまり、
地域性を考慮したわけですね(笑)。
- 佐藤
- まあ、はじめて行商に行くって日は、
なかなかスピーカーのスイッチ、
入れられなかったな、恥ずかしくて。
- ──
- じゃ、行商の傍らで考古学も続けて。
- 佐藤
- そのころは半分、諦めてた。
- ──
- そうなんですか。
- 佐藤
- 地域を回ってるからさ、
年寄りの話とかも集めてたんだけど、
行商も3年めくらいに入って、
考古学は、
もう趣味でいいと思ってたんですよ。
でも、ちょうどそのころ、
各大学で社会人の入試がはじまって、
考古学仲間のすすめもあって、
國學院大学を受けたら、
まあ、入学できることになりまして。
- ──
- 考古学で有名なところですよね。
- 佐藤
- 新潟県の長岡出身で、
縄文文化研究の第一人者であられる
小林達雄先生もいらっしゃった。
文学部史学科。27で入ったから、
同級生とは10歳、違ったんですよ。
- ──
- でも、やっと好きな考古学ができる。
- 佐藤
- そうだね、その気持ちはありました。
ひとつの夢がかなったという。
ただ、4年で出る約束をしてたから、
もう、がむしゃらでね、
第二外国語のフランス語なんてのは
「再々々履修」まで行ったよ。
- ──
- おお、執念というか(笑)‥‥。
でも、「再」という字は、
そんな多くついてもOKなんですか。
- 佐藤
- もちろん、まわりにはいないよ。
再々々履修なんて、聞かないでしょ。
ま、そんなふうにして、
やっとの思いで大学を出てきたわけ。
- ──
- 大学を出られて、すぐこちらへ?
- 佐藤
- いや、東京の発掘現場に入りました。
あっちゃこっちゃやってたんだけど、
東京の最後の現場は、
新宿南口に、代々木の駅のほうから
高島屋タイムズスクェアってのが
できるんだけど、
あのあたりの下、ぜんぶ、俺の現場。
- ──
- おおー、そうでしたか。
- 佐藤
- うん、大学4年生のころから入って、
ずーっとやってたんです。
そこが終わったあと、小林先生から、
「新潟の津南に博物館をつくるって、
佐藤くん、きみ行くか」と。
- ──
- それで、こちらの館長になられたと。
おいくつくらいのとき‥‥。
- 佐藤
- 戻ったのはね、34だったですね。
- ──
- では、それからずっと、
津南町の郷土史に関わってこられて。
- 佐藤
- うん、だから俺、幸せ者だと思う。
まわりの人たちにつなげてもらって、
自分なりに勉強するなかで、
5千年前に縄文の人々も住んでいた
この津南の「自然」に、
どんどんどんどん興味が湧いてきて。
- ──
- ええ。
- 佐藤
- 八百屋と魚の行商をやってたころは、
自然保護協会で、
ブナの原生林の保護運動みたいなの、
やってた時期もあるんだ。
- ──
- そうですか。
- 佐藤
- 20世紀から21世紀に変わるとき、
このあたりの谷川が
22世紀にもあるのかなぁと思ったら、
涙がボロボロ出てきた馬鹿なんで。
- ──
- 津南の自然を守りたい、と。
- 佐藤
- うーん、そうですねえ。
それがやっぱり、俺のベースにある。
現代文明は、2千年ものあいだ、
ここまで上手に泳いできたけれども、
果たして、
23世紀はどうなってるのかなとね。
- ──
- ええ。
- 佐藤
- みなさん、多かれ少なかれ、
そんなふうに感じてると思うんです。
だからね、人間と自然の共生という
テーマっていうのかなあ、
そこを追い求めたいってあるんだね、
俺のなかにはね。
- ──
- はい。
- 佐藤
- 縄文について、学ぶことを通じてね。
2019-02-11-MON