ほぼ日刊イトイ新聞
縄文人の思い。~津南の佐藤雅一さんに訊く、縄文と今と未来がつながるところ~

新潟県津南町にある縄文文化の体験施設
「なじょもん」の佐藤雅一さんは、
縄文人の「思い」に、思いを馳せます。
彼らは、どんなことを考えて、
燃えるような火焔土器をつくっていたのか。
そこに込められた意味や思いに、
どうにか接近しようと、試みています。
縄文時代と現代は、つながっている。
それは未来にも、通じている。
佐藤さんの話を、たっぷりうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
全7回の連載として、お届けいたします。

佐藤雅一さんプロフィール

第6回
人が、つなげてくれた。

──
じゃ、ヒゲの金子先生との出会いが、
若き佐藤さんを、
縄文へ導いてくれたとも言えそうな。
佐藤
うん、人とのめぐり合わせってのは、
いっぱいあるよね。ありがたいよ。

県庁に入ったあと、
はじめて発掘に来たのが、津南町で。
──
ああ、そうなんですか。
佐藤
津南にいた先生に、飲みの席で
「ときに佐藤くんはどこの出身だ?」
って聞かれたんで、
いや、自分は三条ですって答えたら、
「昔、たしか三条から、
 考古学好きなへんな中学生どもが、
 徒党を組んで来たなあ」って、
「先生、それ俺たちだ」って言って。
──
めぐり合うんですねえ(笑)。

ちなみに、
その考古学クラブのご友人たちとは、
その後は‥‥。
佐藤
まあ、結局、職場の先輩のなかには、
学歴のことを言う人もいてさ。

俺が、よく議論ふっかけてたことも
あったと思うんだけど、
「なんだかんだ、
 えらそうなこと言ったって、
 おめさん、高卒だろ」
とかって、人を見下すようなのがね。
──
そうなんですか。
佐藤
そういうときに、俺も悔しいからさ、
夜中にさ、
東京の大学に行った連中に電話して、
「悔しいな」とかって愚痴言うと、
みんな「がんばれ、がんばれ」って、
励ましてくれたりしてね。

大学の考古学の講義を、
ないしょでカセットテープに録って
送ってくれたりもしてさ。
──
わあ。
佐藤
文化庁で偉くなってるやつもいるよ。
──
やっぱり、人とのつながりですね。
佐藤
でも、結局ね、県庁も辞めちゃってさ、
ベジタブルハウスって屋号で、
八百屋と魚の行商をはじめたんですよ。
──
え、行商? ベジタブルハウス‥‥。
佐藤
うん、八百屋と魚屋を一緒にやって。

行商で三俣って集落へ行くときは
山下達郎を流して、
湯沢の中里のほうへ行くときは、
五木ひろしを流していったもんです。
──
その曲のセレクトは、つまり、
地域性を考慮したわけですね(笑)。
佐藤
まあ、はじめて行商に行くって日は、
なかなかスピーカーのスイッチ、
入れられなかったな、恥ずかしくて。
──
じゃ、行商の傍らで考古学も続けて。
佐藤
そのころは半分、諦めてた。
──
そうなんですか。
佐藤
地域を回ってるからさ、
年寄りの話とかも集めてたんだけど、
行商も3年めくらいに入って、
考古学は、
もう趣味でいいと思ってたんですよ。

でも、ちょうどそのころ、
各大学で社会人の入試がはじまって、
考古学仲間のすすめもあって、
國學院大学を受けたら、
まあ、入学できることになりまして。
──
考古学で有名なところですよね。
佐藤
新潟県の長岡出身で、
縄文文化研究の第一人者であられる
小林達雄先生もいらっしゃった。

文学部史学科。27で入ったから、
同級生とは10歳、違ったんですよ。
──
でも、やっと好きな考古学ができる。
佐藤
そうだね、その気持ちはありました。
ひとつの夢がかなったという。

ただ、4年で出る約束をしてたから、
もう、がむしゃらでね、
第二外国語のフランス語なんてのは
「再々々履修」まで行ったよ。
──
おお、執念というか(笑)‥‥。

でも、「再」という字は、
そんな多くついてもOKなんですか。
佐藤
もちろん、まわりにはいないよ。
再々々履修なんて、聞かないでしょ。

ま、そんなふうにして、
やっとの思いで大学を出てきたわけ。
──
大学を出られて、すぐこちらへ?
佐藤
いや、東京の発掘現場に入りました。

あっちゃこっちゃやってたんだけど、
東京の最後の現場は、
新宿南口に、代々木の駅のほうから
高島屋タイムズスクェアってのが
できるんだけど、
あのあたりの下、ぜんぶ、俺の現場。
──
おおー、そうでしたか。
佐藤
うん、大学4年生のころから入って、
ずーっとやってたんです。

そこが終わったあと、小林先生から、
「新潟の津南に博物館をつくるって、
 佐藤くん、きみ行くか」と。
──
それで、こちらの館長になられたと。
おいくつくらいのとき‥‥。
佐藤
戻ったのはね、34だったですね。
──
では、それからずっと、
津南町の郷土史に関わってこられて。
佐藤
うん、だから俺、幸せ者だと思う。

まわりの人たちにつなげてもらって、
自分なりに勉強するなかで、
5千年前に縄文の人々も住んでいた
この津南の「自然」に、
どんどんどんどん興味が湧いてきて。
──
ええ。
佐藤
八百屋と魚の行商をやってたころは、
自然保護協会で、
ブナの原生林の保護運動みたいなの、
やってた時期もあるんだ。
──
そうですか。
佐藤
20世紀から21世紀に変わるとき、
このあたりの谷川が
22世紀にもあるのかなぁと思ったら、
涙がボロボロ出てきた馬鹿なんで。
──
津南の自然を守りたい、と。
佐藤
うーん、そうですねえ。
それがやっぱり、俺のベースにある。

現代文明は、2千年ものあいだ、
ここまで上手に泳いできたけれども、
果たして、
23世紀はどうなってるのかなとね。
──
ええ。
佐藤
みなさん、多かれ少なかれ、
そんなふうに感じてると思うんです。

だからね、人間と自然の共生という
テーマっていうのかなあ、
そこを追い求めたいってあるんだね、
俺のなかにはね。
──
はい。
佐藤
縄文について、学ぶことを通じてね。
<つづきます>

2019-02-11-MON