ほぼ日刊イトイ新聞
縄文人の思い。~津南の佐藤雅一さんに訊く、縄文と今と未来がつながるところ~

新潟県津南町にある縄文文化の体験施設
「なじょもん」の佐藤雅一さんは、
縄文人の「思い」に、思いを馳せます。
彼らは、どんなことを考えて、
燃えるような火焔土器をつくっていたのか。
そこに込められた意味や思いに、
どうにか接近しようと、試みています。
縄文時代と現代は、つながっている。
それは未来にも、通じている。
佐藤さんの話を、たっぷりうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
全7回の連載として、お届けいたします。

佐藤雅一さんプロフィール

第7回
自然と共生した1万年。

──
考古学、縄文土器の世界って、
美術の文脈でも、語られていますよね。
佐藤
ええ。
──
横尾忠則さんの作品が表紙の、
辻惟雄さんの『日本美術の歴史』でも、
縄文土器からはじまってますし。
佐藤
年を取れば取るほど、
両方の世界を交差させようとするよね。

でもさ、自分もそうだったんだけど、
若けりゃ若いほど、
やっぱり「尖がってる」からさ、
そんな美術だなんだ言ってられるかと。
──
そうですか。
佐藤
だから、自分も「縄文人の思い」とか
「心」について、
こうして興味を持つようになったのは、
60を過ぎてからだもんね。

はじめっから「心」なんて言ってたら、
考古学にならないでしょう。
──
なるほど‥‥心はアートの領域。
佐藤
土から掘り出した土器を見て、
正直に言えば「縄文人の心」だなんて、
まあ、わかりっこないですよ。

でもね、わからないんだけど‥‥
わからないってのはつまり、
学問的に突き詰めることは難しくても、
どうにかして、痕跡を嚙み砕きながら、
「縄文人の心」に
接近できたらいいなあって思うんです。
──
ええ。
佐藤
ぼくらの世界というのは、
発掘や研究、そこにかかるお金は、
国民のみなさんの税金で、
やらせてもらっているんですよね。
──
はい。
佐藤
そういうものでもあるので、
たとえば、郷土のおばあちゃんだとか、
小学生たちが、
「縄文人は、何を食べていたんですか」
だとか、
「どんな思いで文様を描いたんですか」
だとか質問してきたときに、
「そんなことは、まあ、わかりません」
なんて、答えたくないんです。
──
なるほど。
佐藤
正しいんですよ。正しいんですけどね。

学問的にはその答えで正しいんだけど、
果たして、それでいいのかと思う。
──
素人の感覚からしても、
考古学的な成果はもちろんですけど、
そこから先の「物語」を
聞いてみたいなあって、思いますね。
佐藤
今、俺らが一生懸命に探してるのは、
水浸かりの遺跡なんです。
──
水浸かり?
佐藤
うん、水没した遺跡ね。

なんでかっていうと、
ふつうの土のなかの遺跡というのは、
食べ物とかも分解しちゃって、
跡形もなくなっちゃうんです。
──
ああ、化石にでもならない限り。
佐藤
水浸かり‥‥つまり水没した遺跡では、
比較的に残るんです。
微細な骨なんかでも残りがちがいます。

洞窟考古学というジャンルには、
考古学を基本としながら、
骨しか研究しないような人たちもいて、
彼らに見せると、
「スズキの背骨、何歳。こっちは鮭」
とかね、たちどころにわかる。
──
わ、すごい。
佐藤
そんな専門家たちとも協働しながらね、
ばあちゃんや小学生に
何を食べてたんですかって聞かれてさ、
「わかりません」じゃなくて、
少しでも言えることを言いたいでしょ。
──
はい、食べものの話とかが出てくると、
なぜなのか、
縄文がぐーっと身近に感じられますし。
佐藤
東京湾の沿岸にある貝塚なんかも、
ていねいに調べていくと、
残ったものから、
当時、社会規制がかかっていたことが
わかるんですよ。
──
社会規制?
佐藤
いわゆる「春に稚魚は取るな」とかね。

で、そういう規制のない集落は、
潰れていくんですよ。存続時間が短い。
──
つまり、乱獲ってことで。
佐藤
そう。
──
そういう「人々のルール」まで、
残されたもののから推察できるのって
すごくおもしろいし、
その延長線上にあると考えたら、
縄文人の「心」も見えてきそうですね。
佐藤
こういう話があるんですよ。

山北(さんぽく)町ってところにね、
鮭漁を見に行ったとき、
先端が柄とロープでつながっていて、
獲物に刺さると、
その先端が外れるようになっている、
そういう銛を使ってたわけ。
──
ええ。
佐藤
ようするに、鮭のほうも必死だし、
ものすごい力だから、
刺さった銛の柄が折れないように、
刺さったあとは先が柄から外れて、
ロープが衝撃を吸収するんですよ。
──
なるほど。
佐藤
それとまったく同じ構造の道具が、
縄文時代にあったんです。

離頭銛と言って、仙台湾の沿岸で、
たくさんつくられていた。
──
何千年も前に。
佐藤
はじめて目にしたときには、
もう、俺、びっくりしちゃってさ。

だって、まったく瓜ふたつのもの、
3千5百年前の仙台湾にもあったって。
──
縄文と現代の連続性が、そこにも。
佐藤
うん、だから俺はやっぱり、
そういうことひとつひとつをつなげて
考えていく性質なんだよね。
──
縄文って、いろんな学問や角度から
語られると思うんですが、
佐藤さんにとって、縄文というのは、
大きく言うと、いったい何でしょう。
佐藤
何度も言うけど、
人類が自然と共生した1万年ですよ。

人類が、1万年もの間、
自然と共生しながら作り上げてきた、
ひとつの生きる方法というか。
──
それが、縄文。
佐藤
最初は豊かな自然とともにはじまった
世界四大文明ってやつも、
人間至上主義で自然を淘汰していけば、
だいたい千年くらいで滅びちゃう。

その点、自然と共生した日本の縄文は、
1万年間、森の民として生き続けた。
そこを、知ってほしいと思うんだよね。
──
なるほど。
佐藤
日本人とは何かとか、
東京オリンピックで世界に発信をとか、
縄文を大きく語ることも、
もちろん、大事なことだと思うけどね。
──
ええ。
佐藤
まずは、自分のまわりにある山や村を、
俺の場合は、この津南の山や村を、
どう守っていくかということだと思う。
──
その気持ちは、
きっと、縄文の人も持ってましたよね。
佐藤
そう思うよ。
<終わります>

2019-02-12-TUE