今回の絵はアテネのアポロナス通りに古くからある理髪店です。 飾り気のない内装に古そうな理髪道具が並ぶウインドウ。 店名もただ「理髪店」とあるだけ。 私がギリシャに来た当初からあって、 通る度に気になっていたのですが、 調べてみるとアテネでも数少なくなってきている 伝統的な理髪店であることがわかりました。 日本同様ギリシャでも、髪を切る場所は 大きく理髪店(床屋)と美容院とに分かれています。 理髪店ならではのメニューといえばやはり髭剃り。 古い映画で見るようなたっぷりのクリームに 大きなシェーバーナイフでの髭剃りを こちらでは体験することができます。 (注:今はコロナのため一時的に髭剃りは禁止されているそうです。) 1950年代、この店の店主が理髪師として 働き始めた頃は理容学校などなく、 見習いとして店で働きながら、師匠から直接学んだそうです。 ギリシャ人男性は髭を伸ばしている人が多く、 特にかつては立派な口髭が男性らしさの象徴とされて 多くの人が理髪店で髭を整えに来ていました。 店先にタオルがはためくと、それは「準備OK」のサイン。 髭剃りのための清潔なタオルの準備ができてます ということを意味しました。 男性のみが集う理髪店は いつしかギリシャ人男性の社交の場となり、 そこでは政治やスポーツ、 ゴシップや個人的な悩みなどが交わされて、 理髪師はさながらパーソナルカウンセラーのようだったと言います。 また古くからヨーロッパでは、理髪師の仕事として 抜歯や瀉血(しゃけつ)なども行ったという 驚くべき伝統がありますが、 この店主が小さい頃にそれを見たということから、 ギリシャでは1950年くらいまでは続いていたと思われます。 瀉血というのは人体の血液を抜くことで 症状の改善を求める治療法の一つです。 実際瀉血によって改善する病状もあるそうなのですが、 当時は熱にも咳にも下痢にも、 どんな症状にでも瀉血が行われたそうです。 しかも瀉血にはヒルが使われていたそうで、 当時の理髪店にはヒルの入った瓶が並んでいたり、 いい抜歯の腕を示すために、 店先に親知らずの歯が飾ってあったりしたそうです。 こういった理髪店が、ギリシャでは 比較的長く続いていたことに驚きです。 残念ながらこのお店を引き継ぐ者はなく、 あるタイミングでお店は畳むつもりだそうです。 最近では伝統的な雰囲気を逆手に取った おしゃれな理髪店も増えてきてはいるのですが、 店主はこう言います。 「今は理髪師になろうという者はいない。 みながなりたがっているのはアーティストだ」と。 時代の生き証人でもある“理髪師”の憂いを帯びたそんな一言が、 私には無性にかっこよく聞こえるのでした。 升ノ内朝子
2020-09-11