2011年2月半ば、京都。よく晴れた日。
僕たちは、志谷啓太さんの
ひとり暮らしの部屋を、訪れました。
きれいに片付けられた、1Kの部屋です。
おたがいに、あらためましてのあいさつを済ませ、
向き合う位置に腰を下ろしました。
JR京都駅からこの部屋まで
いっしょに地下鉄に乗って来たんですけど、
今のところ
「僕を面接して、コンテンツにしてください!」
とメールしてくるような
積極性にあふれた青年には見えていません。
むしろ、ずいぶん物静かな印象。
僕ら、いちおう年上だし、社会人だし、
まだ、ちょっと緊張しているのかもしれない。
そこでまずは
「自分自身」について、話してもらいました。
「1988年10月17日、宮崎県の生まれで
22歳、京都大学の3回生です。
父はピアノの調律師で
母は、パートで保険会社の事務職。
弟がいます、ひとり。
小林高校という宮崎の県立校から
一浪して
京都大学の総合人間学部に入りました」
やはり、第一印象どおり、
淡々としていて、それほど口数の多くない人。
そして「適当な相槌」を打たない人だな、
とも思いました。
完全に理解や納得していないことに対しては
軽々しく「そうですね」とか言わずに
「うーーん‥‥」と、
いったん、自分のほうに会話を引き取る。
でも、「京大」に入るくらいだし、
「成績」は良かったんですよね、いわゆる。
「うーーん‥‥優等生だったと思います。
通知表も、ふつうにオール5でした。
大学入試は、いちど失敗しましたけど
もう1年がんばれば
絶対に、この子は受かるだろうって
思われていた気がします」
つまり、親とか、先生とか、
周囲から期待されていた、中学高校時代。
「そうですね、でも、期待って言うか‥‥
どうせ、
いい学校へ行くんでしょ、あんたは、みたいな。
とくに、両親については
安心しきってる感じでした、ずっと」
部屋には
アシッドマンの「ALMA」が流れています。
この曲って、たしか
海抜5000メートルの「アタカマ高地」で
PV撮ってるんですよね。
「‥‥そうなんですか」
限りなく宇宙に近いその場所へ
66基の巨大な「電波望遠鏡」を建設して
宇宙についてもっと知ろうという
日米欧の「アルマ計画」というのがあって。
僕たち
ちょっとばかし宇宙好きなもんで、ははっ。
「すみません、知らないです。
でも、アシッドマンの曲は好きです。
いちど、ぼーっと聴いていたら
感動して泣いちゃったことがあって。
なんでだろう‥‥
一生懸命、歌ってくれているような、
そんな気がしたんです」
他愛のない話題であっても
ゆっくりと慎重に、言葉を選ぶようにして
志谷さんは、話します。
「より、しっくりくる表現」を
探っているような、そういう印象。
そして「けっこう話す人」だということが
だんだん、わかってきました。
先ほどからは、ずっと
「両親」のことについて、話しています。
「父も母も、僕のことを
すごく信頼してくれていると思います。
大学を選んだときや
今の就職活動でもそうなんですけど、
最終的な決定を
きちんとさせてくれるからです。
そして、一生懸命、応援してくれます」
そうですか。
「両親は、大学に行ってないんです。
なので、大学受験についても詳しく知らないから
アドバイスも、特にありませんでした。
でも、いつくらいだったかなぁ、
高3の12月くらいだったと思うんですが
父が、いきなり
大学受験、受かっても受からなくても
どっちでもいいよって、言い出したことがあって」
ほー‥‥。
「それまでは、絶対うまくいくとかって
言ってたのに、
しきりに、どっちでもいいからって。
もう、イライラするくらいに、言うんです。
ちょうどそのとき、
高校で『ドラゴン桜』が流行っていて‥‥」
ああ、あの、受験マンガの。
「はい、僕も友だちから借りて読んでいたら、
大学受験の子を持つ親のありかた、
みたいな回があって。
そこでは、親は子どもに対して
きっとうまくいくとか、
うまくいかなかったらどうするんだとか
絶対に言っちゃダメで、
ただ『どっちでもいいよ』と言いなさいと。
あ、お父さん、
これを読んだんだなぁ‥‥と思いました」
あはは、バレちゃったんだ、お父さん。
ちなみに、お父さんとは、仲いいんですか?
「よく『尊敬しているのは父です』とか
面接のときにも、言う人いると思うんですが、
そういう感じでは、ないです。
もちろん、応援してくれていることに対して
感謝はしているんですけど」
志谷さんは長男、ですよね?
「はい」
自分がまだハタチ前後のときのことを思うと、
自分(長男です)と父親との関係って
けっこう、微妙な感じだった記憶があります。
素直になりきれないというか、
おたがいに、意地を張り合ってるというか。
「うーーん‥‥そうですね。
僕も、両親と、距離を取りたかったんです。
地元から遠くの大学に入ったのも
ひとつには、
実家から出たいという気持ちがあったからです。
つい最近まで
ぜんぜん実家には帰らなかったし、
そんなには、連絡も取っていなかったんです」
へーえ‥‥。
「ずっと、両親の思い通りにしなきゃいけないと
どこかで思っていたんです、僕は。
ふたりとも、明確な言葉にはしないんですけど、
僕に『こうしてほしい』というのが
わかるんです。
僕は、無意識のうちに
その『無言の希望』に従ってきたんです。
でも、やっぱり、きちんと自分で
自分の道を選んでいきたいという思いがあって、
だから僕は
親と距離を置こうとしたのかもしれないです」
ふーーーん。
「そう、うん。‥‥うーーん、
いや、やっぱり‥‥ちがうかなぁ」
ちがう?
「はい、その説明は、ちがうかもしれないです。
やっぱり
好きになりたかったんだと思うんです、
両親のことを。
親とか、家族のことを。
いったん、遠くに離れれば、
そういうふうに、なれるんじゃないかと思った」
あのさ、レディオヘッドってバンドの
トム・ヨークってボーカルが
「趣味は、悩むこと」って言ってるんだけど。
「ああ、僕も、めちゃくちゃ悩むタイプなんです。
自分でも、どうしようもなくなるほど。
たぶん、
人から見たら、すごくつまらないことについて
1ヶ月くらい悩んでることとかザラです」
‥‥この絵の人は、志谷さん?
「はい、彼女が描いてくれた、僕です。
こんなふうに、見えてるんですかね」
地方の「優等生」として
ご両親や先生の期待に応えてきた、志谷さん。
大学までは「順風満帆」でした。
でも、いつまでも「超氷河期」から脱しない
就職戦線では、つらい思いをしています。
それは、人生ではじめての経験、でした。
「エントリーシートで落ちた企業もあるので、
実際、面接に進んだのは3社です。
でも、すべて途中の段階で落とされました」
大学までずっと優等生で来たのに‥‥という
挫折感は、ありますか?
「あります。ある‥‥と思います。
今オレ、挫折してるのかなあ、というか。
おかしいですけど
優等生だった人が挫折していくのって
こういう感じなのかなと
他人ごとみたいに、思ったりとかして」
落ちる理由って、自分でわかってたりするの?
「わからないです、それは。
でも、どの面接でも共通していたのは
うーーん‥‥
面接官が、きちんと話をしてくれないこと。
ああ、キミはこのカテゴリーだねって、
ろくに話も聞かないうちから
僕たちを
どこかに当てはめようとしてる気がします」
なるほど。
「みんな、大切にしているものがあって、
そのことを伝えたくて
その場所に、座っているんです。
でも、僕たちが真剣に話したことに対して、
あ、なるほど、
それってこういうことだよねって分類して、
あっさり終わっちゃう」
ようするに「やりとり」がないわけで、
志谷さんは「やりとりしたい」んだね。
(‥‥これも「カテゴライズ」かな?)
「そして、面接官の人は
最終的に
僕をどこに当てはめたのかという結論も
教えてはくれないんです、その場では」
このあたりの志谷さんの心理は、
うまく言えないけど、なんとなくわかりました。
「段階が進んでいけば
そうじゃなくなるんだろうと思うんですけど
少なくとも初期の面接では
完全に、効率ばかりが求められているんです」
そこが「大きな企業」であればあるほど、
学生ひとりひとりに
たっぷり時間をかけて受け答えしていたら
採用面接そのものが破綻する‥‥ということは
志谷さんだって
もちろん、わかっているはずです。
「でも、やっぱり割り切れない思いがあります。
だって、みんな、
内定が取れないことで
実際に、すごくつらい思いをしているんです!」
気持ち、語尾が上がります。
「大量の学生を
効率的にさばかなければならないために、
本来ならば
じっくり時間をかけて面接すべきだけど
それが、できない。
そのこと自体は、よくわかります」
「でも、だったら、面接をする企業の側も
そのことを自覚して面接してほしい。
生意気に聞こえるかもしれないんですが、
そのことを自覚して、面接している人が
どれくらいいるのかなって思います」
「学生の数が多すぎるから
そういう面接をやってるんであれば
いっそ、抽選にしてもらったほうが、
どんなに楽か知れないです」
なるほど。
「僕、おかしなこと、言ってるでしょうか?」
いや、おかしいってことは、ないと思う。
「僕が、糸井さんに『面接してください』と
メールを出したのも、
糸井さんが面接官だと想像することで
『聞いてもらえるかもしれない』可能性を
捨てずにいられるかもって思ったからです」
メールにも、そう書いてあったよね。
「僕は、ずっと『言葉が届かないこと』に
悩んできた気がします。
だから、あのメールを出したときは
糸井さんや、乗組員のみなさんに、
もし、僕の言葉が届いたら‥‥って想像して、
すごくワクワクしたんです」
<つづく>