「ほぼ日」前の骨董通り。 冬のみちくさをはじめた吉本さんと諏訪さんは、 街路樹の根元にカモミールをみつけました。 鉄のわくのようなもので覆われた街路樹の根元には、 ほかにもいくつかの緑が育っています。 吉本さんが、そのひとつを指さしました。
3月に入ると庭の草毟りの日について考える。 草毟りなんていつだっていいってことは決してない。 草の状態をチェックするのが大切なのだ。 その日には、とにかく草は、 少年ほどにも育っていてくれなければならない。 なにしろ動物と同じように植物も、 ちっさな赤ん坊の頃はどんなものでも可愛らしいのだ。 たとえば、薄赤い茎をパッパッと伸ばして 元気いっぱいに小さな葉っぱを広げている 赤ん坊のアカカタバミをばりばり毟り取ることは、 成長後の憎らしさは判っていながら、むずかしい。 人でなしのような気がしてくる。 自分の庭さえ良ければ、 植物の将来なんかどうでもいいってことか? と、糾弾されているような気もしてくる。 それで手加減していると、気付いたときは一面びっしり。 毟っても毟っても"ここよ、あそこよ"と陣地拡張。 やられちゃった、と悔んでも後の祭りで、結局のところ、 夏の炎天下、汗をかきかき、蚊を除け除け、 根を張ったヤツラとの腰痛覚悟の大決戦となる。 ハルジオンも然りである。 コヤツも冬場の小さいときはほんとに ぷっくりと固まっていていじらしい。 固まったのを"ロゼットしている"と言うと 今回諏訪さんから教わって、 ますますいじらしくなったのが困る。 去年までは、チビちゃんごめんと言いながら、 それでも軍手でワッシと掴んで抜いていたのだけれど、 さっき庭で見た幼ハルジオンのいたいけな姿。 飛び石の横にぷっくりと犬のウンチの形でいた。 もうすぐ茎を伸ばしそうだけれど、抜きがたい。 若芽は食べられると聞いたから、 野草料理の路線に変えてもう少し待ってみようか。