「のがわでみちくさ」編 今回の先生/梅田彰さん
名前その37 チガヤ
東京の西を流れるちいさな川沿いでの「みちくさ」は、
これで最後になります。
ゴールに設定していた「ほたるの里」という場所に、
吉本さんと梅田さんが到着しました。
「そっちにちいさな田んぼがあるんですよ」
道案内する梅田さん。
吉本さんがそのあとに続きます。

吉本 へええー、
ああ、こんな場所があるんだあ。
梅田 三鷹市内の小学生や
中学生を対象にして、
農業体験イベントなどをやっている場所ですね。
吉本 それは、田植えとか、稲刈りとか?
梅田 そうそう。
あとは「ほたるの里」という名前ですから、
初夏のころにはこの場所に
本物のホタルを放して鑑賞する
イベントも行われているようです。
吉本 本物のホタルが。
東京なのにねえ。
‥‥あ、田んぼがありました。
梅田 そちら側が、ちょっと崖というか、
小高い林みたいになってますでしょ?
吉本 ええ。
梅田 その上の方に、国立天文台があるんですよ。
吉本 そうなんですか。
へえ〜、いいところですねえ。
梅田 崖からの湧き水が豊富なので、
ホタルが養殖されているわけです。
そのホタルのエサになるカワニナという貝も、
ここの小川に、いると思うんですが‥‥。
吉本 ‥‥あ。
梅田 ん? いましたか?
吉本 カニがいました、ほら。
梅田 ああ、サワガニだ。
よく見つけましたね(笑)。
吉本 かわいい。
梅田 指をはさまれないでください(笑)。
吉本 さ、川に帰りましょう‥‥(放す)。
梅田 ここはですね、
いつもきれいに管理されているんですよ。
湧き水を利用してワサビもつくられてますし、
カラーという花も栽培されています。
吉本 ワサビ田まであるんですか。
ちいさな場所にいろんな生き物が
たくさん育ってて‥‥すごいですね。
梅田 植物もたくさんありますでしょう?
クレソンがふつうにはえてますし、
オオカワヂシャに、ノカンゾウ、
カラスウリに、ムラサキツユクサ、
ユウガオも見えます。
吉本 ほんと、たくさん。
‥‥‥‥あ。
梅田 ‥‥‥‥ああ、きましたね。
吉本 はい、とうとうきました。
梅田 ポツポツと。
吉本 雨が強くなる前に、
最後にもうひとつだけ、
みちくさを教えてください。
梅田 わかりました、じゃあ、どれにしましょうね‥‥。
ええと‥‥
あ、これとか、どうでしょう?
梅田 これは、チガヤという名前です。
ちょうど花穂が出てますね。
吉本 きれい‥‥。
これがチガヤなんですね。
梅田 はい。
吉本 昔アシスタントをしてくれた女の子が
「チガヤ」っていう名前なんです(笑)。
梅田 ほお、いい名前ですね。
吉本 すごい美少女なんですよ。
‥‥そうか、やっぱりそうなんだ。
きれいなんですね、チガヤって。
梅田 白い穂が、きれいですよね。
吉本 うん。
梅田 これがたくさん茂っていると、
銀色の波が、わーっと風になびいて、
それはそれは、きれいなんですよ。
吉本 ああ‥‥きれいでしょうねえ。
梅田 これが出てくる前の若い穂は、甘いんです。
子どものころに、そいつをよく食べました。
「ツバナ」とか「チバナ」ってよんでましたけど‥‥。
吉本 食べられるんですか。
梅田 ええ、サトウキビに近い仲間で、
かじって甘みを味わうだけですが。
『万葉集』に紀女郎(きのつらめ)が
大伴家持(おおとののやかもち)に
贈った歌があって、その歌は
「貴方のためにツバナを採ってきたので
 召し上がって肥えてください」
という意味になっているんです。
吉本 へええ〜。
いや、このみちくさの名前は
きっと忘れないです、覚えました。
梅田 そうですか、よかったです(笑)。
私たちはしょっちゅう自然観察会をやってますが、
名前だけ教えても、参加者の耳の
右から左へぜんぶ抜けちゃうんですよ(笑)。
だからその、名前だけじゃなくて‥‥
吉本 いろいろ、名前のいわれとか。
梅田 そうそう、人との関わりとか。
なるべく印象に残るように話さないと、
覚えてもらえないんです。
吉本 興味を持たれるような
工夫が必要ですからたいへんですよね。
梅田 説明のための小道具を用意したり、
こういう、テンガロンハットをかぶったりして。
吉本 すごくお似合いです(笑)。
梅田 まあ、いろいろと工夫をしています。
吉本 きょうはお話がたのしくて、
たくさん頭の中に入りました。
梅田 そうですか、それはうれしいお言葉です。
お役に立てましたでしょうか。
吉本 もちろんです、
ありがとうございました。
梅田 いえいえ、こちらこそ。
‥‥では、駐車場まで戻りましょう、
雨が強くなるといけませんので。
吉本 はい。
‥‥あ、梅田さん、傘は?
梅田 いや、このくらいでしたら私は大丈夫です。

今回のみちくさは、
この日2度目に降り始めた雨ととともに終了いたしました。
たくさんのお話をしてくださった梅田さん、
ありがとうございました。

この次は、秋のみちくさをお届けできればと思っています。
また、お会いしましょう。
「のがわでみちくさ」編は、これにて終了です。


ご紹介したみちくさについての 感想やご指摘など、お待ちしています!

 

吉本由美さんの「チガヤ」
 
チガヤを見たのは初めてだ。
いや、これまでにどこかで見ているはずだけれど、
「これがチガヤか」と意識して見たのは初めてのこと。
そして「なるほど」と納得した。
そうか、やはりチガヤは美しいものだった。
田圃いちめんに広がるやわらかい白い穂が、
野分と言うと大げさだけれど
少し前から強まってきた雨を含んだ風にうねるように揺れ、
白から銀色へ、銀色から白へと変わり、
何かしら幻想的な光景を見せている。
その白と銀色の微妙な交差を見つめていると、
昔、55年ぶりの大寒波に襲われ
街中が雪に埋もれたマンハッタンの、アップタウンの、
誰もいなくなったスケートリンク脇でたった独り、
銀狐のコートにくるまり
シガレットを吸っていた老婦人を思い出した。
婦人の髪の毛は美しいプラチナブロンドで、
その上に絹糸で編んだヴェールのように
うっすらと雪が積もっていた。
見るからにお金持ちそうなご婦人が、
雪の中に立ち尽くし
いつまでも煙草を吸っている様子は異様なものだけれど、
20年以上前のその頃すでに、
ニューヨークのアップタウンの、
高級なレストランやバーは禁煙になっていたのだ。
スケートリンク脇の、
唯一灯されたスポットライトの下にある
銀色のコートと白く輝く髪。
それを包み込むように舞い散る雪。
それはお話が次から次に湧き出てくるような
ワンシーンだった。
映画でも見ているような気持ちになって去れなくなり、
こちらも震えながら、
ご婦人が建物の中に消えるまで見続けた。

チガヤの銀色の波を見ていて
そういうことを思い出したのだけれど、
それより前に浮かんでいるのは“ちがやちゃん”の顔である。
ちがやちゃんとは
当時スタイリストの仕事を手伝ってくれていたお嬢さんだ。
茅(ちがや)という古風な名前にぴたりとはまる
大変私好みの、キリッとした面立ちの美少女だった。
ちがやちゃんが現れて初めて私は
“チガヤ”という名を頭にインプットしたと思う。
「チガヤって草の名前なんだね?」と聞いた。
「はあ、ススキみたいな草ですよ」とちがやちゃん。
「なんでそれがあなたの名前に?」とさらに聞くと、
「はあ、母が好きだったか何かで」とちがやちゃん。
彼女のお母さんは名の知れた美意識の高い方である。
あまりに素敵な名前だと
名前負けしてしまう子供が多いらしいが、
その点、ちがやちゃんのお母さんは正しかった。

それ以来気になっていた
「チガヤとはどういう植物か」という謎が、本日解決。
目立ちはしないが、
だからこそ風雅な雰囲気を持っている草だった。
先日久しぶりに会ったちがやちゃんは車を運転してきた。
もう立派な大人となって、落ち着いた雰囲気だった。
車だからお酒は飲まずに話し相手になってくれた。
酔っ払ってちゃらちゃらしている私を
「お家まで送るよ」と車に乗っけてくれた。
良き孫に世話してもらうおばあさんの歓びとは
こういうものかしら‥‥
なんて思いながら、助手席ではしゃいだ。
2009-09-18-FRI
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