このところ文庫本『床下の小人たち』の話題を
よく耳にする。
1956年岩波少年文庫からの刊行時
小学生だった年代には
限りなく懐かしいが、
いやいや、この本は地味ながらタフで、
半世紀以上の長き年月地道に版を重ねてきた。
そして今年、
そのご褒美のように
スタジオジブリの映画化(7月公開)である。
6月の今、すでに売れ行き大加速というから、
映画が公開されたら
ちょっとしたブレークになるかもしれない。
イギリスの作家メアリー・ノートンが
床下目線で囁くように書いた
古い屋敷の床下に暮らす小さな一家のお話だ。
私が初めてその本を見つけたのは、
掃除当番で入った小学校の図書室だった。
返却台の上に置かれた小さな本の表紙に目が留まった。
子供の頃から部屋について考えるのが好きで、
“将来住みたい家”の見取り図を描くのが
趣味でもあったので、
表紙に使われている“部屋”の絵に強く引きつけられたのだ。
その部屋は(床下とわかるのは本を読み始めてからだけど)
床下ながらとても豊かな印象だった。
当時の日本の子供から見ると
まるで雲の上の、
ずいぶんお洒落な室内だったと思う。
暖炉やらソファやら
細部をいちいちチェックして、
自分の見取り図に取り入れようと
頭に刻みつけたような気がする。
表紙を開くとさらに目が離せなくなった。
人間より幾まわりも小さな人たちが──
それは両親と娘の3人家族だが、
大きな屋敷の床下に暮らしているのだ!
自分たちの存在を住人に悟られぬよう、
注意に注意を重ねながら、
しかし生活道具や食べ物は密かにちゃっかりと拝借しつつ、
住んでいるのだ。
拝借した何でもを自分たちサイズに合うように
作り直し、使いこなし、
こっそりひっそり生きているのだ。
人間の暮らしをそのまま縮小して、
入れ子のような不思議な魅力に満ちていた。
その日図書室の掃除を
順調に終えたかどうかは覚えていない。
ということで、
最近話題になっていたせいか
鎌倉の線路脇で
カラスノエンドウの小さな豆を見たとき
一瞬脳裏をかすめ去ったのは、
床下暮らしの小さな人たちの食卓だった。
おお、2センチほどの小さき豆よ。
これってまさに
彼らにぴったりのサイズではないか、と思ったのだ。
人間の食べ物を
彼らに合うようカットするのは一苦労でも
これならこのままでOKじゃないの、と閃いたのだ。
ジブリの映画制作がこれからだったら
ちょっとひと言このアイデアを伝えることができたのに、
と、残念な気持ちにもなった。
森さんの著書『身近な雑草のふしぎ』によれば、
カラスノエンドウは豆が熟すると
緑色のサヤが真っ黒になるそうだ。
それが名前の由来らしい。
黒くなった豆は突如バチバチッと炸裂する。
それは「うわっ!」とのけ反るほどの大爆発で、
まき散らかされた種が当たると痛い‥‥そうである。
こんな小さいのが本当か?
果樹園の土壌を豊かにし、
果樹に害をおよぼす草から守ってもいるそうだ。
うーん、小さいのに
ずいぶんドラマチックな生き方をするなあ。
知れば知るほど映画向きだったのになあ。 |