定年退職後、父は念願だった畑を庭のすみっこに作った。
畑といっても
猫の、というより鼠のひたいほどに小さなスペースだ。
のちのちは農地を借りて
本格的に畑仕事をするつもりでいたのだろう、
家の畑はその練習、あるいは前哨戦だったらしい。
老夫婦2人が食べる量でいいことと、
時間制限なしの庭いじりなので、
手間の掛かる少量多品目無農薬栽培が可能だった。
「グリンピースから里芋まで」をモットーに、
様々な野菜に手を染めているらしかった。
その頃は私も休みを取って家に帰るのを楽しみにした。
素人の手作り野菜はいびつな形をしていたが、
何しろ採り立てだから美味しいのだ。
朝、台所に行くとテーブルの上に
収穫物で山盛りのカゴがある。
どれどれと覗き込み、
まだ顔も洗ってもいないけれど試食してみる。
トマトやピーマンを囓ると青臭い滴がぴゅーっと飛び散る。
水ナスでもない普通のナスが
そのまま食べてもとろりと甘い。
そしてキュウリの瑞々しい匂い。
カボチャもゴーヤも言うことナシだ。
いけるじゃないか、と、内心父を見直した。
葉物と実物のほか、
根菜はニンジンとハツカダイコンが成功した。
しかしダイコン第一号は失敗だった。
母が「煮大根を作ろう」と言うので
夕方私が抜いたのだが、
細くて短く、ニンジンほどの大きさで
先が二つに分かれていた。
「ううう」と唸って、
父は土や肥料の案配を書き込んでいる栽培ノートを睨んだ。
母は「これで煮大根といってもねえ」と笑った。
私は念のため囓ってみたが、硬くてお話にならなかった。
ダイコン作りがそれなりの成功を見たのは
第4号あたりと聞く。
「大きく瑞々しいのができた」と父は自慢げだったが、
「使い切れない」との母の申し立てがあり、
ダイコン栽培はそこで中止となったそうだ。
鎌倉の海辺で
お花畑のように花をつけていた
ハマダイコンの根っこも細かった。
見ただけで食べられそうにない。
しかし牧野博士は『牧野植物大図鑑』の中で、
ハマダイコンは“ダイコンが野生化したもので、
肥料をやって栽培すると再び普通のダイコンになる“
と断言されている。
世間的には疑問視されているようだけれど、
父の例もあることだし、
その説が本当がどうか、
ちょっと試してみたい気もある。
森さんは抜いたコをまた砂に戻してやっていたけれど、
今度こっそりと“いただきに”行こうかしらん。
もう誰も住んではいないが家は残っている。
この夏、風通しのため帰ったとき、
父の残した膨大な量の栽培ノートから
“ダイコン”のページを探して、
その再生法を調べてみるのもいいかもしれない。 |