春の鎌倉での「みちくさ」は、これで最後になります。 波の音が耳にここちよい由比ヶ浜で、 今回ラストの、みちくさの名前を覚えましょう。 砂浜の手前の、すこし丘になった場所に、 森さんが吉本さんを案内します。
今回のみちくさは、 波の音を背中に聞きながら終了となりました。 森さん、たくさんの名前を教えてくださって、 ありがとうございました。 「春の鎌倉でみちくさ」編は、これにて終了です。 また、お会いしましょう。
そういえば、 この草は海に行ったとき散々目にしているのだ。 目にするけれど気にしなかったのだ。 浜辺を歩くときはいつも、 何とはなしにつま先で蹴ったり、 砂の熱さ逃れに踏みつけたりしていた。 あるいはその上にピクニックシートを広げ、 荷物を置き、 何人もで 寝転んだり食べたり飲んだりしていた。 今思えば、コウボウシバよ、 苦しかったろう、 ごめんなさい。 この小さな花穂を私はいくつ潰したのか。
知らないと、人間どんな酷いことだってしてしまう。 砂場に生えている地味な草‥‥ という認識しかないときは、 踏んでも押しつぶしても気にならなかった。 それがいったん名前を知り素性を知り性質を知ると、 もうとてもそんなことはできない。 森さんに“下から目線”と教わり蹲ったときも、 ちょっとでも踏むことなきよう気を配った。 つくづく“知る”ことの大切さを思う。 そして“下から目線”の楽しさも。 同じ位置から見る雌花穂の むくむくぽっこりとした可愛い形。 雌ながら“岡本太郎”と呼ばせてもらおう。
13年前今の住まいに越してきたのは猫が飼えるからだった。 そしたら庭が付いていた。 小さな庭ながらクヌギ、コナラ、モミジやカエデなど 枝走りのいい庭木が6本配置され、 ベランダから続く飛び石の先には 外庭に出るための裏木戸があった。 だからどう考えても日本の庭だが、 そのときは、 いわゆる雑草と もはやブッシュと化したマーガレットの巨大な塊と、 野生化したオリヅルラン (不思議なことに白線なしのもあった)と シダの生い茂る荒れ地だった。 そこをなんとかしようと思った。 日本の庭らしく再生しよう、 苔など育ててみよう、と決意。 ルーペとヘラとピンセットと、 湿らせたティッシュペーパー入りの 小さなビニール袋を持って、 苔採集の散歩に出た。
ご近所から集めた苔は、 スギゴケ、ギンゴケ、ヒジキゴケ、ホソウリゴケ。 小さな塊を庭の隅々に移植した。 そのうちどこからかゼニゴケがやって来た。 そしてそれぞれが少しずつ地道に陣地を広げていき、 およそ8年で苔庭となった。 その頃の楽しみは 飛び石に蹲って苔の世界をルーペで覗き見ることだった。 つまり、 下から目線の極地といえる苔目線になるのである。 5ミリにも満たない世界がまるでジャングルに見える。 繁殖期には雄株雌株の結婚支度が展開し、 頭のてっぺんに胞子を付けて ふるふると結婚相手を呼び込む様子にときめいた。 密林の奥からいきなり 黒い装甲車のようなものが飛び出てきて、 仰天したらアリだった。 ミクロの世界探訪は飽きることがない。
ひたむきに生きる彼らを傷つけないよう 庭に出るときは飛び石伝い。 なのに、あるとき、 マンション敷地全体の剪定に入った 造園業者のバイトくんが、 あろうことか‥‥ 苔のふわふわした上を ぶっといゴム長靴でわしわしと歩いているのだ。 押しつぶされていく苔苔苔。 腰が抜けそうになった。 我を忘れて絶叫した。 驚くバイトくん、 数分後「見りゃわかるだろーが」と 兄貴分から叱られていた。 「育ててたんですかあ」とあやまりに来た。 たとえ育ててはいない道ばたの苔でも、 彼らの世界を知ったら踏みつけになんかできないぞ。 バイトだからしかたないけれど、 無知はデリカシーの欠如に通じる。 「結婚目前だったんだよ」と言うと、 “キモい”という顔をされた。
鎌倉の海で見たコウボウシバも結婚目前のようだった。 くれぐれも人の足には注意して、 お幸せに。