アジサイも種類が多すぎて、
実体がつかみにくい植物だ。
現在「アジサイ」と代表名で呼ばれている在来種は、
ふっくらと大きな球形に花を付ける見慣れた種で、
いわゆるフツーの人々にとってはアレがアジサイ。
アジサイと言えば誰もが丸いぽんぽんみたいな
あの青い花を思い浮かべる。
その昔、アジサイ屋敷と呼んでいたお宅があった。
中学校へ行く途中の小路の一角を占める大きな家で、
広い庭をずらっとアジサイの生け垣が取り囲んでいた。
季節になると生け垣いっぱいに紫色の花が咲いた。
きれいだけれどボリュームがあるので、
成長と共に年々それらは路のほうにせりだしてくる。
車の通らない、
ほとんど通行人のためだけにあるような
細い小道の半ばほどまで占領するので、
そのお宅の奥さんみたいなご婦人が、
毎朝せっせと竹箒で路を掃いておられた。
あまりに飛び出した枝は切られ、
「お気に召したらお持ちください」
というような文字の書かれた紙が添えられ、
門脇に置かれた壺(傘立てだったか)に
入れられていた。
その奥さんの髪型も“アジサイ形”だった。
アップにまとめた丸い髪のふくらみ方が
アジサイの花によく似ていた。
あれは“髷”だったのかもしれない。
灰色のズボンに白いエプロンというスタイルで、
髪形だけがそういう和風の雰囲気だったから、
もしかしたら
茶道とか日本舞踊とかのお師匠さんで、
日常着物で通しておられる方だったのかもしれない。
その奥さん、あるとき、
ポケットがアジサイの花の形になっている
可愛いエプロンをされていた。
アジサイにかけて作られたのか?
娘さんから借りられたのだろうか?
ちらっと見て、
すごく似合わないと思ったことを鮮烈に覚えている。
30歳過ぎてから行った高知県の牧野植物園で
ガクアジサイというものを初めて見て、
アジサイにも様々な種類があると知ったのだった。
私がアジサイと思っていた花の形とはずいぶん異なり、
小さな粒々のまわりを、
3〜4枚の花弁を付けた小さな花が、
まるで線香花火のようにパパッと飛び散り、
6つ、7つで取り囲んでいる。
それが額のように見えるからガクサジサイというらしい。
馴染みの“丸くて花がビッシリギュウヅメ”
なアジサイに比べ、
とてもさっぱりした感じに好感抱く。
説明文では、
真ん中にある小さな粒々に見えるものが花(両性花)で、
まわりに額のようにあるのは装飾花とのこと。
しかもそれは結実しない、ただの飾り花、ということだ。
では装飾花の集合体である例のやつ、
いわゆる丸々したアジサイは、
あれほど咲いても永遠に実を付けることはない・・・
ということ?
だとしたら皮肉な話だ。
“あだ花”とはまさにコレ。
そう思うと、今まではちょっとうるさく感じていた
あの丸々な連中に、
何かしら“哀しみ”のようなものが
重なってきたりして・・・。
というわけでヤマアジサイ。
今回の「八ヶ岳倶楽部」で
私は初めてヤマアジサイというものを認識できたと思う。
山や沢の周辺に自生する野生種というから、
今までにも見たかもしれないが認識していない。
日陰に「こそっ」と小さな葉っぱで
控えめに育つ(・・・いいなあ)。
白い花がでしゃばらずに
楚々と咲く(・・・こうありたいなあ)。
アジサイ・・・と口にしたときの
“艶っぽさ”とはかけ離れた印象がとにかくいい感じだ。
しかしこれだけチャーミングだと
「花盗人」から狙われるんじゃ? と心配したが、
都会の貧弱な土地に移したら
「枯れちゃうから」と柳生さんは笑った。
嫌なことされたら死んじゃう。
そういう潔いところが、また、いいですね。
10年前もらった小型アジサイの話を追加しよう。
“洗練されすぎた”白い可憐な花が付いていたから
そのアジサイ、たぶん改良種だろう。
しばらく鉢のまま育てていたが、
2年目に外庭に植え替えた。
そしたら翌年、汚らしい赤っぽい花になったから愕然。
調べると、アジサイは土の酸性度ウンヌンで
花の色が変わるという。
5メートルほど離れた
お隣の庭のアジサイはあでやかな紫色だ。
酸性が強い土だと青系の花色になるらしい。
ウチのアジサイは白だったから、
いきなり酸性のお布団に寝かされ、びっくりして、
まずは赤系に染まったのだろうか。
このままにしていると
いつかお隣のような色になるのだろうか。
白に戻したいのだけれど、どうしていいやらわからない。
どこか“悲惨”な雰囲気になってしまった
このアジサイには、
都会の洗礼を受けてど派手化粧をするようになり、
就職1年目で辞めていった銀座某蕎麦屋の
東北出身美少女店員の名前を付けた。
その名は「みずえ」。
植物も人間もあまり違いはありませんね。 |