- ミロコ
- デビュー作『オオカミがとぶひ』の編集者さんは、
ずっと一枚絵の展覧会に来てくださっていました。
会うたびに私は
「いまはつくってないけど、
絵本をやりたいんです」
と言っていたんです。
その方は
「こんな動物ばっか描いて、
どうやって絵本になるのかな」って
半信半疑だったらしいんですが、
まあたのんでみるかと思ってくれたのか、
「そろそろ絵本、一緒にやりますか」って
言ってくれたのが2011年。
- 糸井
- はぁー、よかったねえ。
- ミロコ
- よかったです。
- 糸井
- その5年間の展覧会が、
ミロコマチコを鍛えたんですかね。
- ミロコ
- 絵本を作らなかったあいだ、
動物とかいっぱい描いたのは、絶対よかったです。
世界が広がったし。
- 糸井
- 『オオカミがとぶひ』にはもうすでに
“楽しくてしょうがなかった”感が出てるもんね。
あと、デザインの経験がないのに、
ミロコさんの絵本って、
どれも「デザイナーだったのかな?」と思わせるような
感じがある。なんででしょう?
- ミロコ
- 自分では、そう思ったことはなかったです。
- 糸井
- 壊しかたを含めて、ものすごくバランスがいい。
デビュー作からそれがもうできている。
この絵本がでてきたことは、
ある意味ラッキーだけども、必然性もありますね。
これが日本絵本賞大賞を獲ったわけだ。
よかったねえ。
- ミロコ
- ビックリしました。
賞のことも、ぜんぜんわかっていなくて。
日本絵本大賞には読者賞というのがあるんです。
期間内、一人何回でもインターネットから応募できて、
その獲得票数がおおい人が受賞できるので、
とにかくそれをめざして、投票してたんです。
- 糸井
- 自分で(笑)。
- ミロコ
- 「お母さん、ちょっと票入れて」って。
- 糸井
- 審査と違って、そっちは自分の力で
勝てる可能性があるからね。
- ミロコ
- いや、というか大賞があるって知らなかったんです。
- 糸井
- ありますよ、そりゃ(笑)。
- ミロコ
- とにかく読者賞に夢中で、
締切りの前の夜とか、200票は入れました、自分で。
- 糸井
- そういうことをしても反映されないように
なっていると思うけどな‥‥。
ま、いいや。で?
- ミロコ
- でもね、ふたをあけてみたら11位くらいでした(笑)。
編集者さんから電話がかかってきて、
「ミロコさん、あんなにがんばったけど、
読者賞はとれませんでした」って言われて、
「そうですよね、そんなに甘くないですよね」
って答えたら
「そのかわり、大賞です」って。
悪いヤツでしょう(笑)? 悪い言い方する!
- 糸井
- 溜めたんですね(笑)。
そんなに簡単に伝えたくないくらい、
よろこんでるんですよ、それは。
- ミロコ
- ふふ。わたしも、うれしかったです。
- 糸井
- あの一冊が出たらもう、
編集者がみんな「出していいんだ」ってなるし。
心の中ではいけると思っていても、
上役の意見もあるしね、という人が
一気に楽になったでしょうね。
- ミロコ
- そうですね。
でもいまのところは、
賞をとる前にすでに話をしてきてくださった
編集者の方たちとずっと仕事をしています。
- 糸井
- そうですか。
それ以降のいろんな仕事のなかに、
絵描きとしての装丁の仕事もありますよね。
たとえば重松清さんの『きみの町で』とか。
あれは、どういう経緯なんですか?
- ミロコ
- ちょっと長くなりますが‥‥。
- 糸井
- また長くなるのか(笑)!
じゃあ、短めに。
- ミロコ
- はい(笑)。
上京して、中野に住んでいたんです。
近所に画家の牧野伊三夫さんが住んでいたんですが、
たまたま知り合いを介して会ったら気が合って、
「ミロコちゃん、ひまだったらごはん食べよう」と
さそってもらうことが多くなったんです。
そのうち、バイトの合間に牧野さんのアトリエで
お客さんにお茶を出したりするようになった。
そこで「僕の打ち合わせはいいから、
ミロコちゃんの絵を見てあげてよ」と
牧野さんがわたしの絵を見せてくれていた相手が、
たまたま重松さんの本を出すことになる
朝日出版社の方だったんです。
- 糸井
- へえ!
- ミロコ
- それがきっかけで、装丁のおしごとがきました。
そのとき見せた絵も動物とか植物だったのに、
この装丁につかう絵は
心情を描くようなものだったので、
「だいじょうぶかな」って思ったけど、
「それがおもしろいと思うから頼むよ」
って言われました。
- 糸井
- ミロコさんの作品には
そういう“別エリア”があるのが、
すごくいいなと思うんです。
それはやっぱり、運じゃないね。
絵がもう、そういうものを持ってたんですよ。
-
何かをなしとげる人って、
無名の時代のころからけっこう
さそわれているものなんです。
横尾忠則さんが、自分がわかいころの、
「ぼくがなにものでもないとき」の話を
よくするんですよ。
「郵便配達夫になりたかった」とか言うんだけどね、
そのわりにはしょっちゅう声をかけられてるんだよ。
「『いっしょに展覧会やらないか』って
言われちゃってさ」とか、いやそうに言うんだ。
赤瀬川原平さんなんかも、
若いころからいろんな場所にさそわれている。
それはその人に、無名の時代に、
さそわれる理由がすでにあるんですよね。
だから、ミロコさんも東京に出てきたときには、
自分ではわからなくても
そういうものがあったんじゃないかな。
- ミロコ
- 運がよかったな、とは思います。
- 糸井
- いや、絵がいいんだよ。
- ミロコ
- やったー。
- 糸井
- もうよくなってたんだよ。
この先、何をするかは決まっているんですか?
- ミロコ
- 展覧会はいくつかあって、
その合間を狙ってやっぱり本をつくりたいですね。
あとは、遊ぶ。
- 糸井
- ああ、そうだね。そろそろちゃんと遊んでいいですよね。
- ミロコ
- いや、私ちょっと遊び過ぎなんです。
飲みまくってます。
- 糸井
- そうなんだ。
お酒を飲むと描けないですよね?
- ミロコ
- 家で飲むと描きますけど、
外に飲みに行くと描かないです。
もうぐでんぐでんになって、
朝ちょっとだるくて、
出かける時間になって、また飲みに行って。
- 糸井
- 多少それをコントロールする人はいないんですか。
- ミロコ
- いないんですよ、めでたいことに。
- 糸井
- ああ、じゃ、自由ですね。
まあ、子どものとき、塾に行ったからね。
- ミロコ
- そうですよ。あのときもう大変だったから。
忙しかったから(笑)。
- 糸井
- いまは好きなだけみつあみのおさげを
見てられるわけですね。
- ミロコ
- そうです。
- 糸井
- 「おさげ」が「お酒」になったという。
しょうがないね(笑)。
(おわります)
2016-2-26-Fri
© Hobo Nikkan Itoi Shinbun.