1枚の絵の後ろに100枚ある。
- ──
- 奥さまが拾ってきた古い額縁がきっかけで、
1枚、描いたら止まらなくなって。
- 笹尾
- そう。
- ──
- もう、堰を切ったように?
- 笹尾
- なんだかわからないけど、
とにかく描くのをやめられなかったんです。
そこらへんにある身近なもの、
室内画とか静物画とか‥‥手当たり次第に。
- ──
- 大学時代から数えたら、
20年のブランクがあったわけですけど、
そんな急に、
絵の楽しさを思い出したってことですか。
- 笹尾
- 昔はね、楽しいと感じてなかったと思う。
- ──
- え、あんなに毎日デッサンしてたのに?
- 笹尾
- その当時の気持ちを思い出してみても‥‥
まあ、よくは覚えてないんだけど、
今、感じてるようには、
おもしろいって感じてなかったと思うなあ。
- ──
- そうなんですか。
- 笹尾
- でも、40を超えて再び描きはじめたら、
とても新鮮で、みずみずしい感覚もあって、
純粋に楽しかったし、
なにより
「俺、まだ、こんなに描けるのか」ってね、
びっくりしたんですよ。
自分で自分に、びっくりしちゃったの。
- ──
- それができたのも、高校3年間、
毎日、絵を描き続けた経験があればこそ、
なんでしょうね、やっぱり。
- 笹尾
- そうですね、あのときの毎日がなければ、
絶対に無理だったと思うし、
今こんなに楽しいって思えてないと思う。
- ──
- 広告代理店ではたらいていたご経験は、
今の画業に影響していますか?
- 笹尾
- どうだろう、推し量れないと思うなあ。
つまり、広告をやっていたということが、
今の自分の絵にとって、
メリットかデメリットかっていうことは、
一口には言えない気がするんです。
- ──
- そうですか。
- 笹尾
- でも、少なくとも、その経験をなくして、
ぼくは、絵を描くことはできないと思う。
だって、昔の自分が、
決して短くはない人生の時間を費やして、
懸命にやってきたことだから。
- ──
- サラリーマンの定年というのは、
一般的に60歳くらいだと思うんですけど、
あと数年、勤めるという選択も、
はたから見たら、あったと思うんですよ。
なぜ、56でスパッとお辞めに?
- 笹尾
- そりゃ、十分に遅かったからね、56でも。
何せ、うちのかみさんなんかには、
あんた、
なんでサッサと辞めて絵をやらないんだ、
いつまでも組織にしがみついて、
バカじゃないのと言われ続けてましたよ。
- ──
- バ‥‥。
- 笹尾
- いや、いつもそんな感じなんですよ。
結婚以来、ずっとバカ呼ばわりでさ。
- ──
- そうなんですね(笑)。
- 笹尾
- で、そんなこんなで「20年」が過ぎて。
- ──
- 笹尾さん、今年で‥‥。
- 笹尾
- ぼく、76になっちゃった。
- ──
- いやあ、まったく見えないです。
スタイルいいですし、おしゃれですし、
何より気持ちが若々しいですし。
- 笹尾
- ふつうの人の場合、
ハタチくらいで画家になったとしたら、
まあ、40くらいから、
だんだんいい仕事をするようになると
思うんだけどね。
- ──
- ええ、あぶらの乗ってくる時期。
- 笹尾
- ぼくの場合、それが「今」だと思うの。
- ──
- ああ、なるほど。そうですよね。
- 笹尾
- いや、実際にそうかどうかはさておき、
そう思えば、がんばれるしさ。
実際、絵描きとしてもまだまだだし、
やりたいことも、
たくさん、たくさん、ありますから。
- ──
- 毎日の生活は、どんな感じなんですか。
やっぱり一日中、描いているんですか。
- 笹尾
- まず朝、起きたら、朝ごはんをつくる。
で、かみさんと一緒に食べたあと、
この2階の部屋で
9時から絵を描きはじめるんだけれど、
11時くらいになったら
「おーい! お茶の時間だぞー」って、
お声がかかるんですよ。
- ──
- 階下の、奥さまから(笑)。
- 笹尾
- そう、それで下に降りていって、
トランプのセブンブリッジで勝負して、
負けたほうが、お茶を淹れます。
- ──
- へえ、なんか仲良し! 毎日ですか?
- 笹尾
- うん、ほとんど毎日かなあ。
で、一緒にランチして、3時まで描く。
3時になったらまたトランプ勝負して、
お茶当番を決めて、ひと休みして、
6時くらいまで描いたら、夕食。
その後は夜の9時まで、また絵を描く。
- ──
- まるで高校時代ですね。
- 笹尾
- 当時より描いてるよね。
- ──
- すごい。
- 笹尾
- ぼくね、なんかね、1枚描いてると、
描きながら、
ああいうのも、こういうのも、
どんどん描きたくなっちゃうんです。
で、次から次へと描き散らして、
知らないうちに、家の中が
すごいことになっちゃうんですよね。
- ──
- お部屋のあちらこちらに、
たくさん絵が置いてありますものね。
- 笹尾
- いつも、1枚の絵を描いたつもりが、
後ろ見たら100枚くらいあるの。
- ──
- 不思議ですね(笑)。
- 笹尾
- うん。ほんとにね、不思議なの(笑)。
- <つづきます>
2017-09-21-THU
笹尾光彦さんの描き下ろし作品をつかった商品
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN