三宅 |
笑いの場合には、
「おもしろい台本ですから、
これをそのままやってください」では、
絶対に出演者はみんなそのとおりには、
やらないんですよね。
しかも、そこで台本どおりやるような人は、
そもそも、だめなんです。
「あ、これおもしろい……ちくしょう……」
そこから自分で考えるような人ばかり、
ぼくは、つきあってきました。
「だから、まずは
演者を乗せることから憶えなきゃ」
っていうような話を、
腹が立ってきたものだから、
そのディレクターに、
延々と話してしまいまして……(笑)。 |
糸井 |
そういうときって、自分が、
なんかうるさい人みたいに思えてきますよね(笑)。 |
三宅 |
そうなんですよ。
そこに、たまたま一緒にやっているADがいて、
そのディレクターが帰ったあとに、
「おまえは、わかるだろう?
笑いっていうのは、
そういうことを勉強してるんだから……。
あいつにうるさいやつとかなんとか思われても、
オレはもうかまわないけど」
そういうことを、言ったんです。
そういうことすると、
発注が来なくなるんだろうけど(笑)。
でも、土屋さんがおっしゃったように、
そういうことって、けっこうありますよね。 |
土屋 |
すごくわかります。
たけしさんにしても、みなさんにしても、
若手のテレビ制作者に対して、
「おまえらが、わかってないから、
テレビの世界に物足りなくなるんだ!」
そういうことを言うと、
自分のところの若いヤツの
悪口になっちゃうし、
イヤなジジイみたいな
言いかたになっちゃうんですけど……
でも、正直、そうですよね?
こないだ、三宅さんと糸井さんと
話をしたときにも、やっぱり結局、
こういう考えかたについて触れていて、
職人の「住み込みによる受け渡し」についての
話になっていったんですけど……。 |
三宅 |
「表面的なことではなくて、
本質的なところを、誰も教えていない」
という。 |
糸井 |
さっきの
「自分を粗末に扱ってほしい」
という、鶴瓶さんの考え方みたいなものと
重なると思うんですけど、
おもしろい仕事のコツって
「どれだけ自分を消すか」ということですよね。
ディレクターが、
いくらいい台本を持っていても
「それをそのまま使ってください」では
「ぼくを褒めてください」
というメッセージしか、
伝わってこないですよね。
それに、出る側としては、
そういう台本が来るとイヤですし。
「あの、ここに
メモがわりのものがありますけど、
まぁ、どこを取ってもいいんですが、
このあたりのところにいくと
うれしいんですけど……」
そう渡してくれたら、
へぇ、と思って台本を読みますよね。 |
三宅 |
まさにそこを、
われわれは「演出」だと思ってるんです。 |
糸井 |
やっぱり、そこですよね?
「あくまで下敷きの、
下調べだけはしておきました。
捨てちゃってもいいんですけど、
一応は、こういうことです」
そう言われたら、
どうおもしろくしようか?と、
ディレクターが自分を消してくれたおかげで
乗りこめるんです。
鶴瓶さんの話も、
「オレはすごいだろう」
の部分を消しているおかげで、
どこにでもおもしろいところへ
入っていけるんです。
覆面して遊ぶのと、おんなじですよね。
このあいだも出た徒弟制度の話ですけど、
大工の徒弟制度で憶えさせることって、
あれはぜんぶ
「自分を消させる仕事」なんですよね。
つまり、大工の腕というのは、
頭で憶えたところで意味がなくて、
腕が憶えるまでは憶えない、という……。 |
三宅 |
なるほど。 |
糸井 |
カンナをかけるっていうことを
憶えるのには、腕で憶えるしかないし、
「どこで生まれて、一応、大学も、
いいところを出てるんですよね」
という優越感なんて、そういうときには
ものすごく邪魔になってしまう。
だからこそ、住み込みで、
そういうところを
ぶっ飛ばしていくという……。
そういうことを思い出して、
「早い話が、どれだけ自分を
消せるかというのが、
仕事のコツかなぁ?」
と、昨日、思ったんです。 |
三宅 |
台本は、
「こうなれば、いいなぁ」
というような下敷きですよね。
生放送をやると
「三宅さん、追いこむ状況を
作るのが好きですよね」
と言われたりもするんですけど、
こちらとしては
「ふたりで、このことについて
話したら、おもしろそうだなぁ」
というだけなんです。
そのほうが、
おもしろそうだというだけですし。
……なんらかの狙いがあったとしても、
自然の流れでそうならないと、
見ている側も感情移入ができませんし……
やらせと演出の違いって、ありますから。 |
糸井 |
リハーサルで
「こういうことを話してください」
というようなことを言われて、
そのとおりにやらせるような番組って、
しゃべっているディレクターは、
結果を知っていて
しゃべっているわけですよね。
できあがっちゃっていれば、
出演者もテレビを見る人も、
もう誰も驚きようがないわけで……
出ている人が謎を解いてくっていう
プロセスがないと、驚けないんです。
それなのに、ぜんぶを
段取ろうとする人が、けっこういますよね? |
三宅 |
ええ、おかしいです。
まずそれは、タレントさんを
信用してないからそうなるんですよね。
いまのディレクターの中には、
「段取りが演出だ」
と思っているヤツも
いるところがあるんですね。 |
糸井 |
今日の最初の話のセックスに例えたら、
「わたくし、これから、右側の乳首を
3秒ほど舐めさせていただきますので、
そこで、おそらく何か感じられると思うので、
まぁ、体をねじっていただいて……」
ということですよね。 |
三宅 |
「ちょっと、キャッとか、ウッとか、
こう、あえぎ声を出していただいて。
感じていただいたら、もっといいですねぇ」 |
糸井 |
(笑)そういうふうに
番組を作ってる人が、
いっぱいいるということですよね? |
三宅 |
本質がなくて
カタチだけ上手になるというのは、
そういうところなんです。
大将なんかも、演出にこう言うんです。
「じゃあ、どうしろっていうんだ?
オレは、どこでも好きなところから
出ていってもらって、
『沸かしてください』
と言われたほうが、気がラクなんだ。
結局は、おもしろくすればいいんだろう?」
だから、
そこの気持ちを、どうやってあたためるか、
ということになるわけで。 |
土屋 |
お笑いって、息だと思うんですよね。
当然、コンビとは合わせるわけだけど、
『27時間テレビ』の「かま騒ぎ」でも、
全体に共通した
「こうやるとおもしろくなりますよね?」
というのを、芸人さん側が、
息だけで伝えていく感じがあって……。
そこに、ニヤッとこちらの
制作側が息を合わせることが、
できるかできないか、
というところだと思うんです。
息のコミュニケーションを、
理解するかしないかというところを、
どうやって、テレビマンたちに
伝えていくのかという気がするんです。 |
糸井 |
「そこのところをちゃんと
怒ることのできる三宅さん」とか
「自分のやりにくいことを考えては
課していく鶴瓶さん」とか、
みんな、方法が、くそまじめですよね。
そういう人たちのほうが、
長持ちするだろうなぁ、と、
横で見ていて思います。
きっと、ずっと、遊んでいたいんでしょうね。 |
三宅 |
摸索しながらやっていくと、
人生が激しくなりますよね。 |
糸井 |
そうでしょうね。 |
|
(次回に、つづきます) |