ダ・ヴィンチ×ほぼ日刊イトイ新聞 共同企画 中島みゆきさんとの、遊び時間。 『真夜中の動物園』をめぐる120分。
その7 目に見えない、魂みたいなもの。
糸井 歌には、三位一体みたいなところがあってさ。
シンガーであり、作詞家であり、作曲家であり、
アレンジャーでもありみたいな、
要素としてはものすごくいっぱいあって、
その全部を引き受けて、最後にできるものって、
ちょっと不定形な建築物みたいなところがある。
「ここのところがダメでも、
 最後のシンガーの私がカバーしますよ」
と思っていても、ライブなんかでは、
劇場の雰囲気と、用意してきた歌が
合わないってことだってあるわけだし、
バランスを壊してもバッティングになるというか。
歌にかぎらず、欠点だらけですからね、
だいたいのものは。
みんなで支え合いですから。
── そうやって作っていくものは、
たぶん品質管理とか製品としては
きっといいものが出来ると思うんですね。
でも一刀彫の彫刻としては
どうなんだろうというのがあったりして。
一刀彫の彫刻をやっぱり見たいよな、
とかって思ったりもするんです。
製品は他でも見れるからと。
糸井 石碑ってあるじゃないですか。
石碑の文字を書いている
おおもとの書家がいるわけですよね、
書の達者な人がね。
それを貼り付けて彫っているわけですよね。
それって書が持っている速度だとか、
そういうものが全部ないのに、
また拓本を取ってお手本にするんですよね。
中島 ははははは、なんなんだろな。
糸井 ものすごいと思いますよね。
書いている本人は、
絶対塗り直しとかしないはずですよ。
なのに石碑になったときには、
それはそれでもうひとつ、価値を持つ。
だから、わかんないんだよ。
神秘になってしまうけど、
受け継がれていくのは、
唯一なにか目に見えない、
魂みたいなものなんで。
つまらない字が石碑になっても
つまらないと思う。
でもグッシャグシャに直して、
悪戦苦闘のあとが
人に気付かれるんじゃないか、
と思うようなものでも、
あとでスッとできたかのように、
みんなに受け入れられるってことだって
ありますよね。
中島 ありますよ、いーっぱい。
それを舞台で歌うとき大変なんです。
何番目に書いた詞だったか、
そこへ戻っちゃったりして。
で、何か違いますかって顔をして
歌っちゃうんです(笑)。
‥‥違うんですよね(笑)。
糸井 泣けるほどきつい話だね、それは。
中島 ね、困ったもんですよ。
糸井 ご自分でお作りになっているがゆえの。
でも、シンガーの私が
最後は責任を取るっていうかたちで、
鳴り物としてぶつけるわけじゃない。
中島 そうですよね、はい。
糸井 そこを、今まで全然話題に
してこなかったなと思って。
── みゆきさんの歌手としてだったり
声のすごさというのは
あんまりみんな話題にしてこなかった
と思うんですね。
作品性に目が行っちゃったりしてて、
声とかボーカリストとしてのすごさとか
“鳴り”とかというものは‥‥。
糸井 「語られてないなぁ」
という実感はありましたか?
中島 いや、語られてないもなにも、
自分でうまい歌手だとは思っていないもの。
さっき言った、今よりも昔のほうが
うまかったなっていうのは、
今より昔がマシだったな、
という程度の感動であって、
上手な歌手ではないな、
っていうのがありますから。
糸井 歌のうまさを求められても、
知ったこっちゃないっていう
気持ちがあるでしょ、当然。
中島 はい。無理です。
糸井 そっちに行こうとも思ってないですよね。
中島 それだったら、もうね、
まず音楽学校に行って、
声楽科からやり直さないとダメですよ、
それを目指すなら。
糸井 食べ物まで変えてとか、体操してとか。
中島 ちゃんとやらないとですね。
でもね、幸か不幸か、
ボーカルトレーニングに行ったときの先生が、
「あなたの歌い方にはものすごい癖があって、
 今の歌い方を続けると喉を潰す恐れがある、
 無理がかかるところは直しましょう。
 でも、正式な発声法に全部直したとき、
 あなたらしさって言えるかどうか
 わからないから、そこは直しません」
って言われたんです。
それは今からすればラッキーだったかも。
直そうと思えば直せたんですよ、あの時点で。
糸井 えっ、あの時点っていつ?
中島 一度目はデビュー直前だし、
二度目は、えーと、いつごろだっけなぁ、
『36.5℃』とか、あのへんですかね(*)。
で、「夜会」をやろうとしてたんですよね。
すると、自分の音域じゃない声も
使わなきゃ役になれないから、
ちゃんと勉強しなきゃダメかもってんで
習ったときですね。

*『36.5℃』1986年発表の
 14作目のアルバム。

糸井 覚悟したんだ。
変わってもいいぐらいに思ったんですか?
中島 広い声が出せるんならね。
デビュー以来、ずっと自分の音域に合わせて
曲が存在していたんだけれども、
出ないところはもう
オクターブ下げちゃうみたいなことで、
これじゃ「夜会」は成立しないな、
これを広げる方法を
勉強しなきゃなと思ったのね。
本気で広げるもなにも、
ミュージカル女優に
なりたいってところまでやるなら、
歌い方から変えなきゃダメですよね。
発声法から変えなきゃ、ああはならない。
糸井 本人としては、そうしなさいって、
もし先生に言われたら、
ハイって言うぐらいの気持ちはあったんですか?
中島 いや、どっかでぶつかったでしょうね。
糸井 そうだろうな。だって、いわば
全財産を失うみたいなことだもんね。
中島 ミュージカル女優に、
とことん転身したいんだったら、
やったかもしれないけど、
一応自分のアルバムもやっていくので、
アルバムがいきなりミュージカルに
なっちゃうっていうのは、いかがなものかと。
糸井 でも、近いところまで、
なにかできることがあるんだったら
私はしますよって覚悟はあったんだね。
中島 そうそう。
この、めんどくさがりの私がね。

(つづきます)
2010-10-21-THU
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