── |
今回のアルバム、
「それにしても、こんな絶望的なことを‥‥」
と思ったところもありましたけれども。 |
中島 |
えーっ、そうっすか? そうっすか?
どっか絶望しました?
けっこうポジティブだと思ったんですけどね。 |
糸井 |
それは逆に、ちょっと参考までに
聞かせてください。 |
── |
「負けんもんね」の
「失えば その分の 何か恵みがあるのかと
つい思う期待のあさましさ」
というところなんて‥‥
失った分、何かを得るんだという発想が、
人間が生きていくうえで、
最後の救いのような気がするんです。 |
中島 |
いやいや。
見返りを期待しないところから、
世界は開けるんじゃないんですか。 |
── |
それでも頑張れって言うから、
すごいな、そこまで言うんだと思って。 |
糸井 |
ぼくはもっと稚拙に、
同じテーマの歌を作っていますよ。
「さんざんなめにあっても!」っていう(笑)。 |
中島 |
まんまですね、はい。 |
糸井 |
それは亡くなった
忌野清志郎が歌ったんですけど、
清志郎の歌って甘えん坊だから、
「君」がいるんですよ、いつも。
君さえいればどんなめにあったって大丈夫、
って、それはのろけじゃないか?
と前から思ってて。
ぼくは、彼女がいるって、
「全部がある」ってことじゃんと思ったから。
だからぼくは、そういうのもいないという歌を
清志郎に歌わせたかったので作ったんです。
本人はぴんと来てなかったかもしれないけれど。
で「さんざんなめにあっても!」なんだけど、
さんざんなめにあったからって
それはしょせんそう考えてるだけなんですよね。
今ここに生を与えられたあなたというのは
考えてるあなたよりも大きいし強いし、
みたいな気がするんですよ。
だからぼくはぜんぜん絶望じゃないと思いますよ。 |
中島 |
絶望的に見えるって、
今までのいろんな曲でも
言われることは、ままあるんですよね。
それ以上のものを信じることができれば、
それは些細な絶望じゃないですか。 |
糸井 |
おお、パチパチパチパチ(拍手)。
我が意を得たり!(笑)
うちの子はね、そういうね(笑)。 |
中島 |
お父さん、ありがとう(笑)。 |
糸井 |
要するに、悪いことが重なりました、
でも、そのぶんだけいいことがありました、
っていうのは、
悪いことといいことに、価値だとか、
分量があるという発想なんですよ。
だから「ちょっと悪いこと」があって、
「ちょっといいこと」があったっていうときに、
「もっといいこと」に対しては
「大したことないんですよね」になる。
つまり相対的な価値なんです。
そうじゃなくて、いいことだの悪いことだの、
価値なんかも全然関係ないところに存在する
“なにか”っていう、
素晴らしいとさえ言わなくてもいい、
「だって“いる”んだもん」っていう。
幸と不幸は、出世合戦の中に
取り込まれちゃうんですよ。
そんなの、関係ない、うちの子は。 |
中島 |
あはははは、小さいことよ、小さいこと。 |
糸井 |
係長より課長が、とかっていうような
順列の中に幸せはない。
きっといいことがあるさって言っても、
なくてもいいじゃないか。
それはね、死にそうな人に
そんなことは言えないよ。
でも、とんでもない目に遭っている人って、
物理的になにか力関係でなっているわけで。
本質としては、俺はゼロのものっていうか、
それは否定されるものでも、
肯定されるものでもなくて、
“ある”んだからいいじゃんっていうものだと
思いますけどね。
みゆきさんの歌は、ずーっとそのことを歌ってる。
「小さき負傷者たちの為に」という歌があるでしょ。
それも、両側のことを言って、
同じにバランスを、どっちとかじゃねーよみたいな。
こっちの味方ですよとも言ってないんですよね。
そこでそういう人がいるんだったら、
とりあえず私は今、
「小さき負傷者たちの為に」って言いましょうと。
だから大きさとか順列みたいなものを
スーッと壊せているっていうのが気持ちいいなぁ。 |
中島 |
(だまって、じっと聞いている) |
糸井 |
吉本隆明さんの、お墓の話っていうのがあってさ。
自分の家のお兄さんは電気屋さんで、
電気屋さんのお兄さんと、その息子さんと一緒に、
電気屋さん協会の会長みたいな人と
お墓参りに行ったときに、お兄さんの息子が
「ちっちぇえお墓だなぁ」って言ったと。
そうしたら、お兄さんの尊敬している
電気屋さん協会の会長という人が
「坊やね、お墓は小さいほどいいんだよ」
って言ったっていうんだよ。
それを、そこにいた吉本さんが、
兄貴があの人を好きな理由は、
こういうことを言える人だからだなと
思ったっていう話があってさ。
「お墓は小さいほどいいんだよ」
っていうのを、スッと子供に言える。
小さいほどっていうことを、
ちょっと抑揚は付けているけど、
大きいに対する小さいが立派だって
言っているんじゃなくて、
すごいでしょう。
だからそういうカッコよさをさ、
詩人達って持っててさ。
うちの子もね。 |
中島 |
親もね(笑)。 |
── |
じゃあ、ぼくらがかっこいいなと思う
言葉や歌というのは、そういうものが、
どこかでふっと鼻先をかすめるから、
そう思うんでしょうか。 |
中島 |
そうかもしれないですね。
書いてあること自体は、
大したこと書いていないですからね。
私は書ききれたと思いませんもん。
「さあ、100パーセント書ききれた、
わかるもんならわかってみろ」っていうのは、
一回もないもんね、まだ残念ながら。
「書ききれなかったけど、けど実は、
ほらほら、だから、そこのさ」
っていうところを、
聴く人や読む人が持っていて、
「あれだな」ってわかるから、
楽しいんじゃないんですか。
そこのところを評論家の人は
こうだって決めて書くわけですよね。 |
糸井 |
みゆきさんは問いかけのほうに
興味があるんじゃない?
こうだよって答えること以上に、
「なに?」っていうときの
発見のほうが面白いんじゃない? |
中島 |
フフフフフフ、うんうんうん。 |
糸井 |
それは自分もそうだけど。 |
中島 |
で、散らかっちゃうんですね、どんどん。
他の人が一所懸命、
答えを出してくれていたりなんかして、
その出た答えを見て、
こっちがビックリしちゃったりして。
「この曲はこういうことを書いた曲なのである」
って書かれたりして、
「へー、知らなかったなぁ〜」みたいな。
そういういろんな解釈されますでしょ。
で、論みたいなのを書かれるでしょう。 |
糸井 |
ぼくはないですよ。ぼくはだって、
仕事があやふやにできる場所が少ないですもん。
どこか機能の中で仕事をやっている。
「よくわかります」とか言われたい人だから。 |
中島 |
あははは、「よくわかります」。 |
糸井 |
でもみゆきさんは、
どう転がるんだろうっていう、
不定形なものを
転がしていっているような仕事だから、
それはもう、その性格が向いていますよね。
「その解釈はやめて」とか言わないもの。 |
中島 |
なるほどね、だから完成しないのねぇ。 |
糸井 |
評論家の人は、もっとみんなが遊べるように、
膨らませたり、広げたり、
転がしたりしてくれたら嬉しいですよね
お母さん。さっきちょっと娘でしたけど、
お母さん(笑)。 |
中島 |
そのうちおばあちゃんにもなりますからね。 |
糸井 |
声色を変えますからね。 |
中島 |
オホホホホ。
(つづきます) |