 |
 |
糸井 |
森さんは、いま、おいくつですか? |
森 |
えっと、ちょうど五十です。 |
糸井 |
あ、五十ですか。 |
森 |
はい。 |
糸井 |
ぼくの経験からするとね、
そこからは、妙に短いんですよ。 |
森 |
そうですか。 |
糸井 |
うん。ぼくは、
「五十になっちゃったよ」って思ってからが、
ほんとに短かった気がする。
それは、ちょっと損した気がするくらい(笑)。 |
森 |
ああ、時間って、年を取れば取るほど
どんどん早く流れるって言うけれど、
それに加速がついちゃう感じですかね。 |
糸井 |
あの、何かをやってる分量は
たぶん若いときよりも多いと思うんです。
で、経験もきっとたくさんしてるんだけど、
なんていうか、五十を過ぎると
いろんなことに対して
「流していかないと間に合わない」
っていう感じになってくるんです。
だから、つぎの飛び石、つぎの飛び石って
どんどん飛び移ってるような感じで、
自分が前に進んじゃってる距離と速度と、
時が後ろに流れることのかけ算で、
どんどん時間が短く感じられる。 |
森 |
はい。 |
糸井 |
若いときはもうちょっと、
雲の流れを見ているときみたいに、
「俺が止まってるのかな?
雲が止まってるのかな?」
みたいな時間っていうのを味わえたんですけど、
いまは旅にでも行かない限り、ないですね。
それで、というわけでもないんですけど、
ぼくは毎年、自分の年齢を
一歳間違えちゃうんですよ。
なぜか、余計に言っちゃうんです。 |
森 |
つまり、感覚では
もっと先に行ってるような気分なんですね? |
糸井 |
そうそう。
「おいくつですか?」って訊かれたときに、
‥‥えーっと、ほんとはいくつだ(笑)?
五十八か? うん、五十八歳なんですけど、
心はもう、完全に「ほぼ六十」というか、
そういう気分でいるんですね。
誰かが「あと二年あるじゃないですか」
って言ったりするんだけど、
ぼくの感覚としては、その二年は、ぜんぜんない。 |
森 |
じゃあ、本来は未来形であるはずの
「六十歳」っていうのは、
糸井さんの中でけっこう
大きなメルクマールなんですか? |
糸井 |
大きいです。
六十歳を定年の年齢ととらえて
いろんなことを言ってる人たちの気持ちは
リアルにわかりますよ。 |
森 |
それは具体的にはどういう気持ちですか。 |
糸井 |
なんていうんでしょうね、
六十歳は、もう、
相手に譲っていかなきゃいけないっていうか、
どっちでもいい場合には
相手の意見を通そうと思いますね。
六十になったらそうしたいなと。 |
森 |
ああ、うん、うん。 |
|
 |
糸井 |
それを、いまから
練習してるみたいな気持ちはあります。 |
森 |
その、「どっちでもいい領域」が、
大きくなるか小さくなるか、
っていうのもあると思いますが。 |
糸井 |
譲っていく領域は、
大きくなっていきそうな気がしますね、ぼくは。 |
森 |
でも、もっと年をとって、
六十五ぐらい超えたら、
またどんどん小さくなるかもしれないですね。 |
糸井 |
どうでしょうねえ。
あの、
「せっかくオレなんだから、オレらしくしよう」
っていう気持ちは、
じじいになると大きくなると思うんですよ。
いまはどんどん譲ってる気持ちですけど、
どこかの段階で、もう一回、
「何か、美味いもん食わしてくれよ」
っていうような気持ちになる可能性はありますね。 |
森 |
うん。 |
糸井 |
ただ、若い人たちと仕事をしていると、
「ああ、自分の感情が動かなくなってるな」
って感じることはふつうにあって、
それを悲しむつもりはまったくないんですけど、
最近、自分が売り渡しちゃったものっていうものの、
勘定をするようにはなりましたね。 |
森 |
「売り渡してしまったものの勘定をする」。
それは得たものじゃなくて、失ったもの? |
糸井 |
だと思いますね。
そういうの、森さんは、どうです? |
森 |
うん、わかります。
いろいろと非情になってるっていうかね。
前だったらきっともっと気持ちが動いてたはずなのに、
何か動かないな、みたいなことはあります。
でも、その瞬間には気づかないんですよね。
何かの弾みで誰かに指摘されたり、
しばらくして振り返ってみたりしたときに、
あれ、そういえば昔、これで、泣いたよなとか
怒ったよなって思うような感じで。 |
糸井 |
何か違うものになってるんですね。
なんというか、
湿り気がなくなっているという感じで。
でも、どちらかが間違っている
というわけではないと思うんです。
たとえば住宅の大黒柱って、
生木では、つくれないじゃないですか。 |
森 |
はい、乾燥してないとだめですね。
だから、両方ありますよね。
ぼくの場合でいうと、
いい意味でも悪い意味でも
まわりに対して、
少し鈍感になっていくというか。 |
糸井 |
うん、鈍感にならないと
回していけないっていうか、
責任が取れないっていうことも
多くなってくると思うんですね。 |
森 |
そうですね。うん。 |
糸井 |
いち選手だったときには
盗塁が得意な選手でしかないけども、
監督になったときには
その盗塁の失敗っていうのが、
誰かの人生を変えちゃうぐらいの
大きさであるかもしれないっていうことを
いつも意識しちゃうことになる。
でも、選手のときに
つねにそれを意識していたら
スタート切れませんよね。
だから、鈍感になったというのは
「必要な整理」なのか、
もしくは、そういう失い方をして
人間は変化していくのか。
どっちにしても、ぼくは別に、
やなことだとは思ってないんですけどね。 |
森 |
一般的には、年を取ったら、
男は頑固になるっていいますよね。
視野がどんどん、狭くなるという。 |
糸井 |
そうですね。
でも、ぼくはどちらかというと逆で、
若いときのほうが狭かったと思う。 |
森 |
「若いころはとんがってた」ってやつですか。 |
糸井 |
自分を守るために
排除するものが多かったような気がするんですね。
だから、年取ってから
「排除しないおもしろさ」
に気づいちゃったものだから、
あの、いまは、とっても楽しいですよ。 |
森 |
ということは、
これから頑固になるのかもしれないですね。 |
糸井 |
そうですかね。
ああ、なるかもしれないなあ。 |
森 |
まだまだその年じゃないっていうことですよ。 |
糸井 |
そうかな(笑)。 |
森 |
うん。 |
|
 |
|
(続きます)
|