糸井
あの、森さんのラジオにゲストで出たときに、
久しぶりにああいう場所で
きちんと自分のことを訊かれたな、
という感覚があったんですよ。
森
そうなんですか。
糸井
はい。なんていうか、いまって、
自分のことばっかり語ってる人たちが
ものすごく多い時代ですから。
森
ああ。あ、なるほど。はい。うん。
糸井
ああ、この人は、
きちんと相手のことを訊く人なんだと思って。
だから、今度会うときには、
逆に森さんのことを
訊いてみたくなったんですよね。
森
ありがとうございます(笑)。
糸井
森さんは、映画を撮るまえは、
テレビ番組の制作会社に
いらっしゃったわけですけど、
それ以前から映像には関わっていたんですか。
森
そうですね。
高校時代に8ミリ映画を友人たちとつくって、
で、大学時代に映研に入って。
けっこう、その頃って
8ミリ映画が盛んだったんですよ。
のちに「自主映画世代」って言われるんですけど。
映研のほぼ同期の人たちに限っても、
黒沢清とか、万田邦敏とか、
あと、塩田明彦とかね、
あとサークルには入ってないけど、
周防正行や、青山真治とか。
糸井
はー、すごい顔ぶれですね。
森
日芸行ったら石井聰亙がいて、
緒方明や阪本順二がその助監督だったりして、
わりとその、固まってるんです。
関西には林海象や瀬々隆久がいたり、
東大にいた佐藤真は
もう小川プロに入っていたのかな。
で、ちょっと上の世代には井筒(和幸)さんとか、
大森一樹さんとか、森田芳光さんとか
‥‥まだまだいっぱいいますね。
みんな、8ミリ撮ってたんです。
糸井
どうしてその世代に
そんなに固まってるんでしょうね。
森
なんでしょうね‥‥。
前、緒方明と話してたときに
彼が言ってたんですけど、
ぼくたちの世代って中学、高校時代に
いろんな刺激を受けているんですよ。
テレビを見れば、連合赤軍や、よど号の事件や、
安田講堂陥落のニュースをやってる。
で、アメリカではウッドストックがあって、
映画館に行けば、
『イージーライダー』や『いちご白書』っていう
アメリカンニューシネマをやってる。
そういう刺激をたくさん受けて、
インプットは多かったんだけど、
高校に入ったときには
バリケード封鎖なんかもう大昔に終わってる。
じゃ大学かと思って大学に行ったら
やっぱり大学もすっかり変わっていて、
もうみんな、ボタンダウンのシャツに
綿パンはいて、バインダーをつけて、
キャンパスを闊歩してるみたいな。
糸井
うん、うん。
森
つまり、たくさんの刺激を受けたけれど、
その「持ってき場」がないわけです。
そういう、ちょっとくすぶっている状態で
大学に入ったときに、
唐十郎さんとかつかこうへいさんの舞台が
全盛期だったんですね。
まあ、要するに青臭い政治的な衝動が
映画や舞台という場所にぎりぎり燃え残っていて、
それに火をつけられて
「じゃ、映画つくろう」みたいな感じで
流れていったんじゃないかと。
そういうことを緒方明が言っていて、
ぼくもそうかなと思ったんですけど。
糸井
ああ、なるほどね。
森
あともうひとつは、技術的なことで、
ちょうどぼくが大学に入った年に
8ミリで「同録」が可能になったんです。
糸井
つまり、映像を撮るカメラで
音声も同時に録ることが可能になった。
森
そうです。
それまでは8ミリで同録ってできなかったんですよ。
カメラで映像を撮りつつ、
別にデンスケ(バッテリー駆動の録音機)
を持っていって、
あとで編集でつなぐしかなかった。
劇映画の場合はアフレコが当たり前。
それがカメラ1台で撮れちゃうようになって、
作業的にも、金銭的にも、
ずいぶん気軽になったんです。
糸井
トライするチャンスが
圧倒的に増えたんですね。
森
ええ。技術的な幅が広がったその時期に、
いろんな理由でくすぶっていた人たちが
「じゃ映画だ」ってトライすることができた。
それで、あの時代にどっと自主映画が
つくられたんじゃないかと思うんです。
糸井
なるほどね。
あの、ぼくの世代というのは、
森さんたちよりもひとつ上の世代で。
森
はい。
糸井
いま森さんが言った事件やニュースを
ぼくらはまさに体験しているわけなんですけど、
森さんたちの世代とは
やっぱりとらえ方が違うんですね。
森
うん。
糸井
ひと言でいうと、あとの世代の人たちのほうが、
「なにもなかった」ということを
引きずっているように感じてたんです。
つまり、虹の向こう側に行ってみたら
何もありませんでした、みたいな気持ちですね。
でも、ぼくらの世代に何かが見えていたかというと
そんなことはないんですよ。
ぼくらは、いわば、
虹の真ん中みたいなところにいたんで、
台風の目の中にいるのと同じようなことで、
自分たちのいる場所が見えないっていう
そんな時代にいつもいたような気がするんですね。
森
ええ。
糸井
ところが、七、八歳下の人たちは、
「ぼくらの世代のころには、
もう終わってたんだよ」
って、いつも言うんですね。
それが、何か、聞いてて
よくわかんなかったんですよ。
森
うん。
糸井
それが、いまの森さんの説明で
なんとなくわかるような気がするのは、
「フェンスの向こうのアメリカ」
みたいな世界というのを、
社会が、森さんたちの世代に
見せていたということですね。
森
ああ、たしかに。
そういった、なんていうんだろう、
あの、越えてみたらそこには
ぜんぜん何もなかったっていうのは、
たぶん糸井さんの世代も同じですよね?
糸井
そうです。
いつだってそうだと思うんですよ。
森
もしかしたらずっとそうなのかな。
糸井
ずっとそうなんだと思う。
もう、追えば逃げる逃げ水みたいなもので。
森
ああ、なるほど。
糸井
虹の根元を探しに行くっていうことは
もうそれこそフィクションの
大きなモチーフですからね。
『オズの魔法使い』だとか『青い鳥』だとか。
だから人間の思考の
パターンなんじゃないかと思うんです。
青春のね。
森
大きなテーマですね。
憧れと喪失。とても普遍的なことなんですね。
糸井
だから、まあ、ぼくは、
その世代の真っ直中にいた当事者というよりは、
あの時代のおこぼれをもらったくらいの
人間なんですけど、
「なにもなかった」ということを
個人的には引きずれないな、
と思っていたんです。
森
うん。
糸井
たしかに、ぼくらが実際に見たものは
たくさんあると思うんです。
東京オリンピック、皇太子ご成婚、
安保、東京タワー、もういっぱいありますよ。
でも、そういうものを、
いま、思い出として整理はしてるけど、
どういうふうに追いかけたかなんていう
記憶はぜんぜんないんですね。
だから、あとの世代の人たちが
あたかも、どこかのところで
「主役がとれなかった」みたいな
こう、劇団チックな発想をしているときに
よく違和感を感じていたんだけれども。
森
うん、主役。そうですね。
糸井
その気持ちが、森さんの話を聞いて、
なんとなくわかったような気がしましたね。
あとの世代の人たちが
「ぼくらには何もなかった」と言ってるのって
ウソやポーズではなくて、
本当にそう感じているんだと。
(続きます)
2007-02-16-FRI
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN