糸井
坂本龍一っていう人は
ちょうどぼくと森さんのあいだの年齢なんですけど、
彼は学生運動を高校で経験してるんですよ。
森
はい。
糸井
で、高校生であれを経験した子って
やっぱりマセた子なんだね。
言うことも、ことによったら
僕らの世代よりも、過激なんですよ。
その違いが何かというと、
ぼくらのように大学で経験した世代というのは
多くの場合、田舎から東京に出てきて
ああいう刺激と出会ってるわけですね。
つまり、都会に出会うことと、
オトナや社会に出会うことが
いっしょだったんです。
森
はい。
糸井
そういう人たちと、
高校でバリケードつくってた人たちは、
似ているようでぜんぜん違うんです。
だから、坂本龍一の学生運動というのは
明らかに早熟な問題意識なんですよ。
森
ええ。
糸井
ぼくらの世代というのは
もっと混乱したものだと思うんです。
だから、自分がオトナになるにしたがって、
あのころの思いというのは、
ある年齢とかある地域に特有のものだったんだなと
わりに冷静に思えてきたりするんです。
こと、自分についてのことでいえば、
こう、「微笑ましい田舎者」みたいに
感じられるんですよね。
ただ、当時は、精一杯、
そういうことを言ってないと、
自分っていうものがわかんなかった。
森
うん、うん。
糸井
だから、何もなかったとはいえ、
あの時代で経験したものっていうのは
そういうふうに自分に作用したんです。
一方で、森さんたちの世代にとって大きいのは、
「そういうジャンルができていた」
ということだと思うんですね。
森
そうですね。
糸井
長嶋、王の後にどんなスターが出てきても、
彼らと同じ存在にはなれないのと同じように、
昭和、平成みたいな大きい流れの中で
「二十世紀の主役」を取られちゃったなあっていう、
そんな、「弟な気持ち」なのかなあ、
っていうふうに、いま思えるんです。
森
ああ、まさにそうですね。
すごく腑に落ちました。
糸井
そうですか?
森
うん。よくわかりますね。
わかるというか、
たぶん、そうでしょうね。うん。
糸井
あの、最近、ぼくに
「団塊の世代について語ってください」
っていうオファーがやたらに来るんですよ。
でも、いま言ったように、ぼくには
そういう意識がまったくないので
語れないから全部断ってるんですけど、
どうしてそんなに同じ切り口の
取材が多いのかというと、
おそらく「弟側の気持ち」なんですね。
森
いまそういう番組や記事をつくっている人たちは
まさに「弟の世代」の人たちでしょうから。
糸井
だから、聞きたいんでしょうね。
「なんであんなにおもしろそうだったの?」
っていう、ある種、不平の集積なんでしょうね。
でも、少なくともぼくには整理し直す気はないし、
自分たちががんばったっていう
つもりもまったくないし。
本当に、田舎の子が都会に来てみたら
戦いの種類も速度も何もかも違ってました、
っていうだけだと思うんですよ。
東京の道を覚えた頃には、
東京の人のフリができるようになったっていう、
そういう物語でしかないと思っているから、
その、「団塊の世代として」って
語るつもりはぜんぜんないんですね。
森
うん。
糸井
こんなふうに自分の世代のことを
まがりなりにも語るなんていうことも
ひょっとしたらいまがはじめてのことで。
森
そうなんですか。
糸井
たぶん、さっき森さんがおっしゃった
森さんと同世代の映画の人たちの名前が
明らかに年下に感じられたから、
その差が見えてきたんだと思うんですけど。
森さんたちの世代の人たちって、
「道具を持ってる」という感じがするんですよ。
森
道具?
糸井
つまり小劇場っていうのも道具ですよね。
終わっちゃった学生運動なんていうのも。
森
はい、はい、うん。
糸井
で、いま聞いたら8ミリっていう道具もあって。
「全部、終わってたんだよ」とはいうものの、
それって、見方を変えれば、
終わってしまったものを全部、
新しいツールとして手にできるわけで。
森
ええ。
糸井
唐さんとかつかさんがせっぱ詰まって
苦肉の策で発明したようなことさえ、
どんどん、手法やツールになっていく。
ある意味ではそれが不幸だって
本人たちは言うかもしれないけど、
いやあ、いいじゃない、って
ぼくなんかは思いますね。
だから、「弟たち」は、
はじめからいろんなものがそろってて
それはそれでいいじゃない、と。
森
なるほどね。
世代的には、いま糸井さんが
おっしゃったとおりなんですよね。
上の世代が作ってくれたものを
ほとんど、踏襲してました。
たとえば大学入ってから、
ぼくは演劇部にも所属していたのだけど、
そこでやる演目が『熱海殺人事件』だったり
『腰巻きお仙』だったり。
糸井
ああ。
森
別役実さんだったり、清水邦夫さんだったり、
ベケットやテネシー・ウィリアムズもあったけれど、
でも考えたら、
スタニスラフスキー・システムも含めて、
踏襲されていたものばかりでした。
演劇だけじゃないですよ。映画もそう。
アメリカン・ニューシネマに
ヌーヴェルバーグはもうピークを過ぎていたし。
日本のATGだって僕の世代の前です。
音楽もそうですね。
フォークソングは僕の兄の世代だし、
ウッドストックはリアルタイムに聴いていないし、
ビートルズもものごころがついたときには、
すでに解散していたし。
考えたら、用意されていた手法やツールばかりを
消費していた世代です。
糸井
でも、唐さんだって、
『腰巻きお仙』をやるまえに
それをやる意味がわかっていたかというと
そうではないかもしれないし、
『腰巻きお仙』を見た人みんなが
その意味がわかったわけではないし。
森
それはそうですね。
糸井
そのあたりはもう、
誰もわかってないままに
ウネウネウネウネと
増殖していったんでしょうね。
(続きます)
2007-02-18-SUN
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN