第3回 弟の世代
糸井 坂本龍一っていう人は
ちょうどぼくと森さんのあいだの年齢なんですけど、
彼は学生運動を高校で経験してるんですよ。
はい。
糸井 で、高校生であれを経験した子って
やっぱりマセた子なんだね。
言うことも、ことによったら
僕らの世代よりも、過激なんですよ。
その違いが何かというと、
ぼくらのように大学で経験した世代というのは
多くの場合、田舎から東京に出てきて
ああいう刺激と出会ってるわけですね。
つまり、都会に出会うことと、
オトナや社会に出会うことが
いっしょだったんです。
はい。
糸井 そういう人たちと、
高校でバリケードつくってた人たちは、
似ているようでぜんぜん違うんです。
だから、坂本龍一の学生運動というのは
明らかに早熟な問題意識なんですよ。
ええ。
糸井 ぼくらの世代というのは
もっと混乱したものだと思うんです。
だから、自分がオトナになるにしたがって、
あのころの思いというのは、
ある年齢とかある地域に特有のものだったんだなと
わりに冷静に思えてきたりするんです。
こと、自分についてのことでいえば、
こう、「微笑ましい田舎者」みたいに
感じられるんですよね。
ただ、当時は、精一杯、
そういうことを言ってないと、
自分っていうものがわかんなかった。
うん、うん。
糸井 だから、何もなかったとはいえ、
あの時代で経験したものっていうのは
そういうふうに自分に作用したんです。
一方で、森さんたちの世代にとって大きいのは、
「そういうジャンルができていた」
ということだと思うんですね。
そうですね。
糸井 長嶋、王の後にどんなスターが出てきても、
彼らと同じ存在にはなれないのと同じように、
昭和、平成みたいな大きい流れの中で
「二十世紀の主役」を取られちゃったなあっていう、
そんな、「弟な気持ち」なのかなあ、
っていうふうに、いま思えるんです。
ああ、まさにそうですね。
すごく腑に落ちました。
糸井 そうですか?

うん。よくわかりますね。
わかるというか、
たぶん、そうでしょうね。うん。

糸井 あの、最近、ぼくに
「団塊の世代について語ってください」
っていうオファーがやたらに来るんですよ。
でも、いま言ったように、ぼくには
そういう意識がまったくないので
語れないから全部断ってるんですけど、
どうしてそんなに同じ切り口の
取材が多いのかというと、
おそらく「弟側の気持ち」なんですね。
いまそういう番組や記事をつくっている人たちは
まさに「弟の世代」の人たちでしょうから。
糸井 だから、聞きたいんでしょうね。
「なんであんなにおもしろそうだったの?」
っていう、ある種、不平の集積なんでしょうね。
でも、少なくともぼくには整理し直す気はないし、
自分たちががんばったっていう
つもりもまったくないし。
本当に、田舎の子が都会に来てみたら
戦いの種類も速度も何もかも違ってました、
っていうだけだと思うんですよ。
東京の道を覚えた頃には、
東京の人のフリができるようになったっていう、
そういう物語でしかないと思っているから、
その、「団塊の世代として」って
語るつもりはぜんぜんないんですね。
うん。
糸井 こんなふうに自分の世代のことを
まがりなりにも語るなんていうことも
ひょっとしたらいまがはじめてのことで。
そうなんですか。
糸井 たぶん、さっき森さんがおっしゃった
森さんと同世代の映画の人たちの名前が
明らかに年下に感じられたから、
その差が見えてきたんだと思うんですけど。
森さんたちの世代の人たちって、
「道具を持ってる」という感じがするんですよ。
道具?
糸井 つまり小劇場っていうのも道具ですよね。
終わっちゃった学生運動なんていうのも。
はい、はい、うん。
糸井 で、いま聞いたら8ミリっていう道具もあって。
「全部、終わってたんだよ」とはいうものの、
それって、見方を変えれば、
終わってしまったものを全部、
新しいツールとして手にできるわけで。
ええ。
糸井 唐さんとかつかさんがせっぱ詰まって
苦肉の策で発明したようなことさえ、
どんどん、手法やツールになっていく。
ある意味ではそれが不幸だって
本人たちは言うかもしれないけど、
いやあ、いいじゃない、って
ぼくなんかは思いますね。
だから、「弟たち」は、
はじめからいろんなものがそろってて
それはそれでいいじゃない、と。
なるほどね。
世代的には、いま糸井さんが
おっしゃったとおりなんですよね。
上の世代が作ってくれたものを
ほとんど、踏襲してました。
たとえば大学入ってから、
ぼくは演劇部にも所属していたのだけど、
そこでやる演目が『熱海殺人事件』だったり
『腰巻きお仙』だったり。
糸井 ああ。
別役実さんだったり、清水邦夫さんだったり、
ベケットやテネシー・ウィリアムズもあったけれど、
でも考えたら、
スタニスラフスキー・システムも含めて、
踏襲されていたものばかりでした。
演劇だけじゃないですよ。映画もそう。
アメリカン・ニューシネマに
ヌーヴェルバーグはもうピークを過ぎていたし。
日本のATGだって僕の世代の前です。
音楽もそうですね。
フォークソングは僕の兄の世代だし、
ウッドストックはリアルタイムに聴いていないし、
ビートルズもものごころがついたときには、
すでに解散していたし。
考えたら、用意されていた手法やツールばかりを
消費していた世代です。
糸井 でも、唐さんだって、
『腰巻きお仙』をやるまえに
それをやる意味がわかっていたかというと
そうではないかもしれないし、
『腰巻きお仙』を見た人みんなが
その意味がわかったわけではないし。
それはそうですね。
糸井 そのあたりはもう、
誰もわかってないままに
ウネウネウネウネと
増殖していったんでしょうね。
  (続きます)

2007-02-18-SUN


 
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