第4回 『イージーライダー』
糸井 何かと脱線してしまってすいません、
森さんの話に戻りますけど。
はい(笑)。
糸井 映画少年だったときに、
おもに考えてたことってなんですか?
うーん‥‥
何も考えてなかったですね。
もう、お酒と麻雀と女の子のこと、
あとは音楽と、やっぱり映画ですね。
糸井 いまの森さんにいちばん影響を与えた
映画っていうのはなんですか?
さきほども挙げましたけど、
やっぱり最初に観た
『イージーライダー』と
『いちご白書』でしょうね。
いきなりその二本立てを観ましたから。

糸井 ああ、濃いですね。
ええ。高一の春休みです。
友だちに誘われて観に行って、
ああ、こんな表現がある‥‥
いや、表現なんて思ってないですね、
「こんな世界があるんだ!」っていうね。
たとえば『イージーライダー』なんて
起承転結がないじゃないですか。
いきなり、脈絡もなく終盤で、
ピーター・フォンダとデニス・ホッパーの
ふたりが殺されちゃう。
糸井 はい。びっくりしましたよね。
うん。それがやっぱり
ものすごくリアルだったんでしょうね。
糸井 あの映画を観たとき、
ぼくはもう学生ではなくて
仕事をはじめていたんですよ。
でも、やっぱり、自分を
ピーター・フォンダ側に置いて観ていましたから、
どーんと殺されちゃったときは切なかったですね。
もう学生運動からは離れているんですけど、
気持ちが若者のままですから、
社会が自分たちに弾丸を撃ち込んでくる
っていうふうに思えた。
『いちご白書』もそうですよね。
つまり、この学校の中のユートピアを
戦争と権力がだめにしている。
全部こう、被害者の映画ですよね。
本当だ。言われて気づきました。
糸井 で、それで観てるときに、
それ以外の見方はできないんですよ。若いし。

はい。
糸井 よく覚えているのは、
石上三登志というペンネームで
映画評論を書いていた電通の今村昭さんが、
当時、『イージーライダー』というのは
甘えの映画だっていう評論を書いたんですよ。
つまり、これは胎児のおびえであると。
そういう甘えを描いた映画が絶賛されるのは
いかがなものか、というものだったんですね。
石上さんは世代としては‥‥。
糸井 上です。ぼくなんかよりも。
ああ、なるほど。
糸井 当時、ぼくは今村さんに会ったことがあって
ふつうにしゃべっていた仲だったんですけど、
その人が、『イージーライダー』を
そんなふうにとらえたということが
ちょっとショックだったんですよ。
うん、なるほど。
糸井 当時、まだ若者だったぼくには
そういう見方があるということが
理解できないんですね。
いまなら、こうやって
整理してしゃべれますけれども。
という気持ちが、森さんにはわかりますよね?
よくわかりますよ。
糸井 で、きっと当時それを読んでいたら、
森さんも拒否反応を示しますよね。
悔しくて泣きますね(笑)。
それは、そのとき自分がどこまで
胎児側にいたかということだと思うんですけど、
もうそれは際限なく
胎児側の人間だったと思います。
で、それはある意味で
いまも変わらないかもしれない。
あの、ぼくは最近思うんですけどね、
小学生の頃って、
中学生がすごくオトナに見えるじゃないですか。
糸井 はい。
で、中学生になると、
ちょっとひげが生えてきたような高校生が
すごくオトナっぽく見える。
ああ、自分もああいうふうに
オトナになるのかなと思いつつ、
大学に入ったら社会人、
三十になったら四十、四十になったら五十‥‥。
なんにも変わらないんですよね。
糸井 うん、うん。
ふと振り返るとね。
だから、ずーっとこう、
「きっと何か大きな転換期があって
 それでオトナになるんだろう」
と思いながら、気づいたらここまで来ていて、
内面的にはほとんど変わっていないような。
いつかはもっと思慮深く、包容力があって、
『カサブランカ』のボギーのような
オトナになる日が来るって、
なんとなく確信していたのだけど、
気がついたら何も変わらないまま
ここまで来ちゃった。
だって、ぼく、まさか五十になった自分が
いまだに少年ジャンプ読んでるとは、
十代のころは夢にも思わなかったですから。
糸井 うん(笑)。
だから、意外と変わらないんだな、
っていうのがあるのと同時に、
今日、こうして糸井さんと
振り返りながら話していると、
そうは思いつつも、
変わってきた自分がようやくわかってきたり。
糸井 そうですね。
『イージーライダー』が胎児の映画、
甘えの映画だっていうのは、
いま言われれば、なるほど、
まさしくそのとおりだなと思います。
それはやっぱり、
僕が変わってきたことの証左であって、
ボギーにはまだなっていないけれど、
ウディ・アレンの水準くらいには
近づいているのかもしれない(笑)。
でも、当時、それを言われても
たぶん、耳に入らなかったでしょう。
糸井 うん。そんなふうに言う人は
自分の敵だくらいに思うでしょうね。
はい。
糸井 敵がいないと生きていけない年頃、
っていう感じなのかな。
年もあるし、
時代もきっとそうだったんでしょうけど。
反権力とか反体制という言葉を、
今よりももっと素直に
受容できた時代だったと思うし。
糸井 うん、うん。
たとえば、もっとずっとあとに、
尾崎豊が出てきたときは
ぼくらはもうオトナじゃないですか。
はい。
糸井 そのときに
「盗んだバイクが」とか、
「校舎の窓ガラスを割って」
みたいなことを聞いても
「ああ、若いねー」って、
やっぱり思いますよね。
ノスタルジー的な感傷は覚えましたけれど、
たしかに等身大な感覚は持てなかったですね。
糸井 『イージーライダー』を
切なく観ていたときの自分は、
まさにそういうことを感じてたと思うんだけど、
いつの間にか、知らないうちに、
「窓ガラス割ってどうなる?」
って言えるようになっちゃってる。
うん。
糸井 やっぱり変わってるんだなと思いますよね。
それが、今日いちばん最初のところで出た
「湿り気のなくなっている」部分
ということになるのですか。
糸井 そうですね。
  (続きます)

2007-02-19-MON


 
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN