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糸井 |
何かと脱線してしまってすいません、
森さんの話に戻りますけど。 |
森 |
はい(笑)。 |
糸井 |
映画少年だったときに、
おもに考えてたことってなんですか? |
森 |
うーん‥‥
何も考えてなかったですね。
もう、お酒と麻雀と女の子のこと、
あとは音楽と、やっぱり映画ですね。 |
糸井 |
いまの森さんにいちばん影響を与えた
映画っていうのはなんですか? |
森 |
さきほども挙げましたけど、
やっぱり最初に観た
『イージーライダー』と
『いちご白書』でしょうね。
いきなりその二本立てを観ましたから。
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糸井 |
ああ、濃いですね。 |
森 |
ええ。高一の春休みです。
友だちに誘われて観に行って、
ああ、こんな表現がある‥‥
いや、表現なんて思ってないですね、
「こんな世界があるんだ!」っていうね。
たとえば『イージーライダー』なんて
起承転結がないじゃないですか。
いきなり、脈絡もなく終盤で、
ピーター・フォンダとデニス・ホッパーの
ふたりが殺されちゃう。 |
糸井 |
はい。びっくりしましたよね。 |
森 |
うん。それがやっぱり
ものすごくリアルだったんでしょうね。 |
糸井 |
あの映画を観たとき、
ぼくはもう学生ではなくて
仕事をはじめていたんですよ。
でも、やっぱり、自分を
ピーター・フォンダ側に置いて観ていましたから、
どーんと殺されちゃったときは切なかったですね。
もう学生運動からは離れているんですけど、
気持ちが若者のままですから、
社会が自分たちに弾丸を撃ち込んでくる
っていうふうに思えた。
『いちご白書』もそうですよね。
つまり、この学校の中のユートピアを
戦争と権力がだめにしている。
全部こう、被害者の映画ですよね。 |
森 |
本当だ。言われて気づきました。 |
糸井 |
で、それで観てるときに、
それ以外の見方はできないんですよ。若いし。
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森 |
はい。 |
糸井 |
よく覚えているのは、
石上三登志というペンネームで
映画評論を書いていた電通の今村昭さんが、
当時、『イージーライダー』というのは
甘えの映画だっていう評論を書いたんですよ。
つまり、これは胎児のおびえであると。
そういう甘えを描いた映画が絶賛されるのは
いかがなものか、というものだったんですね。 |
森 |
石上さんは世代としては‥‥。 |
糸井 |
上です。ぼくなんかよりも。 |
森 |
ああ、なるほど。 |
糸井 |
当時、ぼくは今村さんに会ったことがあって
ふつうにしゃべっていた仲だったんですけど、
その人が、『イージーライダー』を
そんなふうにとらえたということが
ちょっとショックだったんですよ。 |
森 |
うん、なるほど。 |
糸井 |
当時、まだ若者だったぼくには
そういう見方があるということが
理解できないんですね。
いまなら、こうやって
整理してしゃべれますけれども。
という気持ちが、森さんにはわかりますよね? |
森 |
よくわかりますよ。 |
糸井 |
で、きっと当時それを読んでいたら、
森さんも拒否反応を示しますよね。 |
森 |
悔しくて泣きますね(笑)。
それは、そのとき自分がどこまで
胎児側にいたかということだと思うんですけど、
もうそれは際限なく
胎児側の人間だったと思います。
で、それはある意味で
いまも変わらないかもしれない。
あの、ぼくは最近思うんですけどね、
小学生の頃って、
中学生がすごくオトナに見えるじゃないですか。 |
糸井 |
はい。 |
森 |
で、中学生になると、
ちょっとひげが生えてきたような高校生が
すごくオトナっぽく見える。
ああ、自分もああいうふうに
オトナになるのかなと思いつつ、
大学に入ったら社会人、
三十になったら四十、四十になったら五十‥‥。
なんにも変わらないんですよね。 |
糸井 |
うん、うん。 |
森 |
ふと振り返るとね。
だから、ずーっとこう、
「きっと何か大きな転換期があって
それでオトナになるんだろう」
と思いながら、気づいたらここまで来ていて、
内面的にはほとんど変わっていないような。
いつかはもっと思慮深く、包容力があって、
『カサブランカ』のボギーのような
オトナになる日が来るって、
なんとなく確信していたのだけど、
気がついたら何も変わらないまま
ここまで来ちゃった。
だって、ぼく、まさか五十になった自分が
いまだに少年ジャンプ読んでるとは、
十代のころは夢にも思わなかったですから。 |
糸井 |
うん(笑)。 |
森 |
だから、意外と変わらないんだな、
っていうのがあるのと同時に、
今日、こうして糸井さんと
振り返りながら話していると、
そうは思いつつも、
変わってきた自分がようやくわかってきたり。 |
糸井 |
そうですね。 |
森 |
『イージーライダー』が胎児の映画、
甘えの映画だっていうのは、
いま言われれば、なるほど、
まさしくそのとおりだなと思います。
それはやっぱり、
僕が変わってきたことの証左であって、
ボギーにはまだなっていないけれど、
ウディ・アレンの水準くらいには
近づいているのかもしれない(笑)。
でも、当時、それを言われても
たぶん、耳に入らなかったでしょう。 |
糸井 |
うん。そんなふうに言う人は
自分の敵だくらいに思うでしょうね。 |
森 |
はい。 |
糸井 |
敵がいないと生きていけない年頃、
っていう感じなのかな。 |
森 |
年もあるし、
時代もきっとそうだったんでしょうけど。
反権力とか反体制という言葉を、
今よりももっと素直に
受容できた時代だったと思うし。 |
糸井 |
うん、うん。
たとえば、もっとずっとあとに、
尾崎豊が出てきたときは
ぼくらはもうオトナじゃないですか。 |
森 |
はい。 |
糸井 |
そのときに
「盗んだバイクが」とか、
「校舎の窓ガラスを割って」
みたいなことを聞いても
「ああ、若いねー」って、
やっぱり思いますよね。 |
森 |
ノスタルジー的な感傷は覚えましたけれど、
たしかに等身大な感覚は持てなかったですね。 |
糸井 |
『イージーライダー』を
切なく観ていたときの自分は、
まさにそういうことを感じてたと思うんだけど、
いつの間にか、知らないうちに、
「窓ガラス割ってどうなる?」
って言えるようになっちゃってる。 |
森 |
うん。 |
糸井 |
やっぱり変わってるんだなと思いますよね。 |
森 |
それが、今日いちばん最初のところで出た
「湿り気のなくなっている」部分
ということになるのですか。 |
糸井 |
そうですね。 |
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(続きます) |