第8回 リスクとハザード
「怖さ」について、
ぼくの中で原体験になっていることがあるんです。
テレビの制作会社に入ってすぐ、
もう、ほんとに入社して1週間くらいのころに
「バンコク、香港、グルメ旅」みたいな
番組の収録にADとしてついて行ったんですよ。
それが自分にとって初の海外旅行で、
パスポートもあわてて申請して。
で、香港でロケをしていたんですが、
当時の香港には、まだ九龍の砦があったんです。
といっても中は危険で入れませんから、
ぼくらはその周囲を撮影することにしたんですね。
番組の案内役としていっしょに行ったのが
海老名美どりさんと
そのお母様の海老名香葉子さんだったので、
香葉子さん、そこ歩いててくださいって言って
離れた場所からロングで撮っていたんです。
そしたら、香葉子さんが
ふっと消えちゃったんですよ。
どうやら、九龍砦に入っちゃったみたいなんです。
そしたら、香港のコーディネーターが
もう、真っ青になっちゃって。
あそこに入ったらたぶん帰ってこれないとか、
命の保証はできないって言うんですよ。
観光客だけじゃなく、地元の人でも
あそこには近づいちゃいけないって
いわれてる場所なんだって。
たしかに、香港マフィアの巣窟のように
「地球の歩き方」にも書いてありましたからね(笑)。
で、どうしようかと。
もちろん帰るわけにもいかない。
じゃ、森、おまえ行ってこいっていうことになって
まあ、下っ端ですから、数人で中に入ったんです。
で、入ってみたら、まずふつうに小学校があった。
香港ってそうですよね。
ビルの中にいきなり小学校があったり、
歯医者があったり、市井の生活があるんです。
もちろん、
見るからに危なそうな場所もあるんですけど。
『ブレードランナー』の世界みたいな。
で、最終的には、いくつか階段のぼっていったら、
香葉子さんが手を振っててね。
何かそこの家の人にお呼ばれしたから、
いま、いっしょにお茶飲んでるの、って。
で、ぼくらもその家に入っていって、
いっしょにお茶を飲んだんです。
そのときに、お茶を飲みながら窓から外を見たら、
香港式に洗濯物がたくさん干されていて。
「あ、オレ、いま、九龍砦の中にいるのか」って。
そこにあるのは、ごくふつうの生活なんですよ。
糸井 うん。
地元の人たちですら
怖がって近づかない最凶最悪な地域。
ところが入ってみたら、
意外にふつうの生活がある。
でも、それって当たり前だよなって、
そのときに思ったのを覚えてますね。
糸井 その、「当たり前だよな」っていう感覚は、
ものすごく大きな「知」の形ですよね。
「知」の形。
糸井 一方で、その、
「そこに入ったら危ないです」っていうのは
俗に言う「知識」ですよね。
ふーむ。
糸井 「知識」の「識」を取っちゃって
「知」になると、急に何か変わる。
それが、すごくおもしろいなあって
いまの話を聞きながら思ったんです。
‥‥「識」を取る。
ようするに、分けないってことかな。
糸井 ものすごく危険だと言われている九龍の砦でさえ、
入ってみるとふつうの暮らしがある。
仮にそこにいる人すべてが盗賊だとしても、
盗賊は盗賊なりにご飯を食べてたりしている。
そうそうそう、うん。
糸井 そのことをわからない「知識」っていうのは
やっぱり、ものすごく邪魔なんじゃないかと
ぼくは思いますね。
なるほど‥‥。
‥‥ちゃんとわかっているのかな(笑)。
でもそうですね。
もちろん、時と場合にもよるんでしょうけれど、
「知識」だけではよくないというか。
あの、どこか知らない場所で
よくわからない食べ物が出てきたときにね、
みんなが「これはちょっとやめたほうがいいよ」
って言ってるときに、
ぼくは「ええ?」って言いながら
食べちゃうことがよくあるんですよ。
糸井 うん(笑)。
そういう経験からいうと、十人いて九人が
「これは危ない」とかって言ってるときはね、
危なくないんですよ。
糸井 ほぉー。
あくまでもぼくの経験則でいうと。
逆に、十人中六人ぐらいが
「危ない」って言ってるときの方が‥‥。
糸井 危ないんだ。
そっちのほうがむしろ
危険の確率は高いような気がするんです。
圧倒的に絶対多数が
危ないだの、怖いだのって言ってるときってのは
なにか違う力が働いているんですよね、きっと。
危なさって本来はとても主観的なものだと思うんです。
だからもっとばらつきがあって当たり前というか。
もちろん絶対的に危ないものもたくさんあるけれど。
でも日常的には意外に少ないんです。

糸井 あ、それはものすごく得難い、
ワンポイントレッスンですね。
そのへんは多少、学んだというか、
自分なりの経験則かなあ、と思ってるんですけど。
だから、百人中九十九人が
同じことを大合唱してるときってのは
たぶん外れてるぞと疑ったほうがいい。
むしろ、六十人、七十人が
言ってるときのほうがリアルだろうなと思います。
糸井 うーん、何かが働いてるからこそ、
つまり、自然数を越えた票が入るんだ。
はい。
糸井 おもしろいですね、それは。
でも、やっぱりたまに外すんですよ。
で、実際に火傷したりしてるんですけれど。
でも、なんていうのかな、
致命傷は滅多に受けないです。
糸井 ある意味では、
自然にあるものを自然に受け入れていれば、
それほど危なくはないということかな。
そういう傾向はあるかもしれませんね。
これは、聞いた話の受け売りなんですけど、
「リスクとハザード」という考え方があって、
この場合は、リスクを危険性、ハザードを毒性と
訳せばわかりやすいんですけど。
たとえば、マムシっていうのは、
毒蛇ですからハザードが高いんですね。
でも、リスクは低いんです。
つまり、東京に住んでいるぼくらは
ふだんマムシと近い場所で暮らしてませんから。
もちろん、山間部にいる人たちにとっては
リスクが高くなりますけど、
ふつうに都市で暮らしている人にとっては
マムシというのはそれほどリスクは高くない。
ところがいまは、メディアの影響もあって、
リスクとハザードが
渾然となってしまっているんですね。
たしかに、危ないものは危ないんだけど、
それがどのくらいぼくらにとって
影響を及ぼすかっていうのは
それぞれの位相で論じ合わなきゃいけない。
でも、なにかが危ないとなると、
それだけで大騒ぎになってしまうんですね。
たとえば、以前に、セアカゴケグモっていう
毒グモが大きな問題になりましたけど、
あれも、ハザードだけがセンセーショナルに
とりあげられていた例だと思います。
糸井 だからあれは危険じゃないというわけじゃなく、
毒性と危険性を別の次元で
とらえなきゃいけないということですね。
はい。
狂牛病の問題にしても、
やはりハザードだけが一人歩きしている
印象がありますが、
アメリカ産牛肉を輸入解除したとき
日本人の消費量からリスクを計算するようなことも
もっと伝えられていいと思うんです。
糸井 温暖化の問題なんかも近いものがありますね。
もちろんゼロじゃないんですけど、
どうも、調べてみると簡単には言えない
ところもあるみたいなんです。
地球規模で考えると、氷河期があったり、
大きな環境変化は昔からあることなので。
でも、みんなの心の中に
どうも環境を汚しちゃってるよなあという
漠然とした気持ちがありますから、
そのあたりがいっしょくたになってしまう。
でも、こういう意見を言うだけで
こう、唇寒しというか‥‥。
うん、そうそう。
ものすごく風当たりが強くなりますよね。
糸井 そっちの圧のほうが
じつは問題なんじゃないかと
思えるくらいですよね。
  (続きます)

2007-02-23-FRI


 
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN