糸井
強い使命感もないままに
『A』をつくったという話もそうなんですけど、
森さんの、そういう、なんていうのかな、
危険への掛けがねの外れ方みたいなものって
やっぱり個性だと思うんですよね。
森
ああ。僕、鈍いんですよ。危険に対して。
糸井
鈍いんですかね。
なんだろう、いるんですよね、
そういうタイプの人は。
ある種の危険に対して平気な人。
こういうたとえがいいかわからないけど、
ふつうに友だちとして長くつき合っていたら、
あるとき突然に、
「オレ、こっちの耳、聞こえないんだよね」
って言ってくる人みたいな。
森
ああ、なるほど。
どうなんでしょうね。
危ないことが平気なわけじゃないんですけど。
糸井
ええ。
森
平気じゃないし、
臆病なほうだと思うのだけど。
場を読めないんですよ、ぼく。
それは、子ども時代からそうで。
糸井
ああ。
森
みんなが「こっちだよ」って言うときに、
あえて違うほうを選ぶというわけじゃなくて、
気づいたら違うほうへ来ちゃってるんですね。
よく言われるんですよ、
『A』や『A2』もそうですけど、
『放送禁止歌』を撮ったりとかすると、
「森は、あえてタブーを選択してやってる」
みたいなことを。果敢に挑む、みたいな。
でも、ぜんぜんそうじゃなくて、ぼくとしては
「え、これタブーだったの?」
っていうことがほとんどなんです。
糸井
そこがだから、強烈な個性なんでしょう。
森
そうですねぇ。ある意味では。
関係ないかもしれないけれど、
ぼくは極端な方向音痴なんです。
何かそれが影響しているような気もします。
糸井
あらかじめ手負いのディレクター、
みたいなもんなんじゃないですか。
森
ADとしては最低でした。
方向音痴のADなんて存在意義ないですよ(笑)。
糸井
(笑)
森
やっぱり、何かが欠けているのかな。
まあ、個性といえばそうなのでしょうけれど‥‥。
糸井
いや、ぼくにも少しその要素はあるんでね。
その、鈍さというか、注意しなさみたいなものは。
あの、注意深くなることのおおもとって
基本的には「恐怖」だと思うんですね。
人が自分の行動を制することの原因は。
森
はい。
糸井
恐怖がなかったら、
人ってほんとにもっといろんなことができる。
森
その通りですね。
糸井
権力ってのはいつでも恐怖を植えつけて、
そこから先に行ったら大変なことになるよ、
っていうふうにして人を制するんです。
芸能界でいうと、どこどこのプロダクションに
逆らったら干されちゃうぞ、だとかね。
で、だいたいそういう恐怖っていうのは、
その、縛られてる側が増殖させているんですね。
森
うん、そうです。
『放送禁止歌』でとりあげたものなんて
いちばんの典型ですよね。
糸井
典型ですよね。
森
自由が怖いんですよね。だから。
糸井
そういうことですよね。
森
「ここから先は危険だよ」
って表示があるということは要するに
「ここからこっちは安全だよ」
と同義ですから、安心できちゃうんですよ。
何にもないと、みんな、
不安でしょうがないんですよね。
で、何かこう自分たちで標識をつくっておいて、
「あっち行っちゃだめだよ」って
頷き合いながら安心するみたいなメンタリティが、
たしかにありますね。
放送禁止歌に限らず、
この擬似の安心への希求や均質性への欲求って、
共同体に帰属しないことには
生きていけない人という種が抱える
属性なんだという気がするんですけど。
糸井
ずっとそういうパターンですよね。
いるっていうウワサのオバケ、みたいなもので。
それを「ちょっと見に行ってみるよ」っていうのを
森さんはふつうにやっているわけでしょう。
森
度胸や勇気があるわけじゃないんですけどね。
人一倍恐がりだし、気が小さい。
機転が利くほうじゃないことは
自分でよくわかっていますから、
本当は集団行動をしたいんです。
「映像業界の一匹狼」
みたいな表現を前にどこかでされて、
何て情けない狼だろうって自分で思いました。
できれば群から離れたくない。
でも気づいたら、
「あれ、みんな、どこ行っちゃったんだろう?」
っていう感じなんですよね。
糸井
ああ。
森
『A』を撮っていたときなんかも、まさにそうで。
あの、カメラ持って入って行くじゃないですか。
オウムの施設に。
で、いちおう、みんなが入ってこられる
ラインみたいなものがあって、
ほかのマスコミの人たちもそこまでは
いっしょに行ってくれるんですね。
で、撮ってると、
あっちのほうがなんかおもしろそうだ、と。
それでぼくはそっちに行って撮ってて、
当然、みんなも来てると思って
撮りながらふっと振り返ったら、みんなは、
向こうのほうでじーっとしてるみたいな。
糸井
ああ、なるほど。
森
べつに、そこまで行ったっていいんですよ。
何か規制があるわけじゃないんです。
なのに、なんで来ないんだろうなって。
糸井
その、「振り返ったらいない」パターンを
何回も経験している森さんには、
「どうも俺って、振り返ったら誰もいないな」
っていうことは、じつはもうわかってますよね?
森
じつはわかってますね、うん。
でも、不安ですよね。
糸井
あ、それで平気になるわけじゃなくて、
つぎのステップは「不安」になるんですね。
森
不安です、やっぱり。不安ですけど、
「でもこっち、おもしろいしな」っていうね。
うん、だからそれはいっつも葛藤してます。
糸井
その都度、天秤にかけてる?
森
うーん、つたない意識ながら、
やっぱりそれは必死に計算してるんでしょうね。
怖いけど、やっぱりちょっとこっちに
もうちょっと行きたいな、みたいなね。
糸井
ああ。
森
ガキですね、それ考えたらね。
オトナの発想じゃないかもしれない。
糸井
でも、それを「勇気」っていう
言葉で表す人もいるだろうし。
森さんみたいに「勇気」っていう
言葉を使いたくない人もいるし。
森
できれば使いたいけれど。
‥‥うん、やっぱり「勇気」とは
本質的に違うと思うな。
やっぱり「勇気」っていうのは、
使命感とか目的意識が
根底にあるんじゃないのかな。
「これをやり遂げるためには
艱難辛苦を俺は乗り越える。
だからこんなものは怖くない」
っていうのがもし「勇気」だとしたら
ぼくの行動はまったくそれじゃないですからね。
糸井
だから、「勇気」っていうのは、
どっかで自分にモルヒネ打ってますよね。
森
うんうん。どっかで打ってますね。
糸井
で、「勇気じゃないですよ」って
言う方が打ってないですよね?
森
そう思います。素ですね。
だから、怖くてしょうがないときもある。
糸井
ああ。
(続きます)
2007-02-22-THU
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN