「出ること自体がうれしいし、
自分もやってみたいと思ったんです。」
- 糸井
- (制作中のサンプルROMから流れる
『MOTHER』のメインテーマを聞きながら)
‥‥う~ん、いいなあ。
‥‥いいですねえ。
- 糸井
- さ、やりましょうか。
はい。『MOTHER1+2』ですが、
もともと出してほしいという声はありましたよね。
- 糸井
- ありましたね。それはほんとにありがたかったです。
ずいぶんまえのゲームですけど、
ずっと覚えてくださっている人がいて。
移植するという企画は以前からあったんですか?
- 糸井
- 以前から打診は受けてました。
ゲームボーイアドバンスが出たころなんかも、
「あのくらいのサイズなら完全に再現できますよ」
って言われていて。よそのソフトハウスからも、
「うちにやらせてくれ」という声が出ていたんです。
ところが、ぼくは当時、それどころじゃなかった。
『MOTHER3』の中止を発表したあとも、
いろいろと、頭がいっぱいになってしまっていて。
「移植についてはちょっと考えようがないな」
というのが正直なところだったんです。
移植に反対していたわけではなく。
- 糸井
- ええ。そういう話があるたびに、
「出ることに対してはうれしいです」と
いつも言っていました。
ただ、具体的には「考えようがない」と。
そのひと言ですよね。
それが「考えられるようになった」のは
糸井さんのなかに
どういう変化があったんでしょうか。
- 糸井
- まず、ぼくのなかに、
あのゲームが遊べないっていうことに対して
なにか、変だなという気持ちがあったんです。
ぼくの家にはもう、ファミコンもないし、
スーパーファミコンもない。
それは、いま、普通の人の家の風景として
あたりまえですよね。
つまり、ハードがないからあのゲームは
遊べないわけです。そういう状態で、
たとえば『MOTHER』を好きな人は、
ありがたいことに
古いハードを使って遊んでくださっているわけです。
それに対して、心が痛いとまでは言いませんけれど、
なにか、変なことをさせているような気分があった。
なるほど。
- 糸井
- そんなふうに感じていたとき、宮本(茂)さんから、
「『MOTHER』のアドバンス版が出るとしたら、
どういうふうなものだったら糸井さんは満足ですか?」
って言われたんです。それでぼくは
「いや、どういうもこういうもないですよ」と。
出ること自体がやっぱりうれしいし、
自分もやってみたいと思ったんです。
なにより、いまあのゲームをやると
おもしろいんじゃないかという気分が強くあった。
というのは、あれを作っていた当時、
ぼくはゲームにどっぷりと浸かっている
人間じゃなかったんです。
その距離感みたいなものは、
ゲームがふつうの娯楽として浸透した、
いまの時代にこそ合っているんじゃないか
という気がしたんです。
そこへタイミングよく移植の打診があった。
- 糸井
- そうです。だからぼくはもう、
「いや、もう、やりますよ」と。
しかもすばらしいことに
『1』と『2』をひとつのパッケージで
出すことができて、携帯機で遊べる。
移植の作業も信頼できるチームに
担当していただけるということだったので、
もう、「お願いします!」という気分でしたね。
糸井さんの役割としては監修ということに?
- 糸井
- そうです。進行しているものを、
途中、途中で見せてもらいながら。
とくにアレンジの要請などは?
- 糸井
- あ、それはないですね。むしろそのままでいこうと。
たとえば、ゲームのなかに、
「2001年になったら返しにきてね」っていう
図書館の本が出てくるんですよ。
そのへんの設定のつじつま合わせに関して
「どうしましょうか?」って言われたんですけど、
ぼくはそのとき、なんとなく、
「じゃあ年代だけは直そうか」って言ったんです。
ところが、スタッフのほうから、
「でも、最初糸井さんが言ったように、
昔出たゲームだということで
変えなくてもいいんじゃないですか?」って、
逆に提案されたんです。考えてみたら、たしかに、
ズレをそのまま出したほうが逆にいいなと思って。
まあ、どうしてもというところは
若干修正してますけど、
基本的にそのまま移植しています。
当時遊んだ人ばかりではなく、
はじめて『MOTHER』をプレイする人も
多いと思いますが。
- 糸井
- それはほんとにうれしいですよね。
ぼくが過去にゲームを作っていたということすら
知らない人はいると思うんですよ。
そういう人に遊んでもらえるということが、
もう、めっちゃくちゃうれしいですね。