1989年に出た
『MOTHER』というゲームと、
1994年に出た
『MOTHER2~ギーグの逆襲~』というゲームが、
2003年6月20日に
ゲームボーイアドバンス用ソフト
『MOTHER1+2』として発売されます。
超大ヒットしたわけでもないのに、
いつまでも熱心に語られるこの不思議なゲームのことを、
制作者の糸井重里という人に、たっぷり聞きました。
(ちょうどそこにいたものですから)
制作中の「あの作品」についても、聞きました!

第9回

「これは、いわば、ぼくの盆栽なんです」

さて、再び『MOTHER1+2』について
おうかがいします。
『MOTHER』と『MOTHER2』。
いま振り返ってみて、どうですか?

糸井
うーん、とにかく、いろんなものを込めました。
『MOTHER』も『MOTHER2』も、
「つくり足りない」と思えないくらい、
作れましたよ。我慢しなかったです。
「もっと時間があれば本当は‥‥」
なんていう気持ちは、ないですよ。
なにかをつくり終えて、
そんなふうに感じることって
なかなかないですよね。
十分、作りました。

ゲームをつくっている人が、
そんなふうに言うのをはじめて聞きました。

糸井
料理と同じじゃないかな。
「時間があればもっと美味しくできる」って、
料理人は言わないですよね。

あああ、なるほど。

糸井
まあ、ちょびっとくらいはあるんだけどね。
「パセリ、もっと新鮮なのがあったんだよな」
っていうくらいはありますけど(笑)。
でも、少なくとも、思いの丈は
ここにぜんぶ入っているっていう自信がある。

たとえば『MOTHER』は14年前の作品です。
昔の自分を振り返るような気分はありますか。

糸井
いや、特別にはないです。
あの、野田秀樹が30歳になるまえに作った脚本を、
最近になって再演したりするときに
こう言ったことがあるんです。
「脚本としてはあのころしか書けないものだ。
だけど、演出はあのころより
いまのおれはずっとうまい」って。
そういう気分に近いですよね。
なんていうんだろ、いい初々しさがまだ残ってる。
まあ、若さを感じる部分もありますけどね。
たとえば『MOTHER』で、
雪の町を歩く場面がありますよね。
急に雪が降って、白い景色になって、
あの音楽が鳴る。そこで初めて、
いっしょに歩く女の子がいるわけですよね。
なんかこう、若さを感じるよね、自分の(笑)。
ああいう女の子を設定しているところに。
でも、うーん、実際にはそんなのねえよ(笑)!
白い世界で出会った少女だもんねぇ・・・。
ないよ、そんなのはねえ(笑)。
でも、登場させるんだ、やっぱし。

当時の糸井さんといまの糸井さんを
会わせてみたいですね(笑)。
そういった当時の作品が、
最新のゲームに混じって発売されるわけですが、
いまプレイされることということに対しては?

糸井
あのころよりも、いまのほうが、
みんなの知性が深いと思うんですよ。
いわゆる学校の勉強的な教養じゃなくって、
考えの豊かさというか、そういうものが。
だから、あの時代よりも、
もっとわかってもらえるんじゃないだろうか
っていう予感と、喜びがある。
いまだからこそ、
新しさとして感じてもらえる部分も
あるんじゃないかな。
だからこそ、ゲームボーイアドバンスの、
ちっちゃい箱でやってもらえるっていうのは、
かえっていいんじゃないかな。

ゲームをはじめてやる人、
RPGはじめてやる人なんかも
多いんじゃないでしょうかね。

糸井
それは最高にうれしいですね。
それで思い出したんですけど、
爆笑問題の太田くんが、初めてやったゲームが
『MOTHER』だったそうなんです。
彼と会ったときに、『MOTHER』をプレイして、
ゲームが作りたくてしょうがなくなったって
言ってましたね。相方の田中君に、
「おまえなんかにあのよさはわかんないんだよ!」
って言ってましたから(笑)。
「おまえの言ってる感動と
オレの言ってる感動は違うんだ!」って(笑)。
そういうの聞くと、うれしいですよね。

いま一線で活躍する人のなかにも
『MOTHER』ファンって多いのかもしれません。

糸井
川上弘美さん(芥川賞作家)も
『MOTHER2』を褒めてくださいました。
あの人の文章って、ぼくは本当に好きなんです。
田中小実昌の子どもは川上弘美だと
ぼくは解釈しているんですよ。
それくらい、ある種、憧れに近いくらい
尊敬してる川上弘美さんが、
とある座談会で初めて会ったときに、
「30回くらいやったんです」
みたいなことを言ってくださって、
あれもうれしかったねえ。
なんというか、あれだけの作家が、
あのゲームをそんなにやってくれたっていうことで、
ぼくは彼女の住む町にいることができるんだという
喜びを感じることができたんですよ。

『MOTHER』の子どもたちが、
これからもどんどん世に出ていくのかもしれません。

糸井
そうなると、うれしいですねえ。
『トトロ』を何十回も観ましたっていう人が
いるのとおんなじように、
『MOTHER』で育ったっていう人が
いてくれるっていうことは。
それはべつに有名人に限らなくて、
昔やってくれた人がお母さんになって
自分の子どもにやらせたとか。
そういう話はもう、とんでもなくうれしいよねえ。

『MOTHER1+2』が発売されれば、
さらにたくさんの種がまかれることになります。

糸井
たくさん売れたら、ものすごくうれしいですね。
これが多くの人に渡るということがすごくうれしい。
だって、いままでしゃべってきたような話を
わかってもらえるっていうことじゃないですか。
それはやっぱり、作り手冥利につきますよね。
あとは、なんていうんだろ、
こうやってしゃべりながら痛感するんですけど、
根っこに、「つくること」に対する
喜びとか憧れとか尊敬とか、
そういうものがなかったら、
ブレてしまっていたんだろうなって、
いまさらながら、つくづく思いますね。

『MOTHER』の根っこにそれがあるからこそ、
いまの時代に出ても揺るがない強さがある。

糸井
うん。いまでも、ぼくは、
つくることから離れてはいないんですが。
もう少し広いフィールドにいるようになって。
野球場で選手をしている時もあるけれど、
実はその野球場をつくっているというような、ね。
大きな意味でのクリエイティブをたくさん抱えて
ずっと走っているような日々なんです。
たとえば「ほぼ日」の会議に出て、
「もっとアイデアを出せ!」って
ぼくは平気で言うわけです。
場にアイデアがないときは、いらだちさえするわけです。
それはやっぱり、
現場のつくり手としての気持ちが死んでないからなんです。
そういう気持ちがないと、プロデュースもできない。
やっぱり魂みたいなものを信じてるんです。
クローン人間やロボットを持ってきて、
「人間そっくりですよ」って言われても、
ぼくはつき合いたくないんですよ。
良くも悪くも、
人間ならばこそ、ということが好きなんですよ。
また、ちょっとわかりにくい話ですけど(笑)。

いえ(笑)。そろそろ時間です。
楽しみですね、『MOTHER1+2』。

糸井
そうですねえ。
これは、いわば、ぼくの盆栽なんで。
ゲイの子がいたり、泥棒がいたり、
怪しい宗教があったり、無垢な子がいたり。
自分の気になるものが、ぜんぶ入ってる。
手塩にかけた盆栽ですからね。
好きなものも、嫌いなものも、
気になるものをぜんぶ肯定して入れたかったんです。
かといって、「そういうものはすばらしいんだ!」
って簡単に結論づけたつもりはないんです。
おもしろいものは、おもしろい。
ばかみたいなものは、ばかみたい。
「ぽえ~ん」って意味もなく言ってたり、
思わず笑っちゃったら、それでオッケーみたいなものも。
最終的に、愛してくれればそれがいちばんうれしい。
たとえば、あんまり詳しく言いませんけど、
『MOTHER2』で
トニーから手紙が来ますよね。
あれ、泣けるけど、笑えるんですよ。
でも無条件で、恋してるんですよ彼。
笑った人も、ちょっとマジになったりしてね。
ああいう気持ちもね、ぼくは書きたかったんです。

はい(笑)。

糸井
‥‥けっこうディープなインタビューになったねえ。
こんなになると思わなかったでしょ?
でも、それだけ詰め込んだものなんだっていうのを、
ぼくは思っていたんで。
ほぼ日の読者のひとには、
ぜんぶ伝えたいなって思ってた。
雑誌のインタビューでこんなこと言っても
書く場所ないものねー。
そのためにもほぼ日があってよかったですよ。
ぜんぶまるごと書けるじゃないですか。

志ん朝さんと談志さんのことも、
『憲兵とバラバラ死美人』のことも(笑)。

糸井
そうそう(笑)。

最後の質問です。
『MOTHER1+2』を
どんな人にやってほしいですか?

糸井
「全員」。

ありがとうございました(笑)。

とりあえず、糸井重里という人の、
『MOTHER』の気持ちはこれで終わりです。
機会をみて、また取材したいと思っています。
このインタビューの感想など、
送っていただけるとうれしいです。
どうもありがとうございました!

2003-04-30-WED