こんにちは。ほぼ日刊イトイ新聞の永田です。
『MOTHER3』の開発者である
糸井重里のインタビューをお届けいたします。
『MOTHER3』の開発が再開されてから3年。
ぼくは、糸井重里が『MOTHER3』に関わる現場の
9割に同行していました。
ですから、このインタビューは、
第三者が疑問をどんどんぶつけていくようなものには
なっていないと思います。
けれども、挨拶や雰囲気づくりを抜きにして
核心に近いところで
ほんとうのことだけを
飾りなく語ってもらえたのではないかと思います。
12年ぶりの新作の、ライナノーツとして。

第3回

3人の決断。

話を聞いて思ったんですが、
『MOTHER3』の開発再開を決意する
理由のひとつとして、
そのきっかけを出してくれたのが、
宮本さんと岩田さんだったというのも
大きかったんじゃないですか?

糸井
ああ、大きいよ! それは!
だって、それは、困難をわかったうえで
言ってくれていることだからね。
その、「儲かりまっせ!」っていうことだけから
はじまっていることじゃないからね。
もちろん、ふたりのことですから、
経営のことは頭にありますよ。ないわけがない。

そうですね。

糸井
だから、その、なんだろうなあ‥‥。
さっき、「みなさんのおかげです」って
簡単に言いたくないって言ったのと同じように、
「世の中、金だけで動いてるわけじゃねぇよ!」
っていうのも、簡単には言いたくないんだ。

はい(笑)。

糸井
「オレはもう、金が大好きだ」ぐらいのことを
500回くらいは先に言っときたい。
で、言っといたうえで、
「‥‥でも」って言いたい。

(笑)

糸井
いや、笑うけどね、ほんとうに。
500回ぐらい言ったあとで、はじめて言える
「‥‥でも」があると思うんです。

はい。

糸井
リスクや責任の量を十分にわかっていながら、
それを言えるということだよね。
なんていうんだろうな、
これも簡単には言いたくないんだけど
‥‥やっぱり、心ですよ。
それが伝わるからこそね、
ぼくも、引き受けようって思えたんです。
宮本さんと岩田さんと、ぼくは別の会社にいて、
それぞれ別の責任を負っているわけですけど、
すごく大きなくくりで言えば
あの日、タクシーに乗り合わせた3人は
ひとつのチームだともいえるわけですよ。
まあ、精神的なチームではあるけれども、
その関係は、うれしいですよね。
うん‥‥だから、大きいわ。
それをふたりが言ってくれたというのは
ものすごく大きいと思う。
だからこそぼくも、引き受けたあと、
ふたりに泣きつくようなことだけは
しないようにしようと思えるわけだしね。
心の部分が重要なポイントにはなってるけど、
動き出したら会社と会社の約束ですから。

そうですね。
あと、岩田さんの判断としても、
売上の予測はもちろんですけど、
『MOTHER』というブランドが
任天堂という会社にプラスに作用するという
判断があったんじゃないでしょうか。

糸井
そうだね。
だから、岩田さんは、両方知ってるんだと思う。
だって、『MOTHER2』の
プロデューサーのひとりだったわけだからね。

心の部分と、経営側の判断と、
両方があってのオファー。

糸井
どちらが表にあるかというと経営のほうですよ。
岩田さんという人は、すごく情はあるけど、
情をいちばん上には持っていかない人ですから。
その意味では、感情を抑制して、
それこそ何度も検討したうえで
つくるべきだと判断したんじゃないかと思います。

そうですね。

糸井
で、「そういう時代の終わり」っていう言い方も、
もしかしたら、できるかもしれない。

あああ。

糸井
わかんないですよ? それは。
あと、もうひとつ言うと、
3年前の時点で携帯機を選択していたという
宮本さんの「トレンドを読む力」。

あ! それはまた、
別の軸でおもしろいところですね。

糸井
うん。
開発の規模を縮小する意味だけじゃなく、
時代がそういうふうに動いていくっていう読みがね、
きっとあったとぼくは思うんです。
そしてそれは、ぼくがゲーム全般について
思ってたことといっしょなんですよ。
これは、ほかの場所でも何度かしゃべっているけど、
据置型のゲーム機というのは、
ディスプレイなしで
パソコンを売っていた時代のかたちだと思うんです。
据置型のゲーム機はおもしろいし、
なくなるわけじゃないけど、
それようのモニターがセットになっているほうが
これからはふつうだと思うんですよ。

なるほど。たしかに、いまって、
「テレビにつなぐもの」は
もう増やしたくないというか、
増やせないような時代ですしね。
つないだとしても、競争は激しい。

糸井
そう。だとすると、
ゲーム機に、そのゲーム機専用の
ディスプレイがついているほうがいい。
で、そういうときに、
ゲームボーイからはじまった携帯機が
いま、あんなに急成長している。
携帯機というのは、
小さくて持ち運びができるだけじゃなく、
いわばディスプレイつきの
コンピューターですからね、あれは。

そこを宮本さんは先読みしていたかもしれない。

糸井
少なくとも体感はしてたと思うんです。
その流れをね。
で、ぼくは、それに乗るべきだと思った。
そういう雑談っていうのは、
ぼくらは、さんざんしてましたしね。

つまり、3人とも、
心の部分をキーにしながらも、
それぞれ勝算を持ちながら
開発再開に踏み切ったと。

糸井
それがなきゃ出せませんよね。
当たり前のことですけど。

そうですね。

糸井
だから、まあ、ともかく、
ほんっとに、いろんなものが重なり合って、
『MOTHER3』はもう一度
生まれ変わるというか、
生まれ直すことになったんです。
結果というのはまだ出ていませんけど、
開発が終わったいまの時点では
すくなくとも、
「やってよかったな」っていうふうに
なりかけていると感じてます。

はい。

糸井
けど‥‥あれだね。
こういう話でも、
振り返ってみると、物語だね。

ええ。おもしろいです。

糸井
だから、これを読んでいる学生の子なんかは
こういうことを憶えておいてほしいなぁ‥‥
「ほんとうにやりたいことを実現させたいときには
キミが描いてる地図の大きさを
あと4まわりくらい
大きな紙にしたほうがいいぜ」
っていうことですよ。
そうすると、こわいことも増えるけども、
ただのホラ吹きじゃなくなるよ。きっと。

うん。

糸井
「実現する」って、
やっぱりすばらしいことです。
それだけで、すごいことで。

とにかく、4月20日に、
「『MOTHER3』が出る」
という実現は、しますね。

糸井
うん。そうですね。

(続きます)

2006-04-20-THU