こんにちは。ほぼ日刊イトイ新聞の永田です。
『MOTHER3』の開発者である
糸井重里のインタビューをお届けいたします。
『MOTHER3』の開発が再開されてから3年。
ぼくは、糸井重里が『MOTHER3』に関わる現場の
9割に同行していました。
ですから、このインタビューは、
第三者が疑問をどんどんぶつけていくようなものには
なっていないと思います。
けれども、挨拶や雰囲気づくりを抜きにして
核心に近いところで
ほんとうのことだけを
飾りなく語ってもらえたのではないかと思います。
12年ぶりの新作の、ライナノーツとして。

第4回

最初の『MOTHER3』の話。

『MOTHER3』の構想が生まれたのは
『MOTHER2』の開発が終わるころだと
お聞きしました。

糸井
最中ですね(笑)、
『MOTHER2』をつくってる。

それは、どういう部分が
発想されていたんですか。

糸井
それは、いまの『MOTHER3』に
つながってるところと
まったくなくなっているところがあるんだけど、
まず、『MOTHER2』をつくっているときに、
「街から街へ、すごろくみたいに回っていく」
っていうことが気になりはじめたんですよ。
ひとつの街を終えると、つぎの街に行く。
まえの街に戻ってみると、街の人が
「あのときはありがとう」みたいなことを
ずっとしゃべってる。
それって、絶対にそうしなきゃいけない
わけじゃないよな、って思った。
で、「つぎは、ひとつの街を舞台にしよう」
っていうふうに思ったんです。

なるほど。

糸井
ゲームの進行に合わせて
人がセリフを変えるんじゃなくて、
街には街の時間が流れてて、
どんどん変わっていくようなものを
つくってみたかったんですよ。
で、どこかの木に落書きをしたら、
それはずっと残ってる、みたいな。

ぼくが10年前に
糸井さんにインタビューしたとき、
糸井さんは『MOTHER3』のヒントとして
「旅行に行くまえに部屋を散らかしていったら、
旅行から帰ったときに
部屋は散らかったままなんだよ」
って言ってたんです。

糸井
ああ、そういうことですね。

それは、開発当初のプラットフォームが、
当時、大容量の記憶媒体を売りにしていた
64DDだったということが
影響していたんでしょうか。

糸井
うん。それができたら、
順番に街を回っていくんじゃなくて、
階段のぼって、また降りてみて、
そこで人や街が成長してるっていう
螺旋状のたのしさが生まれると思ったんですよ。
だから、いまはこういう状況だから、
すごくわかりやすい例が出せるんですけど、
『どうぶつの森』みたいなことですよね。

ああーー。
そういえば、『どうぶつの森』も
開発のはじまりは64DDだったそうです。

糸井
ああ、そうですか。
つまり、そういうことですよね。

そういうことですね。

糸井
もうそれはつくらないから
どこまでもディテールを言えるんだけど、
主人公をね、
ヘボ探偵にしようと思ってたんです。
つまり、ひとつの街で、その探偵が
浮気調査をしたり、張り込みをしたり、
ちょっとした泥棒をつかまえたりして、
いろんなことに巻き込まれていく。
それによって、街や人が、
どんどん立体的になっていく、
みたいなことを、当初は、
やってみたかったんです。

それは、『MOTHER3』というよりも、
『MOTHER2』のつぎに
つくりたかったものとして。

糸井
そうです、そうです。
『MOTHER3』と
はっきり名づけてはいませんでした。
ただ、そのときの、
小さな事件がからみ合ったり、
別の人には別の物語があって、
物語と物語が出会っていくみたいなことは、
いまの『MOTHER3』が
章仕立てになってることや、
章によって主人公が変わることに
かすかに残ってますね。

これも10年前の発言ですが、
主人公が切り替わる意味を説明するのに
「ぼくから見たキミと
キミのお母さんから見たキミは
同じじゃないんだよ」って
糸井さんは言ってました。

糸井
あ、そのとおりですね。
そういうことがしたかったんです。
あと、もうひとつ、
物語の大きな構造というのを、
思いついたんですよ。
これは、いまの『MOTHER3』に
活きていることなので言いませんけど、
いわば、物語の
大きなプロットのようなものですね。
それは、たしか、
どこかのホテルで書いたんですが、
書いたすぐあと、スタッフに見せて
「おもしろいぞー!」
って言った瞬間のことは覚えてます。
で、スタッフに「えーー!」って驚かれた。
そのときの、心臓がドキドキするような感じは
すごくよく覚えていますね。

じゃあ、当時の『MOTHER3』というのは、
その物語の大きなプロットと
さっき言った立体的な構造を、
当時の最新スペックをつかって
映画的に表現しようとしていたわけですね。

糸井
そう。最初の『MOTHER3』はね。
とにかく当時は、構造も技術も含めて、
「なんでもできるかもしれない」
っていうふうに思いすぎてたから、
思いついたことはなんでも入れたくなってた。
もともと、そういうホラを吹くことが、
『MOTHER』シリーズにおける
自分の役割みたいなところがありますから。
で、実際につくっている子たちの
制作の様子をうかがいながら、
こういう言い方は変ですけど、
「どこであきらめるのかな?」
って思ってたんです。つまり、
「こりゃ、やっぱりムリです!」
って言われたらあきらめればいいと。

ああ。

糸井
それまではオレはホラを吹くぞ、
っていう姿勢でいたわけです。
ぼくは技術の部分がわかりませんから、
その枠を気にせずに発想して
どんどん思いついていくのが役割ですから。
ところが、当時いた若い子たちっていうのは
みんな好きでつくりに来ている子たちですから、
ぜんぶ入れたくなっちゃうんですよ。
だから、ムリですってなかなか言わない。
もちろんそれは、悪いことではないんですけど、
そういうところで
ひじょうに時間がかかってしまった。

それが、最初の『MOTHER3』が頓挫した
大きな原因のひとつ。

糸井
そうです。
だから、最初の『MOTHER3』というのは
長く助走をして、その、
軌道に乗るか乗らないかのとこで
中止になったっていう、
そんな感じだったんですよね。

(続きます)

2006-04-21-FRI