こんにちは。ほぼ日刊イトイ新聞の永田です。
『MOTHER3』の開発者である
糸井重里のインタビューをお届けいたします。
『MOTHER3』の開発が再開されてから3年。
ぼくは、糸井重里が『MOTHER3』に関わる現場の
9割に同行していました。
ですから、このインタビューは、
第三者が疑問をどんどんぶつけていくようなものには
なっていないと思います。
けれども、挨拶や雰囲気づくりを抜きにして
核心に近いところで
ほんとうのことだけを
飾りなく語ってもらえたのではないかと思います。
12年ぶりの新作の、ライナノーツとして。

第5回

『MOTHER3』じゃないもの。

最初の『MOTHER3』が中止になったあと、
ゲームボーイアドバンス用のソフトとして
開発が再開されてから
けっきょく丸3年かかりました。

糸井
そうですね。3年ですね。

再開を決めた当時、
3年かかると思いましたか?

糸井
んー、ぜんぜんわかんなかった。
だから、3年を長いとも思わないし、
すぐできてたとしても
それを短いとも思わなかっただろうね。

ああ、なるほど。

糸井
ぼくは、できあがったものに対して
いいか悪いかっていうところは
厳しくジャッジしますけど、
時間の読みというのは
わからない人間ですからね。
ただ、やっぱり、
中止になった『MOTHER3』と同様、
軌道に乗るまでが長かったですね(笑)。

そうですね。
この3年間はぼくも
現場に立ち合わせてもらったんですが、
とくに最初の1年間はほんとうに手さぐりで。
作業としては動いているだけど、
なかなかかたちにならないという。

糸井
そうでしたね。

振り返ってみて、軌道に乗ったというか、
開発の転機になったところというと
どこになるんでしょうか。

糸井
開発の初期のところで、
いま思えば大きな決断だったなと思うのは、
映像の水準を「『MOTHER』で、いい」
って決めたことですね。

ああ、なるほど。

糸井
つまり、新しいものを生み出すと
どうやっても「違う」ってことになる。
さんざん試して、それがわかって、
「絵のトーンは、
『MOTHER』シリーズを踏襲しましょう」
っていうことをはっきり言ってからは
あとは調整していけばいいんだ、
ってことになりましたから。
つまり、絵に関して、
ものさしがひとつできたんですよね。

絵に限らず、最初の2年は
なにかにつけてものさしがないから
たいへんだったように思います。

糸井
その時点で基準にするとなると、
中止になった
『MOTHER3』しかないんですよ。
それで複雑なことになってしまう。

その複雑な時期に糸井さんから聞いて
「なるほどな」と思ったことがあります。
つくりかけていた『MOTHER3』は、
『MOTHER2』の開発が終わった
すぐあとに企画されたこともあって、
「いままでの『MOTHER』ファンを
びっくりさせてやるぞ」
っていう部分がたくさんあったんですよね。
で、それは、すんなり発売されていれば
ファンを驚かせるものとして
機能したと思うんですけど、
中止で、あいだが空いたことによって、
たんに「『MOTHER』じゃないもの」
みたいなかたちで残ってしまっていて。

糸井
そうです、そうです。
それの調整がものすごくたいへんだった。
だから、たとえば、ミュージシャンが
大ヒットした曲と同じような曲を
つづけてリリースしたとしたら、
「今度もよかった」っていう人はいるだろうけど、
「またかよ」って思う人も出ますよね。
ぼくはそれを、ちょっと早めに思うタイプなので、
このままじゃ人は驚かないぞって考えてしまう。
だから、その意味でいえば、
『MOTHER』と『MOTHER2』だって
違うといえばぜんぜん違うんですよ。

そうですね。

糸井
でも、ムードや、世界はいっしょだと。
で、『3』をつくるぞっていうときに、
つまり12年前のことですけど、
ぼくがなにを考えたかというと、
これまでの『MOTHER』が好きなファンに
一回バーンと冷や水をぶっかけて、
そこからなかよくなりたかったっていう、
すっごい図々しいことを思ってたんです。
その余韻が開発を再開したときにも残っていて、
とにかく始末に困ったんですよね。

その問題は、最後の最後まで
テーマのひとつだったように思えました。

糸井
うん、最後まで残ったねぇ。
でも、結果的には、粘って粘って、
ぜんぜん残らないわけでもなく、
かといって悪く残ったわけでもない、
っていうところに
きちんと落ち着けたと断言できます。
うん。
でも‥‥苦しかったね(笑)。
いちばん、苦しかった部分だし、
終わってみれば、つくっていて、
おもしろかった部分だったかもしれない。
でも、そういう苦しみを
スタッフといっしょに超えたからこそ、
「ファンに向けただけのもの」じゃなくて
ほんとうの『MOTHER3』になったと
いまは思えますね。

(続きます)

2006-04-24-MON