こんにちは。ほぼ日刊イトイ新聞の永田です。
『MOTHER3』の開発者である
糸井重里のインタビューをお届けいたします。
『MOTHER3』の開発が再開されてから3年。
ぼくは、糸井重里が『MOTHER3』に関わる現場の
9割に同行していました。
ですから、このインタビューは、
第三者が疑問をどんどんぶつけていくようなものには
なっていないと思います。
けれども、挨拶や雰囲気づくりを抜きにして
核心に近いところで
ほんとうのことだけを
飾りなく語ってもらえたのではないかと思います。
12年ぶりの新作の、ライナノーツとして。

第9回

家族の物語。

『MOTHER3』の大きなテーマのひとつに
「家族」というのがあると思うんですが、
これは、『2』の開発終盤に思いついたという
プロットのなかにもともと入ってたんでしょうか。

糸井
いや、無意識です。

あ、そうなんですか。

糸井
うん。無意識に。
終わってみれば、
こういう理由でこうしたっていう
説明はいくらでもできるんですけど、
必ずしもそれを選ぶ必要は
なかったかもしれない。

それが入った理由は言えるけれども、
あえて入れたわけじゃない。

糸井
そういうことですね。
うーん、だから、これは、
クリエイティブっていうものについて
最近、よく思うことなんですけど、
なにかを生み出すときっていうのは
「仕入れた覚えのないものが出てくる」。
それがなにかを生むことだと思うんです。
こんなもん、入れた覚えないんだけどな、
って思いながら生んでるんですよ。
その意味でいうと、『MOTHER3』のなかに
家族や、親子や、兄弟の話っていうものを
意識的に入れた覚えはないんです。

でも、結果的には色濃く入ってますよね。

糸井
そうですね。
ただ、なんだろう、家族といっても、
「血の物語」、つまり、
血のつながりのある家族の物語ね、血縁。
それじゃないんですよね。

ああ、そうですね。

糸井
血のつながりの物語は、
いままでいろんな人が書いてきた。
『MOTHER3』の場合は、
家族の物語なのに、
そっちのつながりだけじゃない
っていうところに、なにかこう、
未来に触ってる感じがありますね。

『MOTHER』も
『MOTHER2』もそうですが、
いわゆる一家団欒の家族ではないわけですね。
けれども、家族の絆はある。
そういうかたちが入ってしまっているのも
やっぱり、無意識に?

糸井
もう、まったく無意識ですね。
だから、家族っていう制度を
太古からある天然のものだっていうふうに
誤解させるためのしくみっていうか、
イデオロギーみたいなものが
いわゆる血のつながりの物語だと思うんです。
長いあいだに、人はそれに
すっかり浸っているわけですよね。
でも、大昔はそうじゃなかったかもしれない。
そんなことになったらいやだ、
って思う人がいくらいても、
共同で子どもを育てるような時代が
来る可能性だってないこともない。
実際、いま、家族制度って
壊れかけてますからね。
それがいいとか悪いとか、そういうことが
言いたいわけじゃないんですが。

はい。

糸井
軽いところでいえば、
結婚と同棲はどう違うのか? って、
どんどん曖昧になってきてるでしょう。
お父さんもお母さんも
ふつうに働いてるような状況のなかで、
夕餉にちゃぶ台を囲むなんてことは
とっくになくなってる。
なくなったらなくなったで、
みんなが思い込んでる家族のかたちに
はまらないと思って悩んでたり、
なんであなたはまんないのよ!
って責めてたり、責められたり。
で、そういうときに、もう、
はみだしたものを責められないと思うんです。
はまってる人は、はまってるし、
はまってない人は、はまってない。
幸福のさがし方って、
そんなもんじゃないでしょう?
っていうようなものは、もうすでに、
『MOTHER』のなかにも
『MOTHER2』のなかにもありますから。

そうですね。

糸井
ただ、『MOTHER3』の場合は、
その隠し味が、濃いかもしれない。

濃いですね。

糸井
うん。
あんまり物語の話はできないんですけど、
『MOTHER3』に出てくる
マジプシーっていう人たちも、
そういう「血のつながりじゃない家族」の
象徴のようなものですからね。

ああ、なるほど。

糸井
あと、もうひとつ、
『MOTHER3』のなかに
仕入れた覚えのない「家族」が
濃く入ってしまった理由のひとつは、
チームでシナリオをつくったときの
メンバーのなかに、
子どもが生まれたばっかりのやつが
いたっていうことですよ。

ああ。

糸井
その影響は大きかったですね。
ぼくにも子どもはいますけど、
いまは大きくなってるから、
距離があるんですよね。
だから、自分に子どもが
生まれたばっかりのときだったら
こんなセリフにはなんないな、
っていうのを平気で書けるんですよ。
ところが、そのメンバーには、
ようやく歩けるようになった子ども、
いわば、自分の内臓のような、
ちいさな子どもがいるわけです。
その気分はね、影響するんです。
ぼくが何気なく書いたようなセリフを読んで
そいつが「うわぁ」ってつらそうな反応をすると、
自分にもそのころの気分がよみがえってきて、
そんなつらいことを
オレは望んでるわけじゃないなって
思い直してみたりね。

なるほど。

糸井
けっこうぼくは、人の心に
ちょっとこう、引っかき傷をつけて、
冗談のひとつでもつけ加えて、
「平気、平気!」みたいなことを
平気でやっちゃうような
ところがありますからね(笑)。

(笑)

糸井
だから、すごく影響しましたね、それは。
そのきっかけは、
すごくよく覚えてるんですけど、
物語のなかの、ある墓守のセリフなんです。
墓守が、ほんの短くですけど、
父親について説明するセリフがある。
それをぼくは、何気なく、
ちょっと違うかもなって思いながらつくった。
もしも自分がその父親だったら、
そうはしないだろうなぁ、
って思いながらつくったんです。
そしたら、その、子どものいる彼に、
ものすごく響いちゃったんですね。
父親がそうしてしまう気持ちがわかる、
きっと自分もそうなってしまうだろう、って
そいつは言ったんです。
で、ぼくはちょっと驚いちゃって、
その、あわてちゃったんですね。
それで、ずっと考えるうちに、
「そっちの気持ちのほうが、いい」って思った。
これはね、ぼくにとって大転換だったんです。
そのトーンをベースにしてね、
後半の物語が転がりだしたんです。
どうしてもこいつは好きになれないんだよな、
っていうキャラクターひとりひとりを
ぜんぶ好きにさせたくなったりね。
ぽろっ、ぽろっと、
その気持ちがこぼれていくんですよ。
そういうつくりかた、
そういうおもしろさっていうのは
ひとりで小説を書いてるときには
ありえないだろうなって思う。

(続きます)

2006-04-28-FRI