たとえばこんな変な医者
『MOTHER』は変なゲームだとよくいわれる。
どのあたりが変なのか、きちんと伝えることは難しいが、
今日は、その「変」を、例を挙げて説明してみたい。
というのも、ゲームのとある一場面で、
「こりゃ変だよなあ」としみじみ感じたからである。
というわけで、今回の日記は、ややネタバレを含む。
具体的にいうと、街の人の、
あるセリフをそのまま記してしまうことになる。
といっても、物語の進行にはまったく関係がないから
そういう意味では安心してもらってかまわない。
その人は、「感謝祭」という意味の街に登場する。
職業は医者である。それ以上でもそれ以下でもない。
病院に勤めている、ふつうの医者である。
ゲームのシステム上のことでいうと、
街に住む医者は、いくらかのお金と引き替えに、
キャラクターの体力を回復させたり、
ステータス異常を治癒してくれたりする。
こういった人物が登場することは
ロールプレイングゲームにおいては珍しくない。
『ドラゴンクエスト』では教会とか宿屋にあたる。
つまり、医者が担うのは「回復という機能」であり、
医者の姿をしているのは、便宜上のことであるといえる。
ところがこの医者、便宜上の姿という意味を超えて
ずいぶん個性的である。ずばり、変である。
ふつうに考えれば、この医者は、
「あなたの体力を回復するのには○○ドルかかります」
「回復してよろしいですか?」
「ありがとうございました」
などとしゃべるだけで事足りる。
ところが『MOTHER』に出てくる医者は、
重要な人物ではまったくないくせに
つぎのようにしゃべるわけである。
その第一声はこんなふうである。
「まずマネーをみせてください。
ちりょうは それからです。」
こんな失礼な医者がいていいものだろうか?
しかも、なんでまた「マネー」なのだろう。
「おかね」でいいじゃないか、「おかね」で。
しかも、ここでプレイヤーが
自分の持っている金額を提示するのかというと
そうではなくて、医者は勝手に言葉を続けてしまう。
「みせないなら
こちらから きんがくを いいます。
21ドルで
あなたたちは なおる。」
ずいぶん勝手な話である。
しかも患者を暗示にかけようとしている感がある。
明らかに信用がおけない。
ほんとに医者なのかと疑いたくなる。
そういえば、昔、ひとり暮らしを始めようとして、
中央線沿線の不動産屋に入ったところ、
ドアを開けた瞬間、なかにいるおばさんから
「ああ、ラッキーなお客さんだね!」
と言われたことがある。高円寺だったっけな?
それはさておき勝手な医者は
こんなふうに言葉を続けるのだ。
「これ あかじ かくごの
しゅっけつサービスです。
OK?」
まったく交渉の糸口を見せないまま
「あかじ かくご」もないもんだ。
しかも「OK?」ときた。
そんな勝手な話があるか、とばかりに
「いいえ」を選んでみよう。
医者はこんなふうに言うのである。
「そうですか。
そうぎやにでも
でんわしときましょう。」
おいおいおい、なんだこの医者は。
ここまで言われる筋合いはないぞ。
だいたい、ひらがなしか使えないファミコンのゲームで
なんでまた「そうぎや」などという言葉を
無理矢理に使うのだろう。
大きなお世話だけれど、小学生に伝わったのだろうか。
しかしながら背に腹は代えられないということで
回復をしてもらうことにします。
「OK?」の問いかけに「はい」と答えると──。
「はい。たしかに21ドル。
はい もうなおりました。
また おおけがを
してきてくださいね。
やすくしとくから。」
率直にいって、非常に腹が立つ。
腹が立ちはするのだが、なぜかニヤニヤしてしまう。
体力を回復するだけの人なのに、
当時のゲームは容量が少なくて
使える文字数にも制限があっただろうに、
なんでまたこんな無駄なことをしているのだろう。
ニヤニヤしながら病院を出て、
そこにある看板を読むとこうある。
「いまなら とくべつ
おおやすちりょう!!
いのちは しんでもまもりたいもの」
くり返すが、
この医者は物語に影響するような人物ではない。
ただの医者である。
おかしなゲームだ、『MOTHER』は。