電車でピコピコ
しばしば書いてきたように、
駅のホームや電車のなかにいるときは
必ずといっていいほど
ゲームボーイアドバンスSPを開いている。
電車のなかで『MOTHER』をプレイしていると
どうやら僕はいろんなことを
気にかけたり気にかけなかったりする。
そのへんが、自分のことながら興味深い。
まず、いちばん当たり前のことからいうと、
電車のなかでプレイすること自体は
まったく気にならない。
「いい歳した大人がピコピコと」、
みたいな後ろめたさはまったくない。
もっとも、これは僕の職歴なども影響しているから
ふつうの感覚とはちょっと違うのかもしれないとも思う。
けれど、携帯電話だのPDAだのノートPCだの、
電車のなかで「ピコピコしたもの」をイジる人は
ちょっとまえに比べて格段に増えたから
「いい歳した大人がピコピコと」とか
後ろめたく思っている人は意外と少ないのかもしれない。
そんな僕ではあるが、
電車のなかでゲームボーイアドバンスSPを
開くことをためらう瞬間もあるのだ。
もちろん、満員電車のなかとか、
ほかの人に迷惑をかけるようなときは別として、
まったく自分の都合として
『MOTHER』をはじめることを
ためらってしまうことがある。
それは、先客がいるときである。
たとえばわりと車内が空いていて、
手近の席に腰を下ろしたとする。
さて、ということでバッグから
『MOTHER』を取りだそうとして、
ふと見るとなんと隣に座る男が
すでにゲームボーイアドバンスSPを手にしている。
何をプレイしているのかは定かでないが
彼はすでに液晶のなかへ集中している。
なんだかためらってしまう僕である。
あるいは、いつもの電車に乗るために
いつもの駅のいつものホームを歩いているとする。
毎日のことだから乗る場所は決まっているのだが、
いつものように列の後ろにつこうとしてふと見ると、
その最後尾に立つ人の手にゲームボーイアドバンスSP。
なんとなく、その後ろでプレイするのもどうかと思い、
その列を通り過ぎてつぎの列に並んだりする。
おかしなことをやってるなあ、とは思う。
どうやら僕は、ひとりでゲームをプレイすることは、
つまり、「いい歳してピコピコ」を
ひとりでやるぶんには、
電車のなかだろうが人前だろうが
まったく気にしないのだけれど、
「いい歳をしたふたりが並んでピコピコ」
には若干の抵抗があるようである。
なんだか自分でもよくわからないが
ほんとうのことだからしかたがない。
同じ意味で、自分の席の真ん前にいる人が
先にプレイしてるときも少しためらう。
興味深いことに、斜め前は平気である。
真横と真ん前はちょっとイヤなのである。
なんだか書いていたらだんだんわかってきた。
同じ場所にいることは平気なのだけれど
どうやら「他者を隔てず並ぶ」ということが
僕は苦手であるらしいぞ。
ちなみに、書いていて思い出したけれど
横に座って先にゲームをしているのが
チビッコである場合はまったくためらわない。
それどころか「ど~れ、オニイサンもやるぞお」
という気分で、すぐにでも電源を入れたくなる。
三十代半ばをオニイサンと呼ぶかどうかはさておき、
子どもと他者を隔てず並ぶことは
むしろ望むところなのである。
また、並んだ子どもが興味津々に
僕の画面をのぞき込んできたりすると、
これはこれで非常に喜ばしい。
「これはな、『MOTHER』というゲームでな、
14年もまえに発売されたものなんじゃよ」と、
オニイサンなのにジジイ口調で説明してみたくなる。
こうなると、いろいろ疑問がわいてくる。
そういうケースはなかったけれど、
隣で若い女性がゲームボーイアドバンスSPを
開いている場合はどうなのか?
両隣の子どもがプレイしている場合はどうなのか?
隣のオッサンが『MOTHER』を
のぞき込んできたときはどうなのか?
そんなことを考えてもしかたがないのでやめる。
進行状況を曖昧に記すとすると、
カボチャをくりぬいてあちこちの玄関に飾るような
意味合いの名を持つ街にいて、
電話が見つからずに苦労しているところです。
どこにもないのかな。