終わりの風景
電車のなかで一ヶ月近く『MOTHER』をやりながら
気にかかっていたことがあるとすれば
僕はこのゲームを終える瞬間を
いったいどこで迎えるのだろうかということだ。
電車のなかか。ホームのベンチか。自宅か。寝床か。
ゲームが終わりへ向かうとき、
僕はそれを経験することになる場所を周到に準備する。
いいゲームは必ずその終わりを
プレイヤーに予感させるものだから、
僕はいつもそれに対してきちんと備えることができる。
といっても、ひとりになったり、
夜を待ったり、コーヒーをいれたり、
照明を少し落としたりすることくらいだけれど。
いつそれが訪れてもおかしくないという状態で、
電車はすでに深夜のホームに停車していて、
車内はほとんど人がいないから扉の横の席に座って、
発車を待つあいだに、僕はふつうに電源を入れたのだ。
何しろ10年以上前のことだ。
どういうふうにそれが訪れるか、
細かいことはまったく覚えていなかった。
とりあえずつぎにするべきことはわかっていて、
それを遂行した瞬間に、今日がその日になるとわかった。
僕は今日、このゲームを終えるのだ。
迷いがあったとすればその瞬間だけだ。
そこで電源を切るかどうか僕は少し迷った。
何しろ、そこは地下鉄の電車のなかなのだ。
けれど、ゲームは終わりへ向けて
どんどんどんどんあふれ出していって、
僕はその流れにあらがえなくて、
それでも幾分うっとりとしながら
ゲームの続きを追い始めた。
考えてみれば、僕はほとんど毎日のように
ここで『MOTHER』をプレイしてきたのだ。
それを思うと、東京の地下を走る電車のなかは、
このゲームの終わりを迎えるのにうってつけな、
自分のホームグラウンドであるようにも感じられた。
僕は終わりへ向けて、きちんとプレイすることにした。
発車を告げるアナウンスが構内に響いている。
僕と僕の友だちたちの前で
行く手を塞いでいた岩はいつの間にかなくなっていて、
最後の場所へと続く入口がぽっかりと開いた。
電車は地下鉄のホームを離れた。
僕はゲームボーイアドバンスSPの液晶画面を
静かに強く見つめていた。
闇のなかに浮かぶ長い通路がある。
僕と僕の友だちがそこを歩いていく。
Rボタンは押さない。
ゆっくりと歩いていく。
最後が始まる。
こんなだったっけ、あいつは。
ゲームボーイアドバンスSPのボリュームを上げる。
一度それを経験している僕は
たぶん、覚えている。だから、備えている。
それでも、なぜこんな気分になるのか。
金属音が響く。
ハーモニーの極に位置するかのような、
耳をつんざくヒステリックな金属音。
順番をたしかめるかのように、
コマンドしていく。
その姿は覚えていなかったけれど、
いくつかの言葉ははっきりと覚えている。
まだそのときではないということが
僕にはわかっている。
僕と僕の友だちたちは、かばい合いながら、
そのときを待っている。
不意に僕がモニターから目をそらしたのは、
電車が乗り換えの駅に着いたことを
日々のサイクルから身体が知らせたからである。
乗り換えの駅の長い通路を
ゲームボーイアドバンスSPを持ちながら
歩いていく。意識はそこに残したままで。
いつもは軽快な音楽を聴きながら歩く道だ。
けれど今日は金属音を聴いている。
ヒステリックな金属音を聴きながら、
僕は東京の地下にめぐらされた通路を歩いている。
いつものホームのいつもの場所に着くと、
閉じてあったゲームボーイアドバンスSPを開く。
あいつが待っている。ヒステリックな金属音。
たしかめるようにコマンドし、
状況が変化しそうなあたりに電車が来た。
僕は意識を残したままで乗り込んで
ドアの横のスペースに身体をぎゅっと寄せる。
夜の11時を過ぎているが、
ふたつ先の駅でけっこう人が乗り込んでくるはずだ。
走る電車のなかで僕は最後へ向かう順番をこなし、
ついに指をかけるべきトリガーを確認する。
いつそれをひけばいいのか、少し躊躇する。
ライフアップΩ。
最後へ向かう、僕と僕の友だち全員に回復を。
トリガーをひく。色彩と音楽。
小さな液晶画面のなかに、混沌と調和の交錯。
温度が上がり下がりする。激しい起伏をともなう。
僕は冷静にすべてを受け入れようとする。
叫び声は長く、僕は努めて冷静に、
余すことなくそれを刻もうとする。
もう、いいだろう。もう、十分だろう。
たしか、10数年前の僕は、
この場面でポカンとしていたように思う。
ちらとそれをよぎらせながら、
コマンドしたそれが結果的に最後となった。
ゲームが終わりの挨拶を始めたとき
僕は恐ろしく集中していたと思うが、
感情がたかまっていたというわけではなかった。
僕は冷静に終わりのときを迎えたと思った。
けれどそこで予想外のことが起きた。
そんなことになるなんて思いもしなかった。
この期に及んでことわるのもへんな話だけど、
書くことはほんとうの話だ。
そんなに珍しいことじゃないかもしれないけど、
そのときの僕にとっては、
びっくりするような出来事だった。
終わりの挨拶を目で追っていたとき、
おぎゃあ、と声がした。
モニターから目を離さずとも認識できる位置に、
乳母車があった。誰かのつれた赤ん坊が泣いている。
終わりの音楽を聴きながら、
それでもその声はヘッドホン越しに僕の耳に届く。
赤ん坊はむずがったり喜んだりしながら
不確かな感情を自由に叫んでいた。
モニターのなかに続くエンディング。
盛り上がっていく柔らかなメロディー。
オーバーラップする、ふぎゃあ、という叫び声。
いろんな感情を表現する、赤ん坊の声。
地下を走る電車のごうごうという音。
続いている柔らかなメロディー。
彼か彼女かわからないけれど、
転がるようなあどけない笑い声。
いっしょくたになって僕の耳にあふれる。
よくもそんな状況でゲームが終わるものだと思う。
僕の降りるふたつ前の駅で、
お父さんとお母さんが
乳母車を押しながらホームへ降りた。
乳母車から、小さな足がのぞいている。
画面のなかでは、僕と僕の友だちの冒険が
どのように終わったかということが
つつましく伝えられている。
液晶画面のなかに続くエンディングを見ながら、
視界の端にその小さな足をとらえる。
カラフルな靴下を履いたその小さな足が
楽しそうにばたばたと宙を蹴るのを見た瞬間、
僕の中の何かのトリガーがひかれたらしく、
まさかそんな状況で泣かないだろうと思っていた
僕の予想があっさりと外れることになった。
だって、そんな演出って、ないだろうと思う。
電車はけっこう混雑していたから、
僕は額を電車の壁にこすりつけるようにして、
目にたまったそれを見られないようにした。
下を向いていたからぽつぽつ落ちたけど、
誰も気づかなかっただろうと思う。
電車が走り出して、ぼやける液晶画面を目で追って、
とうとうすべてが終わってしまって
液晶画面がオープニングデモに転じたとき、
笑っちゃうくらいできすぎたタイミングだけれど
電車は僕の降りるべき駅に着いたのだ。
僕は僕の降りるべき駅に降りたのだ。
すべてが終わっても僕は電源を切ることができなくて、
人気のない地下鉄のホームを、
まるでエンディングテーマのような
オープニングテーマを聴きながら、
自分の家へ向かって歩いた。
電車を見送る駅員の背中にさえ、
何か意味があるような気がした。