元ゲーム雑誌の編集者で、
テレコマンとしても活動している永田ソフトが
ここでは永田泰大さんとして
『MOTHER1+2』をプレイする日常をつづります。
ゲームの攻略にはまるで役に立たないと思うけど
のんびりじっくり書いていくそうなので
なんとなく気にしててください。

8月3日

汚らしくておぞましいあいつ

谷でたっぷりと癒された僕らは旅を続ける。
洞窟を抜け、本来の道へ戻って、やつを目指す。

そう、僕らは、あいつを倒しに行くのだ。
世にも汚らしくておぞましいあいつを倒しに行くのだ。
世にも汚らしくておぞましいがゆえに
なんだかみんなが記憶にとどめている、
あいつを倒しに行くのだ。

あいつに関して、僕はちょっとした勘違いをしていた。
あいつに出会うのは、もっともっと序盤だと思っていた。
シューティングゲームでいえば2面のボス、
というくらいのつもりでいた。
けど、あいつが登場するのは
僕が思っていたよりもずっとあとだった。
いまようやく僕はあいつに出会うことになるのだ。

世にも汚らしくておぞましい、あいつ。
きっとゲームのボリュームを下げたくなる、あいつ。
名は体を表す、あいつ。
けっきょく9年経って、みんなが覚えている、あいつ。

あいつがいるのはどうやら何かの工場のような場所で
僕はそこに踏み入れた瞬間に、うわあ、と思った。
なぜというに、そのグラフィックは
前作である『MOTHER』の
ダンカン工場を彷彿とさせたからだ。

どこになにがあるやら
まったく把握できなかったダンカン工場。
一本道ではない複雑な構造。
思わぬ場所に貴重なアイテム。
そこでの目的を遂行してなお、
完全に把握していない気がしてずっとうろうろしたっけ。

その工場はダンカン工場にそっくりだったけど、
全体の構造はとってもユーザーフレンドリーだった。
これもまた5年という歳月なのだろうなあと僕は思う。
ファミコンがスーパーファミコンになって、
より多くの人がゲームをプレイするようになって、
こりゃあまりにも不親切だ、と思われるようなことは
ゲームのなかからちょっとずつ排除されていったのだ。
たしかに、入るダンジョンがすべて
ダンカン工場のようになっていたら、
きっとかなりの人がゲームを投げ出してしまうだろう。

進んでいくと、あいつがいた。
世にも汚らしくておぞましい、あいつがいた。
誰もがけっきょく記憶にとどめている、あいつ。
名は体を表す、あいつ。

あいつはとっても記憶にのこる敵だったので、
僕はあいつのことをよく覚えていて、
ついでにいうと弱点や倒しかたもよく覚えていた。
あいつにしてみれば不運なことだといえる。

それでもあいつの特殊攻撃を何回か食らった。
ほんとうにいやだなあ、と再確認しながらあいつを倒した。

やっぱり、あいつは強烈である。
9年間、忘れられなかっただけのことはある。

あいつの汚らしさとおぞましさと、
ちょっとした魅力のようなものも再確認しながら
僕はその工場を立ち去った。

死闘を終えて、たぶん体中が汚れている。
温泉にでも入ってさっぱりしたい、と僕は思った。
風呂上がりにはコーヒーでも飲みたい。

2003-08-04-MON