『MOTHER』の面影
寝て、起きて、シャワーを浴びて、
コンタクトレンズをはめていたら、
不意に『エイトメロディーズ』を口ずさんでしまった。
まだ少し寝ぼけている朝の洗面所で、
思いがけず『エイトメロディーズ』を口ずさんでしまった。
コンタクトレンズは左目からつける。
両方をつけ終わるころには
頭のなかに『MOTHER』の世界が
すっかりよみがえっていた。
妙に明るい黄緑色のフィールド。
あれはアメリカの庭の芝生なのだろうか。
ちょっと上を向いて歩く主人公。
不規則に折れ曲がる、道の黄土色。
髪の毛を乾かすころに浮かんだのは
クリーンマリーだった。
「ほんとうのこどものように
かわいがったのに‥‥」
ゲームの終わりのころに
彼女が発した言葉のひとつひとつを
なぜかいまごろ僕は噛みしめている。
短いシーンだった。あっけないくらいだった。
短くて、切ない、別れの場面だった。
服を着替えながら、
僕はクイーンマリーの宮殿の音楽を
低く口笛で吹いている。
あのだだっ広い宮殿。つるつるの床。
クイーンマリーの紫のドレス。
なんだか僕はもの悲しい気分になってしまう。
昔、僕の友人がこんなことを言ったことがある。
「『MOTHER』は、どうやっても心に残るゲームだ」
ほんとうに、そのとおりだと思う。
ゲームを終えてなお、
『MOTHER』の面影はぶり返す。
夢のようにおもしろいとか、
めくるめく喜びがあるとか、
どこをとっても愉快だとか、
そんなふうには僕は思わない。
けれど、ゲームを終えてしばらく経ってなお、
『MOTHER』の面影はぶり返す。
ぶり返したそれを思い出したり口ずさんだりしながら
慌ただしく朝の準備をした。
クイーンマリーについて考えていたら
ボブ・ディランの『ジャスト・ライク・ア・ウーマン』の
2コーラス目の歌い出しのフレーズが浮かんだ。
──Queen Mary, she's my friend.
Yes I believe I'll go see her again.
CDの棚のところまで行って、
わざわざそこの歌詞を確認してみたりした。
そのままそれを口ずさみながら家を出た。
昨日ほどじゃなけれど、今日も暑い。