ギーグとスパゲティー
僕らは4人で灰色の道を上っていく。
そこにあいつが待っている。
どういう姿だったかは、またしても覚えていない。
ただ、確信するのは、この先に
あいつが待っているということだ。
いいロールプレイングゲームは
きちんとその終わりをプレイヤーに予感させる。
僕らは4人で灰色の道を上っていく。
そこにあいつが待っている。
灰色の道は灰色の岩肌へ突き当たり、
そこに最後への入口がある。
とうとう僕らはここにたどり着いた。
僕と僕の仲間は、岩肌からのぞく闇へ、
まっすぐに踏み込んでいく。
そこにいる最後の敵。
やはり僕には見覚えがない。
こんな姿だったっけ?
──ギーグ!
9年前に一度この場所を経験している僕は、
この戦闘に一発でケリをつける気でいる。
この道をまた上ってくるのはごめんだ。
僕は、どうやったらこの戦闘が終わるのかを覚えている。
9年前のことだけれど、忘れるわけがない。
少なくともあと30年くらいは、
やつを倒す方法を忘れない自信がある。
火ぶたが切って落とされるが、
僕はこれまでの戦闘と同じ慎重な戦略をとる。
全員にシールドをかけて、
防御力を上げる装置を起動させて、
一時的にガッツを上げるアイテムを使う。
長い長い戦闘が始まる。
敵の強さは単に攻撃力や防御力の
数値に因るものではない。
レベルの上昇によっては補いきれない、
やっかいな種類の攻撃を仕掛けてくる。
アイテムをもっと持ってくればよかった。
僕と僕の仲間の足並みがそろわない。
容赦なく不可思議な攻撃が降り注ぐ。
細かいことは、まったく覚えていない。
僕が覚えているのはただひとつのことだけだ。
いつがそのときなのか、僕はじりじりと待つ。
もしくは、僕が決断すればいいだけなのか。
長い戦闘は単調ではなく、
この期に及んでゲームは恐怖を演出する。
断続的に挿まれる演出が、
まだそのときではないことを告げている。
不可思議な攻撃が仲間の意識を奪う。
ウインドーの文字が真っ赤になる。
アイテムを使うか、サイパワーで復活させるか。
HPを示す数値はぐるぐると下がり続けていて、
僕は焦りながらコマンドする。
そのようなくり返しが何度かあり、
戦闘の流れは波のように移り変わる。
もう、そろそろのはずだ。
つぎに、足並みがそろったときに。
最後のタイミングを計るとき、
深夜の電車は僕の降りるべき駅に着いた。
僕は意識を液晶画面のなかに残したままで
ホームを歩き、階段を上り、改札を出る。
駅前はちょっとした公園になっていて、
緑のなかに街灯とベンチがぽつぽつある。
僕は開いたままのゲームポーイアドバンスSPを持って、
人通りの少ない場所にある、
誰もいないベンチへ身をあずける。
深夜に浮かぶ公園のベンチ。
どうやら僕はここでこのゲームを終える。
コマンドするとき、場が変質する。
終わりが始まる。
やはり、鼓動が速まる。
わかっているのに、どきどきする。
どうか誰も倒れないでくれ。
4人で終わりを迎えさせてくれ。
9年前、僕はぼろぼろの状態で
このコマンドにたどり着いた。
何もかもが費えて、八方ふさがりになったとき
このコマンドにたどり着いた。
忘れられるわけがない。
くり返す、9年前と同じシーケンス。
追いながら、きっと体温が少し上がる。
そしてとうとう最後のダメージが表示される。
さよなら、ギーグ。
やはり少し涙がにじむ。
深夜の公園のベンチで。
放心しながら、液晶画面に広がる風景を眺める。
流れ出す、おしまいのメロディー。
僕は見つめることをやめ、
僕として最後の世界を歩き始める。
さあ、お別れの挨拶をしなくっちゃ。
ゲームは、プレイヤーが終わりを決める。
エンドロールは勝手に流れ出したりしない。
だから僕は戸惑うのだ。
いったいどうやって終わりを決めればいいのか、と。
公園のベンチでうつむく僕のポケットで
携帯電話が鳴った。妻からだった。
いったいどこにいるのか、と彼女は言った。
気づくと、終電はとうに終わっている時間で、
僕がここに座ってからすでに30分近く経っている。
さすがに駅前の公園のベンチで
めそめそ泣いているとは言えなかったので、
15分くらいで帰ると言って切った。
さあ、終わらせなければ。
エンディングが始まるわずかな自由時間に
セーブポイントはない。
僕は、いま、ここで、自分で幕を引かなければならない。
きっと、ゲームをどこまでも把握したい人は、
この世界の隅々までを回り、
可能なかぎりすべての人に話しかけるのだろう。
たぶん、僕はそれをしない。
僕は深く考えないことにした。
そうだ、フォーサイドに行こう。
いちばん好きな街にお別れの挨拶をしよう。
テレポーテーション。
最後に黒こげになって気分を壊したくないから、
βのほうを使おう。
街の人たちからちょっとしたメッセージ。
きっとよその街でも、
いろんな人がいろんなメッセージをくれるのだろう。
そう思うだけで十分だ。
たぶん、取り逃したアイテムや、
出会っていない人や、
読んでないメッセージが山ほどあるのだろう。
けれど僕は可能なかぎり隅々までこの世界を歩いてきた。
それは、チェックリストを埋めるような旅ではない。
ホテルから電話をかけてみた。
いつものパパから、いつもと違うメッセージ。
ママはスパゲティーをつくって待っていてくれるという。
もうそれが1ヵ月半も前のことになるけれど、
僕は好物をスパゲティーと入力したのだ。
「パスタ」と入力してやめて、
「ペペロンチーノ」じゃ入らないことに気づいて、
毎日が「ボンゴレ」だと飽きるかもなと思って、
けっきょく「スパゲティー」にしたのだ。
それから1ヵ月半。ずいぶんゆっくり歩いたものだ。
仲間の女の子と別れるまえに、サマーズへ飛んだ。
わざわざ避暑地のジェラートを買って食べた。
おしゃれなクラブはつぶれてしまっていた。
しばらく、ふたりでうろうろする。
海辺の街から、ツーソンへ。
さよなら、僕の友だち。
そうして、僕はとうとうひとりになって、
自分で終わりを決めるばかりとなった。
深夜の公園のベンチで、終わりを前に途方に暮れる。
きっと、ママのいる自分の家へ帰れば
すべては終わってしまうのだろう。
僕は性質として同じゲームを二度とくり返さないから、
きっとそれでこの世界を訪れることはないのだろう。
僕は『MOTHER2』が大好きだけれど、
もうこの世界を訪れることは二度とないのだろう。
いいゲームが終わってしまうとき特有の寂寥感が
深夜の公園のベンチにいる僕を静かに満たしていく。
僕はなかなかママの待つ家へ帰る
ふんぎりがつかずにいた。
そこで予想外のことが起きた。
この期に及んでことわるのもへんな話だけど、
書くことはほんとうの話だ。
僕のポケットで携帯電話が鳴った。妻からだ。
とっくに15分過ぎたけど、
あんたはいったいなにをやっているのか、と妻は言った。
彼女の不満はもっともである。
むにゃむにゃ謝る僕を制して、
妻は、自分が怒っている理由をこう説明した。
あんたが15分で帰ると言ったから、
私は料理の支度を済ませてしまったのだ、と。
「もうスパゲティーゆでちゃったんだから!」
スパゲティーだって?
世にもおかしな偶然に、僕は思わず吹きだしてしまう。
その反応を受けて、妻はまた何か言った。
僕は笑いながら謝って、電話を切って立ちあがる。
立ちあがって、深夜の公園を抜けながら、
ゲームのなかの僕を歩かせる。
ゲームのなかの「僕」も、プレイヤーの「僕」も、
自分の家へ向かって歩き始める。
ほんとうにできすぎた話だと思うけれど、
どちらの家でも、
スパゲティーが待っている。
僕は『MOTHER2』を終えた。