「『MOTHER』と
アメリカン・ニュー・シネマ」
ゲームのことを思い出した時に、
その映像と同時に「そのゲームで流れていた音楽」まで
思い出してしまうという感じが一番強かったのが、
MOTHERシリーズであったと思います。MOTHERシリーズの曲って、なんかこう、
うまくことばにならないんですよね。
例えば、MOTHER1でロイドが仲間になったあとの
フィールドの曲って、
「なんか知らないけど聞いてると
心が頑丈になった気分になる」
という感じがします。
あと、MOTHER2のラストダンジョンの曲は、
「なんか知らないけど、
寂しくて、とても恐ろしく、そして悲しい」
という感じです。エイト・メロディーズにおいては
「曲が直接自分の涙腺を刺激してきて涙が出る」
って感じですかね。
とにかく、なんか、曲のことを文章にしようとすると
自分でも何書いてんだかわかんなくなるんです。でも、「頭じゃなくて心に残るもの」というのは、
こういうものなんじゃないかなと思います。
そんなゲームの製作に関わってきた方々を、
心から尊敬し、感謝し、そしてちょっと嫉妬しています。
そして、MOTHERというゲームを知っている自分を
ちょっとだけ誇らしく思います。
(なかむ)
うかがっていると、やっぱり、
すごいつくりかたをしてたんだな、と感じます。
- 田中
- 当時はあまり意識してなかったけど
いたるところに
ある種の過剰さを感じますね。
それがお互い影響しあって
混ざり合って、、という、、
- 鈴木
- はたから見たら、あまりにハイなんで、
まともじゃなく見えたかもしれないね(笑)。
- 糸井
- まともに仕事のこと考えてる人から見たらね。
どことどこが無駄で、
どことどこが下らなくて、
どことどこはやめたほうがよくて、
っていうチェック・リストを作ったら、
『MOTHER』はできないね(笑)。
- 鈴木
- ゲームの容量いっぱいいっぱいで作ってると、
こっちの容量もギリギリまで
使わないとって思うんだな。
暴走してる感じがあったもんなあ、砂煙あげて。
ママ助けて、止めてくれー。
- 田中
- そうそう(笑)。
そういうふうにつくっていったとしたら、
「なぜ破綻しなかったんだろう?」
って感じるんですけど。
- 糸井
- それはさ、最初に、
「何がしたいか」ってことをわかってたからだよ。
そこだけはキリッとする瞬間、
みたいなのが、ひとりひとりにあったからね。
不良だけど泥棒だけはしねぇぜ、みたいな。
- 鈴木
- 暴れるけど、命だけは助けてやる、とかね。
- 糸井
- うん。だから、
「自分たちが自由にやんないと、
人も自由にできないかな」みたいな感じが
そのころのムードとして強くあったんだ。
かといって「オレがオレが」っていって
でしゃばったりはしないんだよ。
やっぱり、なんていうか、
「裏方に回るつもり」が、すごくあったよね。
- 鈴木
- そうだね。自由にまかせてもらってる、裏方。
- 糸井
- たとえば、ひとつおぼえてるんだけど、
テレビCMの最後に「糸井重里発明」っていう
文字を入れようっていう案があったんだよ。
そういう気持ちはわかるんだ。
だけど、ゲームをつくるってことってね、
すごく、「裏方だ」って気があったんだよ。
で、裏に回ったまんまでいいものを作って、
それで拍手がほしかったんだよね。
だから、ひとりひとりが
プロデューサー的っていうか。
- 田中
- うんうんうんうん。
- 鈴木
- CDつくるときもやっぱり、
プロデューサーとしての自分が、
自分の後ろにいたからね。
いや、前か。わかんなくなってきた。
なるほど。
- 糸井
- そういうふうにして、
なにをしたかったのか、っていうと、
忘れないようにさせる仕事なんだよね。
そのために、いろいろ過剰にやったんだよ。
あれで、オレが金まで握ってたら、
えっらいたいへんだったろうね。
お金のことを最初に考えてたら
絶対につくれなかったゲームですよ。
だって、維持費だけで、あり得ないぜ(笑)。
- 鈴木
- 音楽に関してもそうだよね。
ほんっとにいまとなっては
ありがたいと思ってるんだけど、
いいスタジオも使えたし、
いいミュージシャンも使えたし。
いい録音状態にもなったしね。
それはその後にも生きていくわけで。
- 糸井
- うん、そうだよな。
無駄なセリフ入れるっていうことも、
同じようなことじゃないですか。
無駄だってわかっていても、
無駄にしたいために入れてるんじゃなくて、
あったほうがいいから入れてるわけだから、
入れる必然性はぜんぶあるんですね。
だから、『MOTHER』のパターンを
マネしているつもりのセリフとか、
たまに人のゲームで見たりすると、
「それは無駄でしょう」って
言いたくなるときがあるんだよね。
それはセリフでもそうだし、
音楽でも絶対そうだよね。
いまはできないんだよな、って言いかたは、
悲しいけどほんとだよね。
だって、だいたいさ、
タイトルが中身を直接的に
表してないじゃないですか。
- 田中
- うん。
- 鈴木
- そうですね。
- 糸井
- もし、ぼくの上に
もうひとり決定権のある人がいたら、
もうちょっとこう、なんか、
『ネスの大冒険』とか、
なんかあるだろうが、って言いますよね。
パッケージだって中身をぜんぜん表してないし。
でも、だからこそ残ったんですよ。
みんながおぼえていてくれるんですよ。
こういう言いかたは誤解を招くかもしれないけど、
アクションゲームでやれないことをやりたかったし。
「『マリオ』のどのシーンよかった?」
っていう思い出は語れないものね。
- 鈴木
- そこ重要だよね。だから、
『MOTHER』って、映画でいうと、
アメリカン・ニュー・シネマ
(※60年代の終わりから70年代にかけて
アメリカを中心に制作された、
それまでの常識にしばられない
自由な作風の映画)だと思うんだ。
アメリカン・ニュー・シネマ。
- 鈴木
- それ以前の映画って、
映画監督はたんなる演出家だったわけだ。
つまり映画を演出する、それでおしまい。
編集や細かい仕上げは違う人がやる。
その意味で、映画監督は作家ではなかった。
それが、ニュー・シネマ以降になって
ようやく変わるんだ。
そこで初めて映画監督は作家になる。
『MOTHER』って、
そういうタイミングのものだと思う。
- 糸井
- 奇しくもぼくはあのころ
「『MOTHER』はロード・ムービーだ!」
って言ってたね。
- 鈴木
- ああ、そうそう。
だから、ゲームの隅から隅まで
糸井さんの息みたいものが、
かかってるんだよね。
- 糸井
- ワルい意味でもね(笑)。
あのころは、やっぱり「ワルいイトイさん」が
まだ生きていた時代で。
それはそれで、ゲームのなかに
うまく作用したとは思うんだけど。
- 鈴木
- ハッハッハッハ。
よくよく考えると、ファミコンとスーファミで
こんなにゲーム全体のデザインがイカス作品って、
多分現在主流のゲームにもあんまりない。
映画で言うと「時計仕掛けのオレンジ」。
真っ赤な箱に金色で書かれた
「MOTHER」と地球の絵なんて、
めちゃめちゃカッコイイもの。
「1」「2」とも、箱取説付きで大事に保管しています。
(yam)