村田
2階は企画展示室でして、
3か月ごとに新しい企画をやっています。
──
現在は‥‥。
村田
明治の帝室技芸員シリーズの第2回目で、
蒔絵編を開催しています。
※現在では終了しています。

──
さきほどもチラッと出てきましたが、
帝室技芸員とは、どういった?
村田
はい、帝室技芸員とは、
すぐれた美術家・工芸家に与えられる
顕彰制度で、明治23年に制定され、
第二次世界大戦中の
昭和19年まで50年以上続いたんですが、
その間、「蒔絵」で、
帝室技芸員に選ばれたのは、4人だけ。
柴田是真、池田泰真、川之邊一朝、
白山松哉がその4人なんですが、
今回は、
彼らの作品だけを展示しているんです。
──
つまり「蒔絵四傑」の作品が、ここに。
村田
これなど素晴らしいもので、
明治天皇がずっと使っておられた、棚。

川之邊一朝《秋景蒔絵飾棚》 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

川之邊一朝《秋景蒔絵飾棚》部分 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

──
わあ、明治天皇ご愛用の品ですか。

建築物みたい。
近くで見れば見るほど、凄まじいです。

なんか、手描のモノグラム‥‥。
村田
いわゆる「無銘」ですが、
じつは川之邊一朝がつくったものです。
天皇の注文品だから「無銘」なんです。
──
でも、そんなものが、なぜここに。
村田
はい、明治天皇が亡くなられたあと、
大正元年から2年にかけて、
大正天皇が、
明治天皇の遺品分けをされたんです。
皇族方や、当時の国務大臣に向けて。
──
そんなことが、あるんですね。
村田
この棚は、当時の宮内省の宮内大臣に
差し上げられたのですが、
のちに、その方が手放されたものです。
まあ‥‥世代を重ねて、
経済的に苦しんでおられたりしたら、
天皇からいただいたものを、
手放される家も、中にはございまして。
──
ああ、そうなのですね。
村田
そのような事情で、
当美術館に収蔵されているなかにも、
ずいぶん、
明治天皇のお持ちだったものが。
junaida
でも、そういう由緒ある道具が、
こうして公開されるって、すごいです。
高貴な方の家にあるだけだったら、
ぼくら一般人は、
永久に見られなかったはずだから。
──
帝室技芸員という人たちは、
やはり技術が素晴らしかったんですか。
村田
帝室技芸員の作家に共通して言えるのは、
まず超絶技巧の持ち主である、
つまり、職人的な技術が素晴らしいこと。
さらに、芸術的な感性に秀でており、
芸術家としての才能も、備えていること。
junaida
職人の技術と、芸術家の感性と。
村田
こちらなど、白山松哉の香合
(こうごう/お香を入れる箱)ですけど、
極めて細密な渦を、
すべてフリーハンドで描いているんです。
線の太さ、線と線の間隔‥‥
おそろしい集中力と根気が必要でしょう。

白山松哉《渦文蒔絵香合》 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

──
これは‥‥うずまきといえばの、
伊藤潤二先生もビックリ、でしょうね。
junaida
これって‥‥どれだけ技術を高めたら、
こんなことができるんだろう。
村田
帝室技芸員の作品に共通するのは、
超絶的技巧、芸術的感性にプラスして、
「気品」を感じることです。
彼らには天皇の調度品をつくる仕事を
与えられていましたので、
品格や風格というものが不可欠でした。
junaida
あと、印籠がいっぱいありますね。
村田
ええ、こちらは白山松哉が作った印籠、
非常に細密な菊尽しの文様。

白山松哉《菊尽し印籠》 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

junaida
かっこいいです。サイズ感まで含めて。
──
印籠というものが、
こんなにもかっこいいものだったとは。

柴田是真《菊尽し印籠》 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

junaida
手の平にちょうど収まる世界のなかで、
「美」が、完結してると思います。
村田
こちらは、柴田是真の作品。
彼は日本画家としても有名なんですが、
最初に漆芸で、帝室技芸員になった人。
junaida
わあー‥‥。

柴田是真《荷葉香合》 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

村田
で、こちらが、川之邊一朝。
はじめにごらんいただいた棚のように、
明治天皇の調度品をつくっていた人。

川之邊一朝《百花図料紙箱》 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

junaida
金の色ひとつとっても、さまざまです。
村田
ええ、そう、そうなんです。
金・銀・銅の比率を変えて、
いろんな金の変化を出しているんです。
junaida
これだけ全体を金で統一していたら、
もっとギラギラしちゃう気もしますが、
すごく落ち着いてて、
むしろシックな印象になっていますね。
こういう技術って、現代では‥‥。
村田
正直に申しまして、
現代の職人と、明治の名工との間には、
技術的な格差があると思います。
──
それは、なぜでしょうか。
村田
こうした工芸技術は、
明治期にピークに達するわけですけど、
その直前の「平和な江戸時代」に、
武士の道具、
刀だとか鞘とか柄につける金属金具が、
美術品化していったんです。
──
大名たちが、競うようにして、
自分の持ちものを自慢していた時代に、
工芸的な技術は、
後にも先にもない「高み」に達したと。
村田
そういうところへ、明治になって
欧米から、
見たこともない技術やモチーフが、
どんどん入ってきたのです。
両者の化学反応で、
どんな時代にも似ていない明治工芸が、
生まれたのだと思います。
──
なるほど。
村田
それに、江戸時代当時の徒弟制度では、
蒔絵師の家はずっと蒔絵師、
金工師の家はずっと金工師でした。
彼らは、3つ4つのころから、
親兄弟の仕事ぶりを見ながら育ち、
鏨(たがね)で遊んでいるわけですね。
junaida
ええ。
村田
そのあと、10歳から15歳くらいで、
正式な内弟子となり、
そこから10年から15年間、修行する。
そこにどっぷり浸かった生活のなかで、
「技術」というものが、
かつてないほど培われていったんです。
junaida
そうでもしないと‥‥、
つまり、
それだけに生涯を捧げる人生でないと、
この高みには届かないんですね。
村田
と、思います。

白山松哉《菊尽し印籠》部分 
写真提供:清水三年坂美術館 撮影:木村羊

junaida
でも、そうやってつくられた作品が、
現在では、
ほとんど海外に流れてしまっている。
村田
そうです、明治時代からずっと。
それは、ひとつには、
そもそも、貿易用につくっていたから、
なんですけど、
もうひとつには、そうした明治工芸に
われわれ日本人が、
ほとんど、
興味を持たなかったことが大きいです。

<つづきます>

2017-09-09-SAT