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自分は持ち家ではないんですが、
同世代の仲間は、けっこうばらばらで、
家を持つものもいれば、
ぼくのようなずっと賃貸でというスタイルのもいます。
けれども、このごろ、
少し下、30代の仲間たちは、
ぽんと家を買ったりもしているんです。
そういうのを見て、
買っとけばよかったのかな?
なんて今さら思っても、
自分の年齢だとローンを組むのは
ちょっときつい、という現状です。 |
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既成のローンっていう制度に乗っかると、
40代で買うのはたいへんだということになりますよね。
払い終えるのを65歳だとして逆算したら、
30年ローンを終えるには
35歳で決心しないといけないから。 |
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それがスタンダードなんですよね。
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僕がいま33歳なんですが、
やっぱり同世代が家を買い始めました。
けれども40過ぎるとそれこそ
もう一生賃貸でいくぞっていう人が多い。
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もういいか、みたいな。
わたしもそうなんです。
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そうは言っても、
一生賃貸でいるぞという宣言めいたことを
言っているわけでもないんですよ。
ほんとに心から思って言ってるわけではなく。
持ち家っていいなーとぼんやり思ったりもする。
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お金の話はさておき、ということにしたら、
家を持つっていうことに対する思いっていうのは、
希薄になりつつあるんでしょうか。
いつかはマイホームを、みたいなのって、
我々の世代は結構あると思うんですけど、
上に行けば行くほどそれは薄くなるのか。
それとも濃くなっていくのか。
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その「お金の話はさておき」ができない。
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そうですよね。
やっぱりいわゆる老後の不安みたいな、
70、80になって毎月10何万払うの、みたいな。
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高度経済成長時代に
ほぼほとんどの人が都会に出てきて
働くっていうことになったじゃないですか。
それまでだとたぶん、家を継ぐか、
男の人でも婿養子に行って家を継ぐというように、
「継ぐ家」っていうのがあったんだと思うんですよね。
でも、都会に出てきちゃったらもう、
継ぐ家がないから、自分で建てるしかない。
うちの親も、自分が死んでも大丈夫なようにって
30代に家を建ててるんです。
あのころは建てないとやっぱり
一人前じゃなかったんだと思うんですよね。
けれども今って、
家を建てることが決して一人前の証じゃなくても
いいような時代にはなってるかもしれませんね。
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確かに。
高度経済成長においては、持ち家って、
ひとつのステータスだったろうし。
ただ、持ち家の良さっていうのは、
家族としての場所というか、
「みんなが共有するもの」だと思うんです。
それは単純に坪単価いくらとか
数値化できるものではないですよね。
例えば、いまは亡きおばあちゃんとか
おじいちゃんとのすごく貴重な思い出があって、
ここの和室でみんなで団欒したみたいなことって言うのは
もう、取り返しのつかないものじゃないですか。
そういうものを、積層させていく場所として、
家っていうものが存在するのであれば、
果たして、賃貸の自由度と、
自分が固定してある場所を保って、
それこそいまのおばあちゃんみたいな話を
持ち続けることの意味を、天秤にかけるのか。
そりゃあ、賃貸で動き続けることの
合理的な側面はありますけれどね。
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私、生まれたときから転勤族で、
大学に入るまで、いわゆる家族で住んでるなかで、
10回転勤があって、家が変わってきたんです。
そんななか父は、万が一自分が死んだときのためにと、
家を建てたんですけど、
その家に家族で住んだのは2年間だけなんです。
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それってなんか皮肉というか‥‥。
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いまはどうしているんですか。
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いま、誰も住んでないですよ。
倉庫みたいに使っているだけ。
ただライフスタイルが変わって行って、
ボロボロになって、
住まなくなったまま放置されるって状態です。
東京の人が別荘地にするような場所ですから、
住んで都内に通勤するのもかなりつらい。
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それでもワタナベ家は家があるわけでしょ?
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そうなんです。だから、
「いざとなったら帰ればいいや」
っていう安心感はある。
雨露はしのげる。
自分だってまだ身の振り方が分かんないから、
家は買わずに賃貸のままでいいや、
みたいな感じなんですよ。
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武井さんはどうですか。
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実は僕も同じで、静岡の実家があります。
静岡は城下町で、商店街の家はいずれも
間口が狭くて奥に長いうなぎの寝床な敷地なんですね。
昔の家は──、うちは和菓子屋を営んでいたので、
手前が店、真ん中に作業場があって、
中庭があって水が流れてて、その先に住まい、
いちばん奥が離れになってる風呂トイレ、
それから大きな犬小屋がありました。
昭和五十年代かな、それを全部壊して、
大借金して借地だった土地を父が買い、
建て替えてちいさなビルにして、
下を貸して上に住むようになりました。
でも非常に住みづらい家ですよ。
4階までの急な階段を毎日70代の両親は上ってる。
貸すか売るかしてマンションに住めばと僕は思うんですが、
父はそれこそ場所が大事だと言うんですね。
「俺はここで生まれたからここで死にたいんだ」と、
そんな気持ちなのかもしれません。
いま具体的に問題が起きているわけじゃないですが、
先々どうするんだろうと思いつつ、僕はそれでも、
その家があるからいま「賃貸でいいや」と
思っているのかも知れないですね。
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なるほど。
家について語り得るのは
まず自分の経験しか無いということですね。
つまり、自分の歴史における家のあり方が
考える物差しになっている。
僕は海外で生まれて、
両親とともに、アメリカ、カナダ、
イギリスに住んできました。
けれども永住ではなく、
両親はいずれ日本に帰るという。
すべて仮住まいな感覚です。
そこが自分のふるさとだという、
アンカー(錨を下ろす感覚)は無かったんですね。
その後、家族で日本に戻り、
父が大阪の会社で働いていたので、
ベッドタウンとして奈良に家を建てました。
ところが5年後また海外に行くことになり、
「奈良の実家」は5年間しか機能しなかった。
いま両親はその奈良に戻ったんですけど、
思うのは、人生が刻々と変わるっていうときに、
戻るべき場所っていうのがあるっていうのは、
やっぱり大事なんじゃないのかな、と。
それが家の役割なんじゃないのかなと。
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たしかにそうだとは思いつつ、
単身者にとっての賃貸住宅も、
「ホーム」には変わりなくて、
そこは「帰る場所」なんですよ。
そこを維持するためのお金は喜んで払う。
でも、さっき鈴木さんがおっしゃったように、
「じゃぁここに、70になってもいられるのか。
どうすんだ、お前。」ってときに、
ちょっとぞっとするんですよね。
「どうしてんのかなー、俺」と思いながら。 |
(つづきます) |