染織家で紬織の人間国宝・志村ふくみさんは
2024年9月に100歳を迎えました。
滋賀県立美術館や東京の大倉集古館で、
「志村ふくみ生誕100年」の催しが
開催されるなか、TOBICHI東京でも、
「100の彩ノ種(いろのたね) 」展を開催します。
志村ふくみさんと洋子さんの
芸術精神を継承するブランド
atelier shimura(アトリエシムラ)と、
アーティストであり、アクセサリー作家でもある
AFLO+(アフロプリュス)の皆川眞弓のコラボ展です。

開催にあたって、
アトリエシムラ代表の志村昌司さん、
立ち上げから活躍する吉水まどかさん、
AFLO+(アフロプリュス)の皆川眞弓さんに
お話をうかがいました。

>志村 昌司さんプロフィール

志村 昌司(しむら しょうじ)

紬織の人間国宝・志村ふくみの芸術精神を継承する、染織ブランド・アトリエシムラ代表。芸術学校アルスシムラ特別講師。 京都大学法学研究科博士課程修了。 2018年、2021年の二度にわたって新作能「沖宮」(石牟礼道子原作)プロデュース。 2022年、オリジナル手織機hatariでグッドデザイン賞受賞。 著書に『草木の聲』(京都新聞出版センター)、『夢もまた青し』(河出書房新社)、監修に『別冊太陽 志村ふくみ』(平凡社)など。

>吉水まどかさんプロフィール

吉水まどか(よしみず まどか)

芸術学校アルスシムラ一期生。2014年から3年間、都機工房にて志村ふくみ先生、洋子先生より染織を学ぶ。その後、染織ブランド「アトリエシムラ」に立ち上げから関わり、現在も一員として活動。

>皆川 眞弓さんプロフィール

皆川 眞弓(みなかわ まゆみ)

AFLO+(アフロプリュス)主宰。アーティスト、アクセサリー作家。花による空間演出を学んだ知識と、10年間フラワーショップに勤めた経験を活かし、編む・縫う・刺繍するなど手仕事で、空想植物をモチーフとしたアート作品やアクセサリー、ウェディングアイテムを制作。
https://www.instagram.com/afloplus/
https://afloplus.com/

取材写真撮影:KIKI

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第1回

100歳、その先の生き方。

ほぼ日
志村ふくみ先生は、
9月に100歳のお誕生日を迎えられたそうで、
おめでとうございます。
志村
はい。ありがとうございます。
ほぼ日
「生誕100年記念 人間国宝 志村ふくみ」の企画は
滋賀と東京で行われるとうかがいました。
志村
滋賀県立美術館の展覧会と
東京の大倉集古館の展覧会がメインの企画です。
世界文化社の『家庭画報』さんとは
すごく長いお付き合いで、もう20年以上、
わりと定期的に載せてもらってたりとかしてて。
大倉集古館での展覧会の図録は
世界文化社さんがつくったんですよ。
ほぼ日
わぁ、たのしみ。
志村
なので、美術館がつくる図録とは
また趣が違いますね。
ほぼ日
へぇぇ。
志村
大倉集古館で
100歳記念のパーティーをやるんですけど。
それも世界文化社が中心に企画してくれました。
100歳って、ちょっと前人未到じゃないですか。
これからどういう生き方をするのか。
ふくみさんは、30歳から染織をはじめて、
40代、50代あたりは染織家として
染織ばっかりやって。
58歳でね、
はじめてのエッセイ集
『一色一生』を出版して、
そこから60代、70代、80代、90代って
ずっと、エッセイも書いてきて、
まあ、仕事を始めてから
70年ぐらいのキャリアになりますね。

志村
今年100歳になって、
90代のときともちょっと状況が違いますね。
100歳なりの活動っていうか、
表現活動とか精神活動が今後どうなるかは、
もう誰もわからないし、
本人もどう過ごしていくのかなんていうのは
たぶんわからないと思うんですけど。
ぼくたちもこれからがたのしみでもあるし、
自分の人生を生ききるっていうか、
生きぬくみたいなことが
こうなんだっていうことを
見せてもらっている感じですかね。
ほぼ日
すごい‥‥。

滋賀県立美術館の展覧会会場で。
右が志村昌司さん、左が志村宏さん。 滋賀県立美術館の展覧会会場で。 右が志村昌司さん、左が志村宏さん。

志村
100歳ってどう生きていくのか。
幸い病気とかはあまりなく‥‥、
まあちょこちょこあるんですけど、
すごい途中でダウンして、とかではなくて、
わりとね、ずーっと元気で来れているんで。
100歳生きるとか、105歳生きるとか、
つまり人生って、
どういうことなんだろうっていうのを
考えさせられています。
ぼくは、この何年かよく思うんですけど、
ふくみさんはけっこう日課があって。
ほぼ日
日課ですか?
志村
朝起きてご飯食べたあとに
必ず写経をしていて。
もう10年ぐらいやってるんですよね。
般若心経を、ずーっと筆で写していって。
で、2日で1枚って決めてるんですよね。
で、50枚ぐらいたまったら
お寺に奉納してみたいなのやってて。
ご飯を食べて、写経をして、散歩してっていう
その日課のリズムが、なんかこう、
自分の足場になってるんですよね。
足場みたいなのって、自分の生活にあるから。
自分の生活をいかに確固たるものにするかって
すごく大事で。
そういうことがあるから100歳でも
凛とした精神を保てているように思います。
体調悪かったりとかいろいろなことで、
揺らぎもやっぱり人間には
あると思うんですけど、
そういう足場があると
揺らぎがあってもね、
戻ってこられる。
ほぼ日
毎日変わらないリズムで行動することで
足場ができる?
志村
変わらないリズムもですが、
外の世界と関係なく自分の‥‥。
ほぼ日
ああ、自分と向き合う時間。
志村
向き合う時間がやっぱりいるっていうか。
僕も以前はそれほど必要だと思ってなかったんですけど。
ふくみさんも日課とか、
自分に何か課すタイプじゃなくて、
自由に過ごしているのかなと思ってたんですけど。
機(はた)に乗っていた頃は、
それが日課だったんですよね。
機に乗れなくなったときに、
次に自分のあたらしい日課っていうか、
毎日やることが写経やデザインすることに
なっていったっていうことですよね。
年をとると意識的に生きていくっていうことが
しんどくなってくる、
ぼーっとしていたいって、いう気持ちが
どっかで出てくるんでしょうけど。
祖母は絶対そういうの嫌なんですよね。
意識をぼんやりさせることが。
ほぼ日
おおー。
吉水
素晴らしい。

△吉水まどかさん。 △吉水まどかさん。

志村
だから100歳とは思えないですよね。話してても。
吉水
写経も10年ぐらいってことは90歳から。
そこから新しいことを始めて、
日課にできるっていうのもすごい。
志村
写経じゃなくても、
生活の中に自分が毎日取り組むことがあることがね。
料理とか何でもいいと思うんですけど。
何か自分が向き合える時間っていうのがないと
気持ちがなんかもう
いろんなところに移ろってゆらいで
大変なんじゃないですかね、
祖母の日課は自分を保つ秘訣なんでしょうね。
ほぼ日
自分を保つ。
意識しないとできないってことなんですね。
志村
そうですね。あと、まあ、若い頃から機織りをして、
織物はけっこう体力がいるので。
たぶん大丈夫なんですよね。
心身が鍛えられているというか。
ほぼ日
全身運動ですよね。
吉水
そうだ。足も動いてるなあ。
志村
みなさん、機織りでなくてもいいので、
手仕事を家で少しやったら
体にも、精神の安定にも、
ほんとはいいのになって思ったりもします。

2024年9月30日に100歳の誕生日を迎えた志村ふくみさんと
志村昌司さん。 2024年9月30日に100歳の誕生日を迎えた志村ふくみさんと 志村昌司さん。

ほぼ日
ところで、
はじめて志村ふくみさんのことを知る方たちに、
紹介をしていただきたく‥‥。
志村
一言で言うのは難しいですよね。
糸井さんの表現を借りるとすると、
「ひょいと向こう岸に渡る女」って。
「はじめての志村ふくみ」展のときに
言っていただいたのをすごい覚えてて。
たしかに、ふくみさんは悲観して、
ずーっとじっとしているってことは
まずないですよね。
ひょいと飛んで、
どんどん先に行きますよね。
とても人生に前向きな人
なのかもしれませんね。
それはすごい思います。
いろんなことがあっても、
どんどんどんどん
新しく自分で開拓していって。
なんかつまずいたと思ったら、
そのつまずいたことが
新しい展開になっていました、
みたいなことがよくあります。
80歳のときにね、うつっぽくなって、
機(はた)に乗れなくなったときがあって。
そのときに小裂のコラージュをしていって。
新しい作品世界をつくりました。
もともと波瀾万丈の人ですし。
2歳で養女に出されて東京に行って。
中学のときに上海に行って、とか。
また戻ってきて
実母から出生の秘密を打ち明けられるとか。
で、結婚して離婚してとか、
ものすごい変化が大きかった人だと思いますけど、
そこがマイナスにならずに、
自分の成長の糧になっていったっていうのはすごい。
あと、打てば響く人って言われてたそうです。
若いときに。なんかいろんな人に言われたことが
ちゃんと響くっていうので、
柳宗悦さんとか黒田辰秋さんとか、
よき出会いが多かったみたいですね。
ほぼ日
滋賀県立美術館では
志村ふくみさんの作品を
ものすごい間近で見せていただいて。
すごく力強いなって思いました。
なんかこう湧き出てくるエネルギーが
一枚一枚すばらしいなと。
繊細な部分と大胆な部分あって、
緻密できっちりしていなければ、
織れないなあとも思いました。
志村
そうですね、緻密というか、
ふくみさんの場合は
自由で大胆という感じですね。
大胆というのは
例えば、色をぼかしていくときに
普通だったら、
AからBって色に移るときに、
だんだんAの色を薄くしていって
Bを濃くするっていうような
発想になりがちなんですけど。
ふくみさんの作品をよく見たら
全然違うCの色とかDの色とか入ったりとか、
まあ、飛んでるいるんですよね、
志村
ふくみさんが最高の作品だと思っている
「秋霞」を織るときに、
木工作家の黒田辰秋さんから、
「破調の美を求めよ」というようなことが書いてある
ハガキが来たらしいんですね。
それを機の横に貼っていたそうで。
意味わかりませんよね、
「破調の美を求めよ」って。
ふくみさんはそのとき30歳ぐらいでしたし。
その破調っていうのは、
ある種の数学的な規則性とかではなくて、
むしろその規則性を破る
なにかなんでしょうね、
不完全の美というか。

△「秋霞」 志村ふくみ 1958 染料:藍 △「秋霞」 志村ふくみ 1958 染料:藍

ほぼ日
予定調和しない。
志村
しないんですよ。
自然っていうのはそうなんだっていう話なんですね。
自然っていうのは
本当は繰り返しがなく、不規則なんだけど
全体で見ると非常に調和している世界なんですけど。
そういう、ある種の規則性を破っていくようなものを
恐れずに大胆に入れていく。
ですけど、普通は怖いから、そういうのって。
破調って言って、ほんとに破れていって
収集つかなくなることはあるんですけど。
なんか破れているけど
全体として見たら非常に美しい調和になってる
っていうところが真似できないっていうか。
だから、ふくみさんはよく
「大胆にね」ってよくみんなに言っていますよ。
「大胆にね」っていうのは、
まあこの破調のことじゃないかなと思うんですけどね。
閉じたところでずーっとやってるより
ちょっと破けたところがないと、
外に行けないんじゃないですかね。
だから、滋賀県立美術館の作品展を見て
あらためて、
「ああ、なんかすごい飛んでるな」って思いました。
全然違う色が入ってるんですよ、ほんとに。
ほぼ日:はああ。
志村
やっぱり自分の人生を
美にささげるみたいなところが
ちょっとあるんじゃないですかね。
自己犠牲的な感じじゃないんですけど。
自分の人生を守るというよりかは、
何か自分の人生をもっと大きなものに
ささげていくって
気持ちがあるんじゃないかな。
お兄さんの小野元衞(おのもとえ)さんが
そういう人だったんですよね。
夭折の画家ですけど、
美に純粋に生きたいっていうことで、
戦前の‥‥なんて言うんですかね、
情熱的に美に生きた人みたいな。
そういう激しい人を知っているので。
今みたいな穏やかな時代でも、
ふくみさんのなかには
そういう情熱っていうか、
炎が残っているんじゃないですかね。
だから、人生、守りに入っていることは
全然ないですよね。
よくあるじゃないですか、人生設計して、
老後はゆっくりみたいな考え方。
ほぼ日
あります。
志村
ふくみさんは、
老後がない人かもしれませんね。
ほぼ日
老後がない人!?
志村
はい。老後っていうことばを
ふくみさんから聞いたことないかもしれませんね。
ほぼ日
そうですか。洋子先生もそうですか?
志村
母も老後はないんじゃないですか。
ほぼ日
ずっと現役。
志村
そうですね。
仕事をしないのがいやというか、
生活の一部じゃないですかね。仕事がね。
仕事をとったりとか、ありえないじゃないんですかね。
ふくみさんにしても母にしても。
仕事がない生活っていうのが。ありえないですよ。
‥‥考えたことなかった。
やっぱりありえないです。
あの2人に仕事とったらどうなるんだろう。
日々、持て余すと思います。仕事なかったら。
ほぼ日
はあ。
志村
ちょっとエネルギーが‥‥。
ほぼ日
あ、エネルギーがおふたりとも多くて。
ずっと現役。それはすばらしいですね。
志村
あははっ。

(つづきます。)

2024-11-19-TUE

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    100の彩ノ種
    IRO NO TANE

    2024年11月22日(金)~12月1日(日)
    11:00ー19:00 ※11月25日はおやすみ
    TOBICHI東京