特集「編集とは何か」第2弾は、
福音館書店『たくさんのふしぎ』編集長の
石田栄吾さんの登場です。
小学生向けの「科学絵本」をつくる過程で
石田さんが向き合ってきた、本当の出来事。
それらは、どんな物語よりも物語的で、
子どもたちの世界を肯定する力が、あった。
石田さんに聞く「物語+編集」の話。
ゆっくり、たっぷり、うかがいました。
担当は「ほぼ日」の奥野です。

>石田栄吾さんのプロフィール

石田栄吾(いしだ えいご)

1968年、神奈川県生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒業後、福音館書店入社。出版管理部、「たくさんのふしぎ」編集部、「こどものとも」第一編集部、「母の友」編集部を経て、現在「たくさんのふしぎ」編集部に在籍。担当した主な絵本に、『お姫さまのアリの巣たんけん』『アマガエルとくらす』『絵くんとことばくん』『古くて新しい椅子』『カジカおじさんの川語り』『雪虫』『スズメのくらし』『貨物船のはなし』『みんなそれぞれ 心の時間』『宇宙とわたしたち』『家をかざる』『一郎くんの写真』(以上「たくさんのふしぎ」)、『くものすおやぶんとりものちょう』『ぞうくんのあめふりさんぽ』『くもりのちはれ せんたくかあちゃん』『みやこのいちにち』『そらとぶおうち』『だるまちゃんとやまんめちゃん』『いっくんのでんしゃ』などがある。

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第1回 「一郎くんの写真」のこと。

──
2019年9月号の「たくさんのふしぎ」は、
『一郎くんの写真』という作品で、
これがもう‥‥めちゃくちゃ感動的でした。
石田
ありがとうございます(笑)。

──
出征していく兵隊さんへ向けて、
近所のみんなで寄せ書きした「日章旗」を、
第二次大戦当時、贈っていたと。
で、あるときに
中央に「一郎くんへ」と書かれた日章旗が
現代のアメリカで発見され、
その「贈られ主」である出征兵士・
「一郎くん」とは誰なのか、
寄せ書きした人の氏名などから探しあてた
ノンフィクションですけれども。
石田
はい。
──
もともと東京新聞に連載されていたものを、
石田さんが読んで、
書いた記者さんに依頼して絵本にした‥‥。
石田
あの、人からよくあきれられるんですけど。
──
はい。あきれられる?
石田
わたし、新聞が大好きなんです。
新卒のときには、
信濃毎日新聞の入社試験を受けたくらい、
とくに地方紙が好きなんですが、
読んでいるのも、昔から東京新聞でして。
──
ええ。
中日新聞社が発行する、関東の地方紙。
石田
横浜から巣鴨の間の通勤電車の行き帰りも、
ずーっと読んでるんですが、
今日は「2018年5月」の新聞なんです。
──
‥‥‥‥‥‥‥えっ?
石田
はい、新聞が大好きなので、
かならず毎日「隅から隅まで読む」んです。
昔はきちんと、リアルタイムで、
その日の新聞は
その日のうちに読んでいたんですけれども、
子どもができてバタバタしたりして、
ちょっとずつちょっとずつ、遅れていって。
──
え、えええーっ‥‥(笑)。
石田
結局、いまは3年2ヶ月遅れで読んでいて。

──
ホントだ‥‥そんな人、はじめて(笑)。
じゃあ、配達されたけど、
まだ読んでいない新聞というものが‥‥。
石田
はい。わたしの部屋は、それでいっぱい。
未読の新聞で埋まっています。
──
ひゃあ‥‥3年2ヶ月も前の新聞‥‥を、
いま読むと、
いったいどういう気持ちになるんですか。
石田
いろんな思いが去来します。
このころはコロナもなくて、
志村けんさんもお元気だったなあ、とか。
──
ああ‥‥。
石田
わたしは、東村山音頭などで
志村さんに大笑いさせていただいた世代。
志村さんの
「わかっているのに、笑える」ネタって
子どもにとっての絵本と同じなんです。
子どもって、お気に入りの絵本を
何度も何度も「読んで」と言いますから。
──
ああ、志村さんは「絵本」だったのか。
はああ‥‥で、すみません、新聞の話です。
石田
はい、申しわけございません(笑)。
──
つまり何年か前の東京新聞を読んでいて?
石田
はい、そうなんです。
その『一郎くんの写真』の絵本を出したのは
2019年でしたが、
依頼したときは1年半くらい遅れていました。
──
えっと、1年半前の新聞の連載記事を読んで、
「絵本にしたい!」と思って、
その記事を書いた記者さんに依頼をした、と。
石田
なので‥‥最初ご連絡を差し上げたときにも、
わたし、
ずいぶんと「怪しまれて」いたそうなんです。
──
何でいまごろ、と?(笑)。
新聞を読むのが数年遅れていまして‥‥と、
正直に言えば言うほど怪しいです(笑)。
石田
そうそう、そうなんです(笑)。
で、これが、その連載のコピーなんですけど。
全8回だったかな、
いわゆる「日章旗」がアメリカで見つかって、
持ち主である「一郎くん」を探す過程を、
中日新聞浜松支局のチームが書いていました。
そのなかに、
のちに著者となる木原育子さんもいたんです。
──
ええ。

石田
ただ当時は‥‥当時と言っても
厳密には連載から1年半後の当時ですけれど、
毎日、興味深く読んではいたんですが、
連載が終わったとき、
絵本にするのは難しいだろうと思ったんです。
──
どうしてですか。
石田
連載では「一郎くんとは、どこの誰なのか」が、
最終的に判明するわけですが、
戦争で一郎くんが亡くなったようすを知る人が、
どこにも見つからなかったんです。
つまり、子ども向けの本ですから、
その主人公にあたる人物がどうなるのか‥‥
そこの収まりがつかないと、
絵本としては成立させるのは難しいだろうと。
──
なるほど。事実に即していたとしても、
ラストに当たる部分が曖昧だと、
絵本にすることは難しい‥‥んですね。
石田
主人公がどうなったのかが、わからないので。
だから、諦めてはいたんですけど‥‥
それからしばらくして、
別の記事がちっちゃな扱いで載ったんです。
それは、著者の木原さんが、
どうしても見つけることができなかった
一郎くんの写真を探し続けていて、
それがようやく見つかったという記事でした。
──
後日譚的な感じで?
石田
ええ、その記事を読んで「絵本になる」って。
一郎くんの最期はわからないんだけれども、
木原さんが諦めきれず
親戚宅にうかがったら、
ずっと開けていなかった仏壇のひきだしから、
一郎くんの写真がハラリと落ちてきた、と。
その記事を読んで、
もう、すぐさま東京新聞にお電話をしました。
──
オチの部分が、あとから掲載されたわけで、
じゃあ、その記事を見落としていたら‥‥。
新聞を、毎日隅々まで読んでいたからこそ、
うまれた絵本ってことですね。
石田
そうなんです。
──
1年半後とはいえ、毎日毎日。はああ‥‥。
石田
記事を読み飛ばしてたら本にならなかった。
こういうことがあるから、気が抜けない。
実は、その後日のオチの部分の記事は、
もともとは
東海地方の中日新聞に載せるためで、
東京の誌面には、
当初は、載らないはずだったそうです。
──
そうなんですか。
石田
でも当時の上司の方が、
いい記事だから東京にも推薦してみるって。
それで、東京新聞にも、
何日か遅れて掲載されたそうなんですよね。
──
すごい‥‥運命さえ感じます。
でも、まさしく編集者のお仕事だなあって、
うかがっていて思いました。
新聞記事を絵本にしたわけじゃないですか。
つまり、ある素材の伝え方を変えて、
まったく別の読者に届けている‥‥わけで。
石田
ええ。
──
どんなふうに依頼をしたんですか?
石田
木原さんにこの件をお願いするとき、
もし、この記事を
子ども向けの絵本に描きなおしてくれたら、
子どもたちに
3つのことを伝えられると思います‥‥と、
お話ししました。
──
3つ。
石田
ひとつは、新聞記者の仕事について。
事件を取材して記事を書くだけが、
新聞記者の仕事じゃないんだよ、と。
──
実際、こうして絵本になってもいるわけで、
新聞記者の仕事の幅が伝わりますね。
石田
そして、2つ目は「母親の思い」について。
読んでいただくとわかりますが、
一郎くんのお母さんは、
死してもなお、
我が子の生きていた証を残そうとしていた。
──
はい、そうですね‥‥。
石田
そして、3つ目。
写真が見つかった場面‥‥つまり、
仏壇からハラリと写真が落ちてきたという
木原さんの描写を読んだとき、
わたしは、
一郎くんとお母さんにとっての戦争が、
このとき、ようやく終わったんだなあって、
そんな気がしたんです。
──
なるほど。

石田
仏壇のひきだしが、
誰かに開けてもらうのを待っていたような、
そんな気がした‥‥というか。
つまり、過去へ遠ざかっていったものでも、
実はまだわたしたちの近くにいて、
隣り合わせに生きているんじゃないかって。
そういう感覚を
子どもたちに伝えられるんじゃないかと
お伝えしたら、
十分すぎるほどに応えてくださったんです。
──
新聞記者の方‥‥に限らずだと思いますが、
媒体に文章を掲載する段階では
「これだ」ってところまで推敲していると
思うんですけど、それを
「ちがう感じで、もう一回」というのって、
けっこう難しいオファーですよね。
そこも「手腕」なのかなと思ったんですが。
石田
その点、ほとんど苦労はありませんでした。
木原さんの才能のおかげです。
ただ、新聞記者さんなので、
最初は原稿が縦書きで新聞調だったんです。
それを絵本向けの言葉に変換していく、
その部分のお手伝いは少し、しましたけど。
全般的に、苦労はなかったですね。
──
絵は、沢野ひとしさん。
石田
はい、そこはもう最初から決めていました。
この話を絵本にするなら、
絶対に沢野さんじゃなければダメだなって。
じつは若いころに‥‥
沢野さんを怒らせてしまったことがあって、
ドキドキしたんですけど(笑)、
でも、快く引き受けてくださいました。
本当にうれしかったし、
絵本にとっても、この上ないことでしたね。
──
なぜ「絶対、沢野さんに」と?
石田
シリアスなテーマでも、重苦しくならずに、
あくまでさらりと、
文章とつかず離れずで描いてくださるので。
この作品には適任だと思いました。
──
新聞連載と絵本とで、
基本的には
同じ出来事を描いているわけですけど、
力点の置き方だとか、
何かを変えたところはあったんですか。
石田
もし、あるとすれば‥‥
さっき申し上げた「3つ目」の部分ですね。
つまり、最後のところで、
一郎くんとお母さんにとっての「戦争」は
このときやっと終わったんだと、
そう思ったんですが、
そのことは、著者の木原さんも当然、
無意識で、思っていただろうと思うんです。
──
ええ。
石田
なので、その部分については、
こちら側からサジェスチョンをしています。
──
つまり新聞連載には、その一文はなかった?
石田
ええ、なかったんですが、
お話して、その一文で締めてもらいました。
ただ、これは、
すべての本で同じことが言えるんです。
つまり、絵本を書いたことのない科学者に、
『たくさんのふしぎ』に
原稿を書いていただくときというのは、
われわれ担当編集者とのやり取りのなかで、
「新しいこと」を、
ひとつは「発見」してほしいと思っていて。
──
なるほど。
石田
子どもたちにわかりやすく説明するために、
「当たり前だと思っていたこと」も
あらためて掘り下げてみると
「ああ、こういうことだったのかあ」って、
そんな気づきもあるようなんです。
だから、少なくともひとつは、
「新しい発見」をしてもらえたらいいなと。
──
そう思って、作家さんと向き合っている。
石田
はい。

──
あの、最後の最後のところで、
それまで見つからなかった一郎くんの写真が
仏壇からハラリと落ちてきますよね。
でも‥‥本当にうわーっと思ったのは
ここからだったんです。
つまり、その写真の裏に
「たいせつ」って書いてあったんですよね。
石田
ねえ。
──
お母さんの字で。
石田
そう。「中田一郎 たいせつ」って。
──
このお話は、
事実に基づいたドキュメンタリーですけど、
どんな映画より物語的だと感じました。
どんな物語にも負けない、物語性があると。
石田
そうですね、はい。そう思います。

2021-08-16-MON

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    石田栄吾さんが編集長をつとめる
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    「黒部の谷のトロッコ電車」、
    8月18日(木)~8月31日(火)が、
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    ぜひ、親子でのぞいてみてください。
    ちなみに、特設サイトで知りましたが、
    今年度(令和2年度)だけでも、
    22もの『たくさんのふしぎ』作品が
    小学校の国語の教科書に
    掲載されているそうなんです。すごーい!