特集「編集とは何か。」第7弾は
「ファッションと編集」。
1990年代「裏原」に端を発する
東京発のストリートブランドから、
誰でも知ってる
世界のラグジュアリーブランドまで、
幅広く扱ってきた
『honeyee.com』の創刊編集長・
鈴木哲也さんにうかがいました。
ちなみに鈴木さんは、
この記事の担当「ほぼ日」奥野の
雑誌『smart』時代の大先輩。
もう20年くらい前、
撮影の現場で、真夜中の編集部で、
ときに怒られたりしながら(笑)、
雑誌の編集を教えていただきました。
鈴木哲也(すずき・てつや)
1969年生まれ。株式会社アップリンク、株式会社宝島社を経て、2005年に株式会社ハニカム設立に参加。同時に同社の運営するwebメディア『honeyee.com』の編集長に就任(後に株式会社ハニカム代表取締役も兼任)。2017年に株式会社ハニカム代表取締役並びにwebメディア『honeyee.com』編集長を退任。現在は企業、ブランドのコンサルティング、クリエイティブディレクションなどを行う。
- ──
- がぜん「マルタン・マルジェラ」という人に
興味が湧いてきたのですが、
ご本人って、いまは何をしているんですかね。
- 鈴木
- 引退後、表舞台からは、
一切、姿を消したってことになっているよね。 - でもこんど、マルジェラ本人が全面協力した
ドキュメンタリー映画が、
日本でも公開されるみたいだよ。 - ※『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』
(2021年9月17日公開)
- ──
- へえ‥‥。本人と関係なくつくられた映画なら、
何年か前にありましたけど。
- 鈴木
- 前に人から聞いた話では、
「古い宗教画の修復のボランティア」を
やっているって。
- ──
- ええっ、何ですかそれ!? すごい‥‥。
- 鈴木
- ぼくも、その話を聞いてシビれた。
カッコ良すぎる(笑)。
- ──
- そういう人が、洋服をつくっていたんだ。
- 鈴木
- 逆に、モードを突き詰めたら、
そこへ辿り着いたのかもしれないけどね。
- ──
- はああ‥‥。
- 鈴木
- モードの歴史に偉大な足跡を残したレジェンド。
- 足袋みたいに足の指の先が割れたブーツも、
エルメスのクリエイティブディレクター時代の
ストラップを二重に巻く腕時計も、
マルジェラが「発明」したものだから。
発表時は「斬新なデザイン」とされたものが、
のちに「クラシック」となったわけでしょう。
これはすごい。相当にすごい。
- ──
- いまさらですが‥‥本当ですね。
- 鈴木
- 戦略的だったり、野心的だったり‥‥
という部分も、
多少はあったかもしれないけれど、
やっぱり、純粋に
美的感覚の突出した人だったんだと思う。
- ──
- そういう類稀な人が、洋服をやっていた。
- 鈴木
- マルジェラって革新的とか革命的とかって
当時よく言われていたけど、
マルジェラのクリエイションって、
どれだけコンセプチュアルであっても、
モノとしてのユニークさだけじゃなく、
人が着たり、身につけたりすること‥‥が、
前提になっていると思うんだよね。 - 一方で、アバンギャルドというか、
エキセントリックなデザインを信条とする
デザイナーって、
モードの世界には一定数いるけれど、
なかには
「この人の目指すクリエイションは、
服である必要があるのだろうか?」
と思うこともあって。
- ──
- そこまでいったら、
服じゃなくてもいいんじゃないか、と?
- 鈴木
- そういうタイプのデザイナーのショーを見ると、
以前、蓮實重彦さんが、
映画監督の
(アンドレイ・)タルコフスキーについて
「偉大な芸術家として尊敬はするが、
映画以外の何かを信じているような感じがする」
って、
淀川長治さんとの対談のなかで言っていたのを、
思い出すんです。
- ──
- すごいけど、「それって映画なの?」と。
- 鈴木
- それとは別に(ジャン=リュック・)ゴダールが、
「わたしが撮っているのは常に“映画”だ。
わたしは“映像作品”を撮ったことは、一度もない」
みたいなことを言っていて、たしか。
- ──
- おお、そうなんですか。
- 鈴木
- ようするに、ゴダールの場合は、
あれだけ難解というか、実験的というか、
要は、どれだけ一般的な映画と違っていても、
それは映画的な感性やテクニックの
極端なあらわれなんだと思うわけ。 - 映画が好きすぎて、ああなったというか。
ちょっと違うかもしれないけど(笑)。
- ──
- いや、わかります。
- 鈴木
- だから「マルジェラ=ゴダール」とかって
言いたいわけでもないんだけど、
つまり、マルジェラは、
あくまで
ファッションデザイナーとしての感性と
テクニックによって、
あの難解で実験的なクリエイションを
生み出したと思うんですよ。
- ──
- ファッションから横溢していく可能性を
つねに孕んでいそうに見えるけど、
あくまで
ファッションの文法にのっとっている。 - つまりは「洋服である」‥‥と。
- 鈴木
- 逆にどんなに優れたクリエイションであっても、
「服であること以外の何か」を
つくろうとしてるように見えるデザイナーには、
やっぱり共感できないんだよね。 - それが
「偉大な芸術家」の作品であったとしても。
- ──
- 鈴木さんは、編集者じゃなく、
評論家って道も、あったんじゃないですか。
- 鈴木
- いや、それはない。
- ──
- そうですか?
- 鈴木
- 評論を書くような知性も根気もないから。
- 何かを見たり聴いたりすると、
ちょっと思いつくことがあるという程度の話で。
何かについて文章を書くとしても、
自分よりふさわしい人が先に思いつくし。
その意味では、ぼくは編集者が合ってたと思う。
世の中にはとにかく「本を出したい」って人も、
いるみたいだけれど。
- ──
- 鈴木さんは、そうじゃなかった?
受け手としての感性が優位だったんですか。
- 鈴木
- そうだと思う。
- 自分の書いたものを読んでも、
読者としては、どこか物足りないなあって
気持ちになることが多いから。
- ──
- 「受け手としての自分」が厳しいんですね。
「筋金入りの読者」だったから。
- 鈴木
- いつまでたっても、
読者としての自分の方が上位にあるのかも。
- ──
- ただ、メディアを通じて発信されたものは、
すべて「表現」だと思うんです。 - インタビューにしても、記名原稿にしても。
何であれ「伝えたもの」には、
誰かの意図や解釈が含まれてしまう意味で。
- 鈴木
- そうだね、たしかに。
- でも、何かを「伝える」よりも前に、
「伝えたいと思えるもの」に出会うことが、
編集者としては重要だと思うんだよね。
- ──
- なるほど。
- 鈴木
- 何かを「伝える」ために、
それにふさわしいものを探しに行こう‥‥
というのは、
本来は「順番が逆」だと思うんです。
- ──
- まずは「おもしろいモノやコト」があって、
それを「じゃ、伝えよう」がメディア。
- 鈴木
- おもしろいと思う何かを見つけることから、
編集者の仕事は、はじまると思ってる。
- ──
- ひとつ、『smart』という雑誌は、
裏原のブランドと一緒に大きくなっていった、
そういう面があったと思うんです。 - つまり、おもしろいもののおもしろさ‥‥を
増幅するような役割を担っていたし、
原宿の路地に大行列ができたりしたことにも、
少なからず責任を負っていたというか。
- 鈴木
- うん。
- ──
- そういう「メディアの特性」‥‥については、
どう考えてらっしゃいますか。
- 鈴木
- どこまでいっても「付属物」だと思ってるよ。
- メディアが、1を10にすることはあっても、
0を1にすることはできないでしょう。
- ──
- そこはあくまで、そうなんですね。
- 鈴木
- だから、あの裏原ブームのころって、
ある意味で、雑誌づくりは簡単だったと思う。 - 「お、いいじゃん」って思えるようなモノが、
そこらじゅうに転がっていたから。
- ──
- ああ‥‥たしかに。
- 鈴木
- でもいまは、ファッションや音楽にも、
新しい価値観が生まれにくくなっているよね。
- ──
- それは、どうしてなんでしょう。
- 鈴木
- ひとつにはやっぱり、
商業化しすぎちゃっているからじゃないかな。 - いまのぼくらにとっての
インターネットの本質って、
需要と供給のマッチングの精度を
別次元にまで高めたところにあると
思っているんだけど。
- ──
- と、おっしゃいますと?
- 鈴木
- ネットが
ここまで世界を覆い尽くしてしまう前は、
ファッションでも音楽でも、
人々の「欲しいもの」って、
そこそこ不透明だった気がするんですよ。
- ──
- ああ‥‥そうかもしれないです。
- 鈴木
- いま、あるいは、ちょっと未来に
何が求められているかが不透明だったから、
クリエイターたちも、
「こうじゃないか」「いや、こっちだろう」
「今度は、こういうのだったら?」
って新しいアイディアを出せたんだと思う。 - その結果、はじめは反応のなかったモノも、
しばらくしてから、
カッコいい、おもしろいってことになって、
ブレイクしたりね。
- ──
- それも「先」が見えすぎてなかった、から。
- 鈴木
- でも、いまは、
「あなたのほしいものはこれですね」って、
かなりの精度で先に教えられてしまう。 - で、そういう「適切な解」が、
つくり手の側にも共有されてしまったら、
そこから大きく逸脱するモノは、
なかなか、成立しにくいのかなあと。
- ──
- なるほど‥‥。
- 鈴木
- 「いまいち自信ないけど、おもしろいかも」
とか
「ひょっとしたらカッコいいんじゃない?」
みたいなものは、
世の中に出せなくなってるんだと思います。 - 何をするにも
「間違い」の許されない時代になってる。
- ──
- ゆらぎのようなものの介入する余地が、ない。
- 鈴木
- いまのアーティストって、
ブレイクすると次も同じような曲を出すよね。
- ──
- そういう傾向って、海外でもそうなんですか。
- 鈴木
- そうだと思う。作品ごとに
スタイルをガラッと変えるアーティストって
誰か挙げられる? ほとんどいないと思う。 - それも「これをやったら、ウケるぞ」だとか、
「自分のファンはこれを望んでいるんだ」
ってことがわかりすぎるからだよね、きっと。
- ──
- つくり手としては楽しいんでしょうか。
- 鈴木
- つくり手にとっての「楽しさの種類」が、
変わってきてるのかもね。 - 受け手側をいかに驚かすかよりも、
すぐに「いいね!」ってリアクションを
得ることの方が
モチベーションになる‥‥というのは、
想像がつくけど。
- ──
- そうか。
- 鈴木
- 闇雲に見えない何かと戦うような表現って、
やりようがないんじゃないかな、いま。 - とにかくみんな、
ビジネス的なリスクをとりたがらないよね。
「売れてることがカッコいい」が
世の中のスタンダードになってしまってる。
- ──
- どうしたらいいんですかね?(笑)
- ‥‥というか、
どうにかしたほうがいい問題、なのかなあ。
- 鈴木
- そうだね、それってよく言えば、
ファッションも音楽も映画も
「民主化している」ってことでもあるしね。 - だって、昔は
「センスの特権階級」みたいな人たちが
「カッコいい」を決めてたわけだから。
パリのモードって、そういうものでしょう。
- ──
- そうですね、はい。
- おしゃれの王様、おしゃれの貴族‥‥
みたいな人たちが。
- 鈴木
- だから、芥川賞なんかも、
いまだに審査員が集まって決めてるけど、
ああいうスタイルが、
いまの世の中にマッチしてるかどうかは
疑問だよね。 - ぼく自身は、文学の価値って、大衆の支持や
商業的成功とは別だと思っているから、
審査員が、
自分のプライドを賭けて選ぶのが正しいとは
思っているけど。
- ──
- 時代は、そっちじゃない方向へ動いてる。
- 鈴木
- 民主的である=多数派の好みが重んじられる、
というのは、
ようするにビジネスに直結するからでしょう。
- ──
- ああ、そうですね。
お金を払う人は多ければ多いほどいい、と。
- 鈴木
- つまり、ビジネスの論理に、
民主的というイメージが利用されてるんだよ。 - それは、ファッションや音楽以外のアートや
カルチャー全般にも、
当てはまることなんだろうけど。
- ──
- たしかに、かつては「ほしいもの」って、
もう少し得体のしれないものだったかも。
- 鈴木
- そうでしょ。
- ──
- でも、原宿に行けば、
きっと何かほしいものが見つかるって
思っていたし。 - どんなスニーカーなのかわからないのに、
もっと言えば、
その日、
本当に発売されるかもわからないのに、
みんなで大行列していたわけですもんね。
- 鈴木
- 昨日まで「ダサッ」って思ってたものが、
今日突然カッコよく思えて、
明日には欲しくてどうしようもなくなる、
みたいなことが減ってるんじゃないかな。
- ──
- あった‥‥そういうこと‥‥。
- 鈴木
- そんなふうに
自分の価値観を揺さぶってくれるものが、
ぼくには
「おもしろいもの」だと思えるんだけど。
(つづきます)
2021-09-23-THU
-
オンラインサロン「RoCC」で、
90年代東京カルチャーを描く。
現在、鈴木さんは
ウェブメディア「Ring of Colour」が主宰する
オンラインサロン「ROCC」で、
90年代東京カルチャーについてのエッセイ
「2D (Double Decade Of Tokyo Pop Life)」
を執筆中とのこと。くわしくは、こちらから。
なお、オンラインサロン「RoCC」は、
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藤原ヒロシさんや
梶原由景さんとも交流できる場所だそうですよ。
ご興味あったら、アクセスしてみてください。 -
<取材協力>
PRETTY THINGS
東京都世田谷区駒沢5-19-10
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