工藤将成(くどう・まさしげ)
本名、工藤芳洋(くどうよしひろ)
昭和51(1976)年、群馬県桐生市生
埼玉県入間市出身
入間市立東町小・中学校卒
平成7(1995)年、埼玉県立所沢北高等学校卒
福島県福島市、藤安正博「将平鍛刀場」に入門
平成15(2003)年、「将平鍛刀場」独立
平成16(2004)年、
日本美術刀剣保存協会 新作刀展覧会 初出品
〈太刀 刀の部〉努力賞一席 新人賞
平成17(2005)年、桐生市に「将成鍛刀場」を開設
日本美術刀剣保存協会 新作刀展覧会
〈太刀刀の部〉優秀賞 三席
平成18(2006)年、日本美術刀剣保存協会
新作名刀展 〈小脇差短刀の部〉努力賞 一席
平成21(2009)年、
愛知県名古屋市熱田神宮において、
「刀剣並技術奉納奉賛会」の依頼により、
神前にて小太刀を鍛錬製作し、奉納
平成26(2014)年、
ロシア連邦モスクワ市において太刀を鍛錬、製作し、
当作品を日本美術刀剣保存協会ロシア支部に寄託
後にロシア武道連盟に寄贈
平成28(2016)年、前橋市東照宮において
啓蒙のための公開製作
令和3(2021)年、日本美術刀剣保存協会
現代刀職展 〈太刀刀の部〉優秀賞 三席
〈短刀剣の部〉努力賞 一席
イギリス公共放送
BBC SPORT 2020 TOKYO OLYMPICのための
テレビCM撮影
※日本抜刀道連盟全国大会において、
当作を用いた剣士が二、三段実技の部にて優勝
令和4年(2022)年、BS日テレ
「発見!ニッポンの神業スペシャル!」出演
- ──
- 一振りつくるのに1年かかることも
あるとおっしゃってましたが、
どういうペースでつくるものですか。
- 工藤
- 注文を受けたぶんをやっていくので
ペースは決まってはいません。
- ──
- 順番待ちしてるお客さんも、いたり。
- 工藤
- はい、申しわけない限りですけど、
数年の単位で、
待ってくださっている方もいます。 - 刀づくりには、どうしても
時間がかかることもありますけど、
作り直しもあったりするので。
- ──
- それはつまり、工藤さん自身で見て、
これじゃダメだってことですか?
- 工藤
- そうですね。
- ──
- 納得いかない刀は、渡せない‥‥と。
- そうやって、注文の刀をつくりつつ、
売り物じゃなくて、
自分で好きにつくる刀もあったり?
- 工藤
- はい。注文の合間に
試作的なものをつくってみたりとか。 - 作品としてつくることもありますし、
研究用としてつくることもあります。
- ──
- 新たなチャレンジ、みたいなことも、
刀づくりにはあるんでしょうか。
- 工藤
- いまやっている仕事も、
鍛錬の方法がはじめてなんです。 - 最終的に刀のかたちになったときに、
地鉄(じがね)の表面を、
木目になぞらえて表現をするんです。
「板目、杢目、柾目」とかって。
- ──
- ええ。
- 工藤
- 板目や杢目というのは、
いわゆる木材の板のような模様です。
柾目の場合には、
鋼の積層断面を見せていくんですね。
- ──
- 柾目ということは、木目がまっすぐ。
木の中心を切ったときに、
表面に出てくる模様のことですよね。
- 工藤
- そう。筋状、ヘアライン状の模様を
出すんです。刀剣の世界では
「柾目鍛え」というつくり方ですね。
鎌倉時代、奈良の保昌という流派に
見られた肌合いです。 - その後は江戸時代にも見られますが、
現代では、ほとんどやる人がいない。
今回、ご注文をいただいたので、
いま、はじめてチャレンジしてます。
- ──
- いつもとちがうわけじゃないですか。
難しいですか、やっぱり。
- 工藤
- 難しいですね。
- 層を重ねていく部分が開いちゃうと、
もう刀としてダメなので。
そうとう難しいだろうなと思います。
- ──
- でも、成功すれば、
あんまり見たことのない感じになる。
- 工藤
- かなり特徴的ではありますね。
- 鎌倉時代の大和の保昌か、
江戸時代の仙台国包(くにかね)か、
の二択くらい、作例は少ないです。
- ──
- 以前、東博の国宝展に行ったときに、
最後が「刀剣」だったんです。
そこで、まじまじと、
あんなにたくさんはじめて見まして。
- 工藤
- ええ。どうでしたか。
- ──
- 黒を背景に刀剣が飾ってありました。
- とくに「切先」に見入って‥‥
いや、魅入られてしまったんですね。
こんなにも尖っているのか、と。
- 工藤
- なるほど。
- ──
- まるで空間を切り裂いているような、
そんな感じがしました。
静かに展示されてはいるんだけれど、
緊張感と存在感が半端なくて。 - これは、
惹きつけられる人が多いのもわかる、
と思いました。
- 工藤
- やはり「なぜ、美しいか」というか、
そもそも、刀というものが
こういうかたちをしているのって
「なにゆえに」という疑問もあるし。
- ──
- なにゆえに?
- 工藤
- 不思議なんです。
それこそ「切先」なんて、
あんなふうなかたちじゃなくたって
刀としての機能は果たせるはず。 - 何らかの美意識がそこになければ、
あんなデザインにはしない。
何せややこしいんですよ、切先って。
打つときも、研ぐときも。
技術の差がはっきり出る箇所なんで。
- ──
- 日本刀の切っ先って、
何面かで構成されていますよね。
- 工藤
- そう。面が複雑に入り組んでいます。
- 世界的に見ても、めずらしいと思う。
西洋の剣なんかの場合は、
1面でのっぺりしたものだったり、
せいぜい、
両刃といって片側2面だと思います。
日本刀のように
いろんな面で構成されている刀って、
ちょっと変わっていると思う。
どうしてここまで、
手の込んだことをやるんだろうなと。
- ──
- それこそ「美意識」ですかね。
- 工藤
- それがないと、あのかたちに
行き着く理由が思い当たらないです。
- ──
- あらためて、刀剣の魅力って、
どういうところにあると思いますか。
- 工藤
- 専門的な見方を訓練していないと、
一般的には
なかなか伝わりにくいのですが、
名品であればあるほど、
深みのある美しさ、奥行を感じます。 - そもそも、
名刀の基準が「美しさ」のみなので。
武器としての強さは関係なく。
- ──
- あ、そうなんですね。
- 工藤
- 切れ味などは考慮されてはいません。
- 東博の国宝展などに並んでいる刀は、
この世界の人間なら
誰でも知っている、
極上の第一級品ばっかりでしたけど、
その前に立つと、心から感動します。
自分は「つくる立場」なので、
「どうして、これほどまでに美しい、
素晴らしい刀をつくれるんだろう?」
という疑問が渦巻いてきます。
- ──
- 国宝展のあの場に並んでいたものは、
年代的には、やっぱり‥‥。
- 工藤
- ほとんど、
平安か鎌倉時代のものだったはず。 - 貴族社会から武士が台頭してきた、
その時点から、
どんどん「極まっていく」んです。
つまり武士が権力を持って、
たくさん刀をつくらせたところに、
その理由があると思うんです。
- ──
- 平安・鎌倉時代に名品の多い理由。
- 工藤
- やはり、刀鍛冶への需要が、
急激に高まったからなんだと思う。 - 美しくつくったというより、
たくさんつくられるようになって、
その中に、まれに、
美しくできあがったものがあった。
- ──
- ええ。
- 工藤
- あまたある刀剣のなかで、
ああ、これは実際に使うに惜しい、
「いいもの」だと、
多くの人に思われるものが、出た。 - そういったものは、大切にされた。
そうでないものは戦で消費された。
その淘汰の連続の中で、
現代まで残ってきたものですから、
まず「間違いない」です。
- ──
- なるほど。
- 工藤
- あるていど、時代が下ってくると、
個別の注文で
手間をかけたものもありますけど、
平安・鎌倉の最初には、
そういう意識でつくってないはず。
- ──
- そうやって時代に選ばれた刀剣が、
大事にされて、受け継がれて、
現代の博物館に入ったりしている。
- 工藤
- 数年、手入れせずほっとかれると、
錆がきて、
その錆を落とすために、
刀身を研ぎ減らしてしまうんです。 - でも、名品と呼ばれる刀の中には、
800年くらい前のものであっても、
ほとんど
研がれていないものもあるんです。
いったい何人の人たちが、
引き継いできたのか知りませんが、
絶え間なく大切にされた証拠です。
- ──
- つねに、丁寧に手入れされてきた。
数百年もの間、
いっときもほっとかれることなく。
- 工藤
- 一度も不幸な目にあっていない。
一度も粗雑な扱いを受けてない。 - 名品と呼ばれる刀の中には、
そういうものが少なくないです。
(つづきます)
2024-05-09-THU
-
撮影:武耕平
イラスト:大桃洋祐
-
本連載のかっこいい写真は、
工藤さんの地元である群馬県桐生市の写真家・
武耕平さん撮影によるものなのですが、
その武さんが、工藤さんはじめ
桐生在住の職人さんたちの写真展を
開催なさるそうです。
90歳を超えてなお槌を振るい続け、
先日、残念ながら急逝された野鍛冶・
小黒定一さんの写真も見られるようです。
会場は武さん主催のTAKE PHOTOギャラリー
(群馬県桐生市錦町2-8-1)。
入場料は無料、
会期は5月2日(木)〜7月21日(日)ですが、
そのうち「木曜日から日曜日までの営業」
とのこと。(つまり月・火・水曜はお休み)。
桐生近郊のみなさん、ぜひ。
自分も実家が近いので、
どこかで、かならずうかがおうと思ってます。