こんにちは。ほぼ日の永田泰大です。
オリンピックのたびに、
たくさんの投稿を編集して更新する
「観たぞ、オリンピック」という
コンテンツをつくっていました。
東京オリンピックでそれもひと区切りして、
この北京オリンピックはものすごく久しぶりに
ひとりでのんびり観戦しようと思っていたのですが、
なにもしないのも、なんだかちょっと落ち着かない。
そこで、このオリンピックの期間中、
自由に更新できる場所をつくっておくことにしました。
いつ、なにを、どのくらい書くか、決めてません。
一日に何度も更新するかもしれません。
意外にあんまり書かないかもしれません。
観ながら「 #mitazo 」のハッシュタグで、
あれこれTweetはすると思います。
とりあえず、やっぱりたのしみです、オリンピック。

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7スノーボードクロス

乗り越えると変わるから。

 
スノーボードクロスという競技がある。
4人の選手が同時におなじコースを走る、
ファミコンの『エキサイトバイク』の
リアルスノボ版、みたいな競技だ。
昨日、行われた女子スノーボードクロスで、
アメリカのジャコベリス選手が優勝して金メダルを獲得した。
ゴールの瞬間、アナウンサーが
「トリノの決勝で転倒して以来‥‥」と説明するのを聞いて、
ああ、あの人か! とぼくは思った。
もう16年も前だけど、忘れられなかったんだよなぁ。
リンゼイ・ジャコベリス選手は、
2006年のトリノオリンピックに出場し、
その大会から正式種目となった
スノーボードクロスの決勝戦まで勝ち上がった。
そして、勝てば金メダルという大事なレースの後半で、
2位以下を大きく引き離して独走状態になった。
ところがゴール直前でバランスを崩して転倒し、
後続に一気に抜かれて金メダルを逃した。
と、これだけなら、よくある話だ。
いや、そんなにはないかもしれないが、
まあ、オリンピックにはときどきあるタイプの悲劇だ。
ジャコベリス選手にとってはまさに悪夢だけど、
「ゴール前の転倒」というだけでは
ぼくはその選手を16年も憶えていたりはしない。
ぼくがその場面をある種、
いましめのように記憶にとどめているのは、
ジャコベリス選手が最後のジャンプ台のところで
軽く身体をひねってボードをつかむ、
いわゆる「グラブ」のトリックを入れたからだ。
いってみればそれは、
勝利を確信した者が見せるアピールプレイで、
余裕の表れであるし、観客へのサービスでもある。
スマブラでいえば十字ボタン下だろう。
ジャコベリス選手はゴールへ向かう
最後のジャンプの途中でボードをつかみ、
ちょっとおしゃれな自分をアピールして、
そして着地に失敗した。
あとはゴールに向かうだけという
まっすぐなコースでコケて、
立ち上がろうとする間に抜かれて金メダルを逃した。
多くの人は「あ、やっちゃった!」と思った。
そのときの彼女の心境を思うとつらいだろうなと思う。
それでぼくは肝に銘じた。
もしもぼくがスノーボードクロスの決勝で
2位以下をぶっちぎりで引き離したとしても、
絶対に最後のジャンプでアピールしたりしないと。
いや、スノボやったことないんですけどね。
ジャコベリス選手のジャンプ失敗は
オリンピックにおける不幸のサンプルとして、
けっこう多くの人に記憶された。
逆にオリンピックの幸運のサンプルといえば、
2002年ソルトレークシティオリンピックの
ショートトラックスピードスケートに出場した
スティーブン・ブラッドバリー選手だろう。
もう、彼の超ラッキーな伝説は
有名なのでいちいち記さない。
ちなみにブラッドバリー選手はあまりに幸運だったため、
母国オーストラリアで自身が切手のモチーフになった。
いいなあ、ぼくもほしいな、その切手。
スティーブン・ブラッドバリーとなるとも
リンゼイ・ジャコベリスとなることなかれ、
とはこのことである。
さて、そのジャコベリス選手は
その後もオリンピックに出場し続け、
なんとトリノから数えて
5大会連続でオリンピックに出続けた。
ちなみに戦績は、
バンクーバー5位、ソチ7位、平昌4位という感じで、
なかなかメダルに手が届かない。
そんな彼女が、ついに北京で金メダルを手にしたのだ。
最後のジャンプ台を超えるときは、
重心を下げてものすごく丁寧に飛んでいた。
つまり、ジャコベリス選手は、
16年前のあのトリノの悪夢を乗り越えた。
なんだかぼくのなかのトラウマまでなくなるようだった。
急に大きな話になるけど、
スポーツが観る人に勇気を与える、
なんてきれいごとのようだけど、
ほんとうにあるんだよな、とぼくはしばしば思う。
それは、すばらしいプレイに感動して元気が出た、
というようなことでももちろんいいんだけど、
もっと具体的で現実的なことだとぼくは思っている。
たとえばアスリートたちは、
ジャコベリス選手がそうしたように、
過去の思い出すのもしんどいようなことに
しつこく食い下がり、何年も何年もかけて、
とうとう乗り越えたりする。
ぼくがおもしろいなと思うのはこの瞬間で、
乗り越えた瞬間、乗り越えられた失敗や悲劇やトラウマは、
その人にとって「なくてはならないもの」に昇華する。
だって思い出してほしい。
乗り越えたアスリートたちはしばしばこう言う。
「あの失敗があるからいまの自分がいる」と。
それは、精神論じゃなくてただの事実なのだと思う。
もちろん、「乗り越える」という、
すさまじくハードな条件つきではあるのだが、
ともかく乗り越えた瞬間にそれが
「なくてはならないもの」になるなんて、
不思議で素敵でおもしろいことだと思う。
ていうかそもそも失敗なんてせずに、
最初から優勝しちゃえばいいんじゃない?
と思うかもしれない。ぼくも一回そう考えた。
しかし、オリンピックを長く観ていると、
誰かがあっさりとった金メダルよりも、
しつこく食い下がって乗り越えたことのほうが、
長く、深く、憶えられているものだと気づく。
なんなら乗り越えられなかったことでさえ、
すばらしい記憶となって観る者に残る。
たとえばオリンピックのフィギュアスケートで
あなたが忘れられない場面はなんですか? 
と質問したとき、多くの人は
ソチオリンピックの浅田真央選手の
フリーの4分間を思うのではないか。
あの演技は、メダルとまったく関係がないのだ。
あの演技は、すさまじく「乗り越えた」からこそ、
みんなが忘れられずにいる。
伝説の名試合の大逆転も、
先制された逆境を「乗り越えた」からこそ、
人々を興奮させたのだ。
注釈しておくけど、ぼくが言いたいのは、
「アスリートみたいに失敗を乗り越えよう!」
というストレートなことではない。
失敗や過去や傷や「やらかし」が、
乗り越えることで自分の礎になるという、
いってみれば科学みたいな事実に感心しているのである。
やらかしてしまったことを忘れようとしたり、
気にしないようにしたりしようとしても、
たぶんそれは無理だ。
だって、忘れられないし、気にしちゃうから、
失敗だし、過去なのだから。
だとすれば、たとえ道が長く果てしないとしても、
乗り越える方向に向かって歩いたほうが、
忘れようとするよりぜんぜんラクなんじゃないか。
だって、16年かけてもいいわけだからね。
ぼくはそんなふうに思う。
北京2022オリンピックはここまでつらい場面が多い。
でも、大丈夫だろう、とぼくは思う。
いつか乗り越えれば、これはなくてはならないものになる。
そしてアスリートという人たちは、
乗り越えようとするしつこさのかたまりなのだ。
そういうことを、スポーツからぼくは得ている。

(つづきます)

2022-02-10-THU

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