bonobosという、
スゴ腕ぞろいのメンバーのなかで、
ボーカルの蔡さんは、
もともと画家を目指す青年でした。
趣味でやっていたバンドで
デビューが決まり、
プロのバンドマンとなってからも、
しばらく自覚はなかったそうです。
でも、あるときから、
「自分の仕事はこれだ」と決める。
バンドがあったからこそ、
自分は歌ってるんだ‥‥とも言う。
蔡忠浩さんのバンド論、全6回。
担当は「ほぼ日」の奥野です。

>蔡忠浩さんのプロフィール

蔡忠浩(さいちゅんほ)

1975年うまれ、関西出身。bonobosのボーカル&ギターで作詞曲担当でもある。酸いも甘いも、多少包み隠しながら書く、人間味のある歌詞と、言葉にならない気持ちを音に変換させ、音楽を作り、奏でる。ここ数年はバンドやソロ活動の枠を越え、舞台の音楽監督や映像への音楽提供なども行う。

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第1回 ゴレンジャーに似ている‥‥?

──
大げさに「バンド論。」と掲げてますが、
ようするに、
バンドって不思議だな、
あれって何なんだろうということを、
バンドのみなさんに聞いて回っています。
ああ、バンド。そうですね。
戦隊モノじゃないですかね。
──
いきなり答えが出ちゃった(笑)。
どっちも人数、5人とかでしょ。
それぞれに個性があって、
きちんと役割が割り振られていますし。
昔でいう『ゴレンジャー』とか。
バンドって、
あれに似てるなあとか思ったりします。
──
レッドはレッドで情熱的で、
ブルーはクールでイケメンで。
イエローはカレーが大好き(笑)。
──
その「バンド観」は(笑)、昔から?
ずいぶん前‥‥3人でやってたとき、
ある人から
キミら『サンバルカン』みたいだなって
言われたことがあったんです。
──
スリーピース時代のエピソードですか。
おもしろいですけど(笑)。
ちなみに『サンバルカン』って、
戦隊モノの中で、
毛色がちがって衝撃的だったんですよ。
──
ああ、3人しかいませんしね。
それもそうなんですけど、
途中でレッドが変わったりするんです。
たしか、物語の中では、
NASAの宇宙飛行士になるといって、
アメリカへ行っちゃう。
──
え、そうでしたっけ?
その後に、新しいレッドが来るんです。
──
ボーカル交代じゃないですか、それ。
そうなんですよ。斬新すぎる展開で。
だから、バンドたるもの、
同じメンバーで続けるべきだっていう
バンドマンもいると思うけど、
ぼくは、あんまりそうは思ってなくて。
──
バンドの話に戻ってきた(笑)。
バンドを戦隊モノとして捉えるならば、
『サンバルカン』を見てみろ、
レッドさえいなくなることもあるんだ、
そう思ってやってます(笑)。
──
でも、入れ替わったばかりのレッドに、
違和感ありますよね、ファン的には。
最初はね。ぼくも違和感ありましたし、
レッド自身も空回りしてました。
しばらくして馴染んでいくんですけど、
子ども心に
「新しいレッド、がんばれ!」って。
──
ああ‥‥信頼を獲得していく物語でも
あったっていうことですね。
デヴィッド・リー・ロスのあとに来た
サミー・ヘイガーみたいな。
ヴァン・ヘイレンのことを
あまり知らないまま言ってますけども。
いや、でも実際そうですよ。
前のほうがよかったっていうファンは、
絶対、いますもんね。
──
自然に話をバンドに戻しますが(笑)、
そういう蔡さんが、
はじめてバンドを組んだっていうのは。
高校‥‥いや、浪人中です。
大阪の美術の専門学校に通ってるとき。
秋に制作物の発表会があるんですけど、
その学校の講師の先生たちが、
20代とか30代とかで、まだ若くて、
音楽の好きな人たちばっかりで。
──
ええ、ええ。
クラス対抗で、
ライブやろうってことになったんです。
ぼく、昔ピアノを習ってたんで、
キーボードやりまーすって手を挙げて。
それが、はじめてのバンド体験。
──
最初は、キーボードだったんですか。
でも、世のバンドマンとくらべると、
少し遅くないですか、はじめるのが。
いや、ぜんぜん遅いと思います。
そもそもは、
美術の大学へ行きたいと思ってたので、
ひとりで絵を描いたり、
マンガを読んだりするのが好きな子で。
──
そうだったんですか。画家志望。
音楽よりも、絵のほうが、ぜんぜん。
音楽を聴くことも好きだったけど、
グループを組んで、
みんなで何かをするということ自体、
苦手だったんです(笑)。
──
でも、バンドをやってみたら‥‥。
めちゃくちゃおもしろかったんです。
しびれるくらいに、楽しくて。
──
いいなあ、青春だ。
その後、美術の大学に入るんですけど、
高校の友だちとバンドを組みました。
とりあえず、
みんなが知ってる音楽からやらないと、
しっちゃかめっちゃかになるんで、
最大公約数ということで、
ビートルズのコピーをやっていました。
──
じゃ、当時からボーカルで?
いや、あの、ビートルズって、
ボーカルが何人もいるじゃないですか。
──
ああ、そうか。
そのとき、ギターとピアノがいたので、
ぼくはベースにしました。ポール役。
ひたすらバンドスコアをなぞりながら、
みんなでコーラスを練習して。
だから、ようやく20歳の手前で、
バンドをやりはじめたという感じです。
──
ゆくゆくはプロになろうとか‥‥。
ぜんぜん。1ミリも思っていませんよ。
だって、そんな実力ないし、
ただただ、楽しいからやっていただけ。
──
何が楽しかったんですか。バンドの。
突き抜ける気持ちよさが、あるんです。
音楽‥‥ロックバンドって、とくに。
当時、音のつくり方もわかんないから、
きったない音だったと思うけど、
とにかくでっかい音を
ドカーンと鳴らしたときの気持ちよさ。
あれが、忘れられなくて‥‥。
──
突き抜けるような、気持ちよさがある。
下手は下手くそなりに爆音を出したら、
大いなる錯覚なんだけど、
ビートルズに近づけたような気がした。
気持ちいいなぁ、バンドって‥‥って。
奥野さんもギター弾くんですよね?
──
いや、ぼくはただのアマチュアなので。
それは関係ないですよ。
気持ちよさって、同じじゃないですか。
プロだろうがアマチュアだろうが、
もう、あの、形容しがたいゾクゾク感。
──
そこで、ハマってしまわれた‥‥と。
ただ、それでも、
まさか「音楽を職業にする」だなんて、
思ってませんでしたけどね。
──
その時点でも、まだ、絵描きに‥‥。
はい、なりたいと思っていましたよ。
バンドで稼ごうだなんて、
もう考えたことすらなかったですし、
大学では彫刻だったんですが、
作家になりたくて、
ボロいモルタルのアパートを借りて、
そこで絵を描くのが日常でした。
──
じゃ、バンドはやりはじめたけれど、
これで食ってくなんて思いもよらず。
趣味ですよね。大好きな趣味です。
平日は、アトリエで絵を描いたり、
美術の勉強をしていて、
週末の夜中に
当時のメンバーがバイトしていた
スタジオで練習してただけ。
──
そんな生活を‥‥。
1年半くらい、続けていましたね。
週末の夜中の12時に
メンバーの車に乗っけてもらって
スタジオに入って‥‥。
──
ライブは?
やってました、ちょろっとだけど。
大阪城の近くに
森ノ宮という駅があるんですけど、
そのあたりにある
青少年会館みたいな施設の中の
大きなスタジオを、
やっすい値段で借りられたんです。
──
ええ。
そこで、ライブをやっていました。
よかったら見に来てよって、
高校のときの友だちに連絡したり。
でも、それくらいの感じです。
──
定期的に練習してライブもやって。
でも、プロになる気配は‥‥。
ぜんぜん、なかったんです。

(つづきます)

2021-02-01-MON

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    写真:田口純也

    協力:酒場FUKUSUKE