展覧会「はじめての森山大道」を
つくるにあたり、
森山大道さんの人と写真について、
いろんな人に話を聞きました。
60年、街を撮り続けていること、
世界で尊敬されていること、
第一級の文章家でもあること‥‥。
いろんな事実や逸話を聞きました。
その中にひとつ、みなさんが
口を揃えて言ったことがあります。
それは「大道さんは、やさしい」。
60分ほどのインタビューは、
そのお人柄が伝わってくるような、
そんな時間でした。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>森山大道さんのプロフィール

森山大道(もりやまだいどう)

1938年大阪府池田市生まれ。
デザイナーから転身し、岩宮武二、細江英公の助手を経て、1964年にフリーの写真家として活動を始める。
1967年『カメラ毎日』に掲載した「にっぽん劇場」などのシリーズで日本写真批評家協会新人賞を受賞。

展覧会歴
1999年 サンフランシスコ近代美術館(メトロポリタン美術館、ジャパンソサイエティー(ニューヨーク)巡回)
2011年 国立国際美術館
2012~13年 テートモダン(ロンドン)で行われたウィリアム・クラインとの合同展
他、国内外で大規模な展覧会を開催。

受賞歴
2012年 国際写真センター(ニューヨーク)Infinity Award功労賞
2018年 フランス政府よりレジオンドヌール勲章シュバリエを受勲
2019年 ハッセルブラッド国際写真賞

前へ目次ページへ次へ

第2回 憧れたのは、パリの街。

──
大道さんって、ちっちゃいころから、
街に‥‥荒野に、
ドキドキする子どもだったんですか。
森山
とにかく、街へ出るのが好きだった。
あまり友だちもいなかったし、
友だち付き合いも好きじゃなくてね。
──
あ、そうですか。
森山
孤独だったとは思わないけど、
それより一人が好きだったんだよね。
子どもだからお金もないし、
まだ、写真のことも知らなかったし。
とにかく、街が好きだった。
そこへ出さえすればドキドキできた。

森山大道『記録33号』より 森山大道『記録33号』より

──
当時は街に出て、カメラもなくて、
ドキドキしてた以外に‥‥
何を、してらっしゃったんですか。
森山
あてどなく、ただ、フラついていた。
それだけ。
そしてとにかく見る、そして感じる。
ぼくの家は父親がいわゆる転勤族で、
いろんなところを点々としていて。
小学校だけでも、
3回か4回は、変わっているんです。
──
転校生でらしたってことは、
存じ上げていましたが、そんなにも。
森山
そういう子どもは、どこへ行っても、
友だち付き合いというより、
街付き合いをするようになるんだね。
──
街と、付き合う。
森山
街へ出るのが好きで、歩くのが好き、
見るのが好きだった、とにかく。
だから、そのままなんだよ。いまも。
──
カメラを手にしただけで。
森山
そうだね。
当時は、手には何も持ってなかったし、
写真にも興味なかった。
ただただ街をフラフラ歩きまわってる。
そういう子どもだったし、
それは今も、根本的には変わってない。
──
どうして、
そんなに街がおもしろいんでしょうか。
森山
街、外界、荒野って、
あらゆるもので構成されてるじゃない?
風景だけでもなく、
モノだけでもなく、
人間だけでもなく。
──
はい。
森山
おもしろさも辛さも感動も悲しみも、
あらゆるものが混濁して混沌としてる。
そういうところ。
──
それで60年間も毎日、街へ出て。
森山
そうだねえ。
いまはもう、
すっかり写真を撮る人間になってるし、
当然「撮る」んだけど、
本来は「街に出ていく」が先なんだよ。
──
写真は「後」だった。
森山
だって、街へ出るとさ、
あらゆるものがおもしろいわけだから。
──
でも、毎日毎日、同じ街を歩いて‥‥。
森山
うん、結局ぼくはこれまでの60年間、
同じ場所をフラフラしてきたでしょ。
そうしてる自分自身も、
そんなに大きくは変わるわけでもない。
でも、街がおもしろくなくなったとか、
つまんなくなったってことは、
まったくありませんとは言わないけど。
──
ええ。
森山
まあ、ない。
──
ない。
森山
街は、ずっと、おもしろかった。
カメラを持って歩いてりゃ、
その日は、終わっていくわけだけれど、
そんなことを60年も繰り返したのは、
やっぱり、
街が、荒野が、おもしろかったからで。
──
続けてこられたことが、証拠であると。
街の、荒野の、おもしろさの。
森山
そうじゃない?
──
街そのもののおもしろさもありながら、
今回、大道さんのことを
何人かの人にインタビューしたら、
みなさんそろって、
大道さんには「飽きない才能」がある、
と、おっしゃっていました。
だから、そういう部分もあるのかなと。
森山
体質だよね。
──
あ、飽きない体質(笑)。
森山
うん。
──
これまで新宿や池袋だけじゃなく、
パリ、ニューヨーク、ブエノスアイレス、
さまざまな国の荒野を、
さまざまに歩いてらっしゃいますよね。
国が違えば街も違うと思うんですけど、
何かを感じることはありますか。
森山
大きな街、小さな街、いろいろ歩いた。
でも、どこも大きくは変わらない。
──
あ、そうですか。街というものは。
森山
ぼくは、どんな国の街へ行っても‥‥
写真を撮りに行っているわけだけどね。
つまり、どの街へ行っても、
そこでやることは変わらないんだよね。
朝、ホテルで起きて、街へ出て、
どっかそのへんでコーヒーでも飲んで。
あとはただただ、カメラを持って
フラフラ、フラフラしてるだけだから。
──
パリでも、ニューヨークでも、
歌舞伎町でも、ブエノスアイレスでも。
森山
エッフェル塔を撮らなきゃとか、
自由の女神を撮らなきゃってことって、
ぼくには、ないから。
──
何々しないといけない義務は、ない。
森山
ない。とにかく荒野をフラフラしたい。
どこかへ行ってしまいたい、
その気持ちが、いまもずっと続いてる。
もちろん国が違えば、街も人間も違う、
細かいことはいろいろ違うけど、
だからといって、
写真が変わったりは、しないんだよね。
──
撮る「対象」も、変わりませんか。
森山
うん、自分のスタンスっていうものは、
ブラジルでも、
日本でも、大きくは変わらないと思う。
──
言葉が通じない街を
たった一人で歩いていたりするときは、
頭の中で、
いろんなことを考えそうですけれど。
森山
どうだろう。
ひとりでブツブツ言ってるだけだから。
──
あ、ブツブツと(笑)。
大道さんのエッセイ『犬の記憶』には、
とりわけ「パリ」に憧れがあったって。
森山
若いころ。10代の半ばくらい。
──
思春期のころ、遠く彼方のパリに‥‥。
森山
憧れた。
とにかく「パリだパリだ」と思ってた。
──
ニューヨークでも、ロンドンでもなく。
どうしてパリは、
そんなにも人をひきつけるんでしょう。
森山
どうしてだろうね。
──
アジェも、ブレッソンも。
ドアノーだって、ブラッサイだって。
森山
ぼくの場合は、自分の姉が、
『ひまわり』とか『それいゆ』とかを、
読んでいたのが大きかった。
それを見て、すっかり憧れたんだよね。
「自分もパリへ行ってみたい、
いつか行ってやる、
きっと夢のようなところにちがいない」
って、ずっと思っていたから。
──
女の子向けのファッション誌ですよね。
『ひまわり』とか『それいゆ』って。
森山
うん。昔のね。
──
戦後の色を失った時代の女性のために
中原淳一さんがつくった、
華やかでキラキラした夢のような雑誌。
森山
その夢のお裾わけをもらってたんだよ。
──
若き日の、大道さんが、
あの赤やピンクの眩しい雑誌を眺めて、
パリを夢見ていたとは。
森山
姉の部屋で片っ端から眺めてましたよ。
──
何だか意外で、おもしろいです(笑)。
森山
あ、そう?

(つづきます)

2021-05-11-TUE

前へ目次ページへ次へ