家で過ごすことが増えたいま、
充電のために時間をつかいたいと
思っていらっしゃる方が
増えているのではないかと思います。
そんなときのオススメはもちろん、
ほぼ日の学校 オンライン・クラスですが、
それ以外にも読書や映画鑑賞の
幅を広げてみたいとお考えの方は
少なくないと思います。
本の虫である学校長が読んでいる本は
「ほぼ日の学校長だより」で
いつもご覧いただいている通りですが、
学校長の他にも、学校チームには
本好き・映画好きが集まっています。
オンライン・クラスの補助線になるような本、
まだ講座にはなっていないけれど、
一度は読みたい、読み返したい古典名作、
お子様といっしょに楽しみたい映画や絵本、
気分転換に読みたいエンターテインメントなど
さまざまな作品をご紹介していきたいと思っています。
「なんかおもしろいものないかなー」と思ったときの
参考にしていただけたら幸いです。
学校チームのメンバーが
それぞれオススメの作品を
不定期に更新していきます。
どうぞよろしくおつきあいください。
no.24
『言葉と歩く日記』
多和田葉子
言葉が教えてくれる
広くて自由な世界。
『言葉と歩く日記』多和田葉子(岩波新書)
著者の多和田葉子さんは、22歳でドイツに渡り、
これまで40年近く日本語とドイツ語の両方で、
小説やエッセーなどの創作活動を続けています。
そんな彼女の作品には、
「言葉」についての問題意識がいつも横たわっています。
この『言葉と歩く日記』は、多和田さんが
「日本語とドイツ語を話す哺乳動物としての自分を観察し」
書いた、「一種の観察日記」です。
2013年の1月1日から4月15日まで、
一日も欠かすことなく、日々の出来事と、
そこから生まれてきた「言葉」をめぐる思考が
書き連ねられます。
ここで「言葉」は格闘する相手でもあり、
また、ともに生きる相棒でもあります。
文学が国境を超える形として
すぐに思いつくのは「翻訳」です。
たとえば日本文学は、英語など他の言語に訳されて、
日本からそれ以外の国に広がっていきます。
そしてもうひとつに、
「外国語で作品を書く」という形があります。
こうした「母語の外に出た状態」のことは
「エクソフォニー」(exophony)と呼ばれ、
多和田さんはエクソフォニーを代表する作家です。
エクソフォニー作家である多和田さんの視線は、
「母語の外に出た人」の視線です。
その視線で、わたしたちが普段何気なく使っている言葉を
あらためて見つめなおすとき、
そこには思いもかけない気づきが生まれます。
「母語を体系的に学習した人はいない。毎日飛んでくる言語体系の一体どういう場所に位置するのか全く知らずに、もちろん品詞などという概念もなく、ただ音として一つ一つ受け入れていったのだ。生きるということは言葉にさらされつづけるということであり、偶然が投げつけてくる言葉を新鮮な気持ちで受けとめ続けることで言語の瘡蓋(かさぶた)化を防ぐことができる。」
多和田さんは、考えることをやめた
紋切り型の言葉を「瘡蓋」と呼びます。
わたしたちは、毎日の生活で言葉を使いながら、
その行為があまりにも当たり前過ぎるため、
一つ一つを検証したりはしません。
そうするといつの間にかその言葉たちは、
血の通っていない塊になってしまうのでしょう。
言葉は考えるために欠かせないものなので、
その言葉が瘡蓋化していたら、
考えも瘡蓋のようになってしまう。
でも逆に、固まった言葉から自由になった時
そこには広い世界があるということです。
アメリカでの朗読と討論の催しに
招かれて参加した日の日記には
次のような感想が書かれていました。
「嬉しかったのは、(スペインの詩人)ロルカを専門とするスペイン文学の先生が、日本語は全く分からないけれど、日本語の詩の朗読からたくさんのものが伝わってきた、といってくれたことだった。」
わたしたちは、言葉は理解するものだと思っているし、
自分が話すときには、
相手に内容を理解してほしいと思っています。
でも言葉はもっと自由なものなのかもしれない。
この日の日記を読んだ時、そう思いました。
言葉には思っているよりもずっと力があり、
柔らかさがあるものなのではないか。
「理解する・される」ということからも、
もっと自由になっていいのではないか、と。
「そもそも朗読を聞くのは、離乳食をスプーンで口に入れてもらうのとは違う。全部全員に理解できるものだけ読んでいたら、せっかく集まってきた人たちのイマジネーションの最大公約数をなぞるだけになってしまう。(‥‥)
理解できない言語に耳をすます時、言語はメッセージを伝える使い走りであることをやめる。言語そのものについて考えるまれなチャンスである。」
このチャンスを
わたしたちは多和田さんの日記を読むことで
与えられています。
そもそもこの「日記」という形式が、
話の筋や、理解されるということや、
正しさの検証から開放された自由な形の体現であり、
それを選択したことも多和田さんの
ひとつのメッセージです。
「言語はわたしにとって体系ではなく、一種の『できごと』なのではないかと気づいた時、日記という形式がわたしにとっては言語について書き記すのにふさわしいのではないかと思った。自分の身に毎日どんなことが起こるか、予想できないし、操作もできない。誰に会うかは、相手が拒否しない限り、ある程度自分で決められるが、その人が何を言い出すかは予想できない。言葉は常に驚きなのだ。」
紋切り型の言葉に、
わたしたちは驚きを感じることはありません。
でも日常に溢れる言葉にも
じつは驚きの芽があることを、
母語から出て、母語を見つめる視線を通して
気がつくことができます。
それは、日本語→ドイツ語、でもなく
ドイツ語→日本語、でもない視線。
日本語→ドイツ語→日本語と、
矢印がひとつ多い視線です。
その眼差しをもつ多和田さんは、
文法や単語、音の響き、漢字や文字など
いろんなポイントから
言葉を解体し組み立て直し、言葉と戯れます。
そうすると、なんでもない言葉から
不意に新しい発見が生まれます。
たとえば、ドイツから日本に到着した日、
こんなふうに思考は連鎖していきます。
「羽田空港と浜松町をつなぐモノレールの駅名がわたしは好きで、以前それを取り入れて詩を書いたこともある。天空橋、整備場、昭和島、流通センター、大井競馬場前、天王洲アイル。どれも想像力を刺激する名前ばかりだ。脳の中で冬晴れの空に橋がかかり、金属が淋しく光り、昭和のにおいが島になって遠ざかり、シャッターが開いて運送者が次々流れ出てきて、それを追うように馬たちが駆け出し、テンノウズという不思議な図が浮びあがる。」
最短距離で言葉に触れるよりも、
遠回りをして、たくさんの思いを巡らせた結果、
見つめたその言葉はさらに豊かになる気がします。
そういう意味でも、ほかの言語を学び
視線の矢印を増やすことには
意味があるのかもしれないとあらためて思いました。
わたしたちは、勝手に言葉の意味を制限し
縛られることで、
目の前に広がる世界の豊かさも
手放しているのかもしれません。
言葉は思っているよりもずっと自由です。
それはとりもなおさず、世界は自由なのだということ、
自由に生きていいのだということです。
そのことを、この日記は教えてくれました。
自分の言葉で考えることが
「自由に生きる」ということなのだと。
「言語には『言葉通りの意味』という絶対安全な足場はないということ、それでも言語には無限の可能性があるのだということを若い世代にもっと伝えたい。(‥‥)
言語はべったりもたれるための壁ではなく、壁だと思っていたものが霧であることを発見するためにあるのだから。」
わたしも、次の世代への連なりの
ちいさな一部として
言語がもつこの無限の可能性を
言葉を尽くして伝えていきたい、そう思いました。
(つづく)
2020-05-20-WED