家で過ごすことが増えたいま、
充電のために時間をつかいたいと
思っていらっしゃる方が
増えているのではないかと思います。
そんなときのオススメはもちろん、
ほぼ日の学校 オンライン・クラスですが、
それ以外にも読書や映画鑑賞の
幅を広げてみたいとお考えの方は
少なくないと思います。
本の虫である学校長が読んでいる本は
「ほぼ日の学校長だより」
いつもご覧いただいている通りですが、
学校長の他にも、学校チームには
本好き・映画好きが集まっています。

オンライン・クラスの補助線になるような本、
まだ講座にはなっていないけれど、
一度は読みたい、読み返したい古典名作、
お子様といっしょに楽しみたい映画や絵本、
気分転換に読みたいエンターテインメントなど
さまざまな作品をご紹介していきたいと思っています。
「なんかおもしろいものないかなー」と思ったときの
参考にしていただけたら幸いです。
学校チームのメンバーが
それぞれオススメの作品を
不定期に更新していきます。
どうぞよろしくおつきあいください。

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no.35

『生物と無生物のあいだ』


福岡伸一

ウイルスという存在を
改めて考える。


『生物と無生物のあいだ』
福岡伸一 講談社現代新書 968円

13年ぶりにこの本を再読したら、
びっくりするようなことがありました。
「PCR検査」との再会です。
いや、正確にいうと、覚えていなかったので
「PCRとの遭遇」です。

2007年に刊行された『生物と無生物のあいだ』は、
科学者というより文学者を思わせる
「エピローグ」の文章の美しさや、
「動的均衡」という考え方の平易な説明などで
注目を集めてその年のベストセラーとなり、
いまも講談社現代新書の歴代トップ5にはいる
部数を誇るロングセラーです。

生物学者の間では知られた
考え方だったのかもしれませんが、
一般には広く知られていなかった(と思う)
「動的均衡」には、生物観・人生観を揺さぶられました。
かいつまんでご説明しますね。
ご存知の方は読み飛ばしてください。
生き物の細胞は常に新しいものと置き換わっている。
髪の毛や爪や皮膚が新しく生まれ変わるのは
実感できます。それと同じように、
身体のありとあらゆる部位、臓器や骨や歯でも、
絶え間ない分解と合成が繰り返されている。
にもかかわらず、外見的には
「同じ形=均衡」を保っている。
つまり、すべての原子は常に生命体の中を流れ、
通り抜けている。このくだりの福岡さんの筆致は、
何度読んでも示唆に富むものでありつつ、笑えます。

「よく私達はしばしば知人と久闊(きゅうかつ)を
叙するとき、『お変わりありませんね』などと
挨拶を交わすが、半年、
あるいは一年ほど会わずにいれば、
分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、
お変わりありまくりなのである。
かつてあなたの一部であった原子や分子は
もうすでにあなたの内部には存在しない」

在宅勤務や外出自粛が終わって、
久しぶりに知人に会えるとき、相手も自分も、
分子レベルでは「別の人」なのです。

最初にこの本を読んだときに印象に残ったのが、
この「動的均衡」だったのですが、
今回読み返そうと思ったのは、
4月3日の朝日新聞のコラムで福岡さんが
「ウイルスは生物と無生物の間に漂う奇妙な存在だ」
と書いていらしたからでした。
なるほど、と思って本書を再度手にしました。
「生物と無生物の間に漂う」とはどういうことか、
本書の大きなテーマですので、
ぜひ読んでいただきたいです。

では、今回、いちばんびっくりしたのは何だったか。
PCRです。PCRっていったい何だろうと思って、
調べてみて、私は5月7日の手帳にこう記していました。
Polymerase Chain Reaction=ポリメラーゼ連鎖反応。
そうか、何か「を」検出するのではなくて、
遺伝子を増幅する「方法」のことなのか、と
なんとなくわかった気になって、
それ以上の深追いはしませんでした。

ところが、この原稿を書こうと思って、数日前に
読み返したら、PCRの始まりが書いてあったのです。

「それは一九八八年のことである。
その年、私はアメリカで研究生活をスタートした。
春から夏にかけて、研究所内でも学会に出かけても、
出会う研究者はことごとくすべて躁状態になって
同じ三文字をうわごとのようにつぶやいていた。
PCR。ポリメラーゼ連鎖反応の頭文字である。
マンハッタン・イーストリバー沿いに立つ
私たちの研究室にも、パーキン・エルマー・シータス社
から発売された真新しいPCRマシンが導入された。
一見、何の特徴もない、電子レンジほどの
矩形の装置だった。しかし、それは小さな神棚のように、
研究室の一番よい場所に鎮座していた。(中略)
私は、シータス社のPCRキットの指示書に
したがって、小さなプラスチックキューブに
必要な薬品を調合し、それをPCRマシンに並べて
スイッチを押した。装置は鈍いうなり音を発して
運転を開始した。二十年近くがたとうとする今でも、
私は暗室で目の前に立ち現れた実験結果をありありと
思い出すことができる。紫外線に照らされて
青色に染まったDNAのバンドがくっきりと
浮かび上がっていた。私たちが一年以上もかかって
追い求めていた遺伝子がそこにあった。それを
PCRは一瞬にしてもたらしたのだ」

しかも、この画期的な装置を発明したのが
「変人」として知られたキャリー・B・マリス。
福岡さんが本書以前に翻訳された
『マリス博士の奇想天外な人生』のマリス博士です。
ドライブデートの最中にこの仕組みを思いつき、
それによってノーベル賞まで受賞して、
「科学界随一の一発屋」と呼ばれる人物です。
この本も読んでいましたが、すっかり忘れていました。
忘れるからこそ、もう一度発見できる。
忘却の効能ですね(と、自分を甘やかす)。

(つづく)

2020-06-04-THU

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