いよいよ、福岡・大濠公園能楽堂での
ほぼ日の学校スペシャルが本番を迎えます。
目玉は、カクシンハンのメンバーによる、
ダイジェスト版「マクベス」。
そしてほぼ日の学校は、
春には大宰府への修学旅行も計画しています。
起業が多く、人口も増加中で、勢いのある福岡。
そこに新たな仲間を求めて出かけるのを前に、
深町さんと糸井、河野が意見を交換しました。
深町健二郎(ふかまちけんじろう)
音楽プロデューサー。
小さい頃ビートルズの音楽に出会って
ミュージシャンを目指す。
学生時代は陣内孝則のバンド「ザ・ロッカーズ」と
親交を深める。
ロッカーズ解散後、ギタリスト谷信雄と友に
「ネルソープ」を結成。
解散後、福岡に戻り、
ソラリアプラザの
イベントプロデューサーなどを経て、現職。
テレビやラジオの出演も多い。
日本経済大学芸能マネジメントコース教授。
蔵田隆秀(くらたたかひで)
1975年生まれ 宮崎県出身。
大学卒業後、西日本鉄道㈱入社。
鉄道事業本部、広報室、都市開発事業本部などを経て
2017年7月から現職(We Love 天神協議会事務局長)。
音楽都市・福岡をプロデュースする
音楽プロデューサー
深町健二郎さんインタビュー
前編
封印した夢が別の形で戻ってきた
- ──
- 音楽プロデューサーをなさっていますが、
まずは、そこにたどりつくまでをお聞きしたいです。
東京で大学を終えて、福岡に戻られたんですよね?
- 深町
- 1986年、大学卒業と同時に戻ってきました。
父が病気をして、なんとなく不安になったんでしょうね、
家業を継ぐわけじゃないけど、
兄か私か戻ってきて欲しいと言われて、
どっちかというと私の方が
帰りやすいタイミングだったんです。
- ──
- タイミング……。
- 深町
- 東京ではずっと音楽をやっていて、
ちょうど次の段階にいけそうな
タイミングでもあったんです。
事務所からデビューの話をいただいたりして。
- ──
- ほぉ!
- 深町
- でもバンド全員を面倒みてくれるというのではなくて、
事務所が準備しているメンバーが一部いて、
そこに僕とギタリストをいれた
混合バンドとしてデビューさせたい、と。
- ──
- 苦しい選択ですね。
- 深町
- 一回、浮ついた気持ちになってしまったんです。
でも、それまで一緒にやってきたメンバーを
裏切って、でもないけど、彼らと離れてまで、
自分はデビューにこだわっていたのかと考えたとき、
なんかこう、ふっと冷めてしまったんですよ。
それで、どっちも止めよう、と。
元のバンドでやれれば良かったんですけど、
浮ついた自分への反省もあって、
一度自分のなかでリセットしようと思って
福岡に戻ってきたんです。
- ──
- ドラマみたいな展開。
それで、戻って何を?
- 深町
- バンドだけでは食えないから、学生時代
ずっと旅行会社でアルバイトしていたんです。
当時バックパッカーや『地球の歩き方』がブームになって、
そのためのディスカウントチケットとかを
販売している会社だったんです。
ちっちゃな旅行代理店なんで、
学生なのに半年間、香港駐在員をやったりして。
ちょうど、団体でなければ行けなかった中国に
香港経由で陸路なら安く入れるようになった時代です。
- ──
- 沢木耕太郎さんの『深夜特急』の世界ですね。
- 深町
- まさにそうです。
そういう経験があったので、
もしも自分が何か固い仕事をするなら、
旅行会社かなと思って、地元の西鉄旅行に就職しました。
- ──
- 何年サラリーマンされたんですか?
- 深町
- わずか2年3ヶ月(笑)。
それも理由があるんですけどね。
それまでは小さな会社で自由にやれたところも
あったんですけど、こんどは大きな会社ですから、
どこかの会社の慰安旅行のツアーコンダクターとか
バスツアーの添乗員とか、
意に沿わない仕事もありますよね。
いま思えば社会人としていい経験でしたけど。
くすぶっていても仕方ないんで、
自分なりにいろいろ企画してみようと思って、
当時まだあまり来日していなかった
ローリングストーンズを見にいくツアーとか、
地元プロモーターと縁ができて、
アーティストがツアーで移動するアテンドとか
航空券とか宿泊の手配とかするようになりました。
そして87年夏、熊本・南阿蘇の野外劇場アスペクタで、
佐野元春、渡辺美里、尾崎豊、The Blue Heartsらが
一堂に会する「BEAT CHILD」という
日本初のオールナイト・ロック・フェスティバルが
開かれたとき、全国から集まるお客さんのツアーを
組んだりして、自分なりに「やれたな」という
手応えはありました。
- ──
- なるほど。
- 深町
- でも、あるとき、そのプロモーターの方から
「こんどソラリアプラザという商業施設ができて、
福岡の町が新しく変わる。開館に向けて
イベントプロデューサーを募集するという
話がある。深町くん、ちょっとどお?」と
言われたんです。そりゃあ興味はあるし、
話は聞かせていただきたいと思いましたけど、
まさか自分が選ばれるとは思っていませんでした。
経験もバックグラウンドもないし。
ただ、せっかくだから話だけでも聞こうと思って
行ったら、案の定、関係者がいて
オーディションのような面接があったわけです。
サラリーマンは僕ひとりで、
他は広告代理店出身とか、プランナーとか……。
厳しいだろうなあと思っていたら、
一ヶ月後に電話があって「君にしたから」。
「え、まじですか?」って言いましたよ。
- ──
- バンドやっていらしたし、
音楽に詳しいし、実際に人や物を
動かしていたわけだから、
経験十分に思えますけどね。
- 深町
- いやいや、何も経験ないですよ。
まだ26になったばかりの若造ですよ。
だから、なんで僕だったんですかって聞いたら
「君がいちばん真っ白だったから」と
言われました。
新しい施設で、大胆なおもしろいことを
もしかしたらやるんじゃないかと
思ってくれたんでしょうね。
向こうも賭けだったと思いますよ。
- ──
- へええ。
- 深町
- それが僕の人生を大きく変えた転機でしたね。
だって、一回夢をあきらめて
福岡に戻ってきたんですから。
「もう音楽はないなあ」と、自分のなかでは
封印したような気持ちになっていた。
それが別の形で戻ってきたような、
もしかしたら自分のやりたいことが
そこにあるかもしれない、という
漠たる思いをそのときに抱きました。 - それまでは音楽のことしか知らない
音楽バカだったけど、
イベントプロデューサーというのは、
当然、文化芸術を広く知らなきゃいけない。
映画は好きだったけど、イベントプロデュースできる
知識は皆無に等しかったので、
そこから半年の準備期間に自分なりに勉強して、
どんなことができるのか考えました。
- ──
- その当時、福岡で何ができると思いましたか?
- 深町
- 僕には音楽という幹があったので、
まず福岡の特徴というと、僕らの先輩たちのすごさ。
井上陽水さん、チューリップ、甲斐バンド、海援隊、
70年代、ライブ喫茶「照和」を中心に
すごい人たちがいた。80年代には、
直近の先輩で陣内孝則さんのザ・ロッカーズとか、
ザ・モッズとか、後に「めんたいロック」といわれる
ひとつのシーンがある。
これは福岡にしかないものなんだな、
ということが少しずつわかってくるわけです。
こういうことを、福岡はもっと
表現していくことができるんじゃないか、と。
「のぼせもん」の風土
- ──
- 福岡出身のアーティストは多いですよね。
それって、土地柄と関係あるのでしょうか?
- 深町
- 歴史をさかのぼると、
博多祇園山笠とか「どんたく」とか
連綿とつづく伝統的神事やお祭りがあるわけです。
そういう、お祭り好きな気質、
「のぼせもん」といわれる、
楽しもうという気質があるんだと思います。
「のぼせもん」気質をつくったのは何かなあと考えたら、
やっぱり海外との距離感の近さがあって、
何でも受け入れる寛容な気質があると思うんです。
「なんじゃこりゃ」というものも排除しないで、
一回のみこんでみる。
一方で、「元寇防塁跡」があるように、
常に海外から攻められる危機感をもっていた
エリアでもあると思うんです。
そういうときは、うまく立ち回らなきゃいけない。
攻めてくるものがいれば、しのがなきゃいけないし、
おもしろいものがあれば、のみこんでみよう。
そういうオープンマインドが福岡の人にはある。
結果的にはそのオープンな気質が
人を「ファンな気持ち」にさせるベースを
つくっているのかなと思います。
- ──
- そんな中で、どういうイベントを
プロデュースされたんですか?
- 深町
- 僕がまかされた場所というのが、
吹き抜けのオープンスペースなわけです。
チケットを買って行くホールと違って、
広場みたいなもので、
イベントと「出くわす」場所なわけです。
ここで足を止めさせるには、
どんな仕掛けが必要だろうか、と
考えないといけない。
恵まれていたのは、スポンサーである
西鉄の予算が潤沢にあったこと。
バブルの時代ですから。
使うばっかりですよ。儲けなくていい。
その代わり僕のミッションは「話題をつくる」こと。
「あれ、おもしろかったよね」と
みなさんに言ってもらえる企画を立てること。
そこだけは、しっかり任務として命じられました。
3ヶ月に一回くらい、いわゆる有識者からなる
ソラリアイベントコミッティーに
アイディアを出して承認を受けないといけない。
そのための理論武装も、いい勉強になりました。
5年間やらせていただいて、おもしろい経験をしました。
- ──
- 印象に残るのは、どんなイベントでしたか?
- 深町
- ひとつは「キムさんのスーパーマーケット」。
福岡ってアジアに対する玄関口なんです。
ラジオをチューニングすれば
韓国の放送がクリアに入ってくるし、
海にはロシア語が書かれた漂着物がある。
人々の関心がまだ欧米に向いている時代に、
韓国の新進気鋭のファッションデザイナーや
建築家の作品を、美術展とはちがって、
スーパーマーケットに並んでいるもののように
混沌と並べてアジアを
身近に感じてもらう企画をやったら、
イベント大賞を受賞しました。
誰もやったことがなくて、
福岡でしかできなかったかもしれない、
そういうものができた感じはありました。
- ──
- おもしろそう!
- 深町
- もうひとつは、山笠ですね。
博多祇園山笠という神事があって、
最後に「追い山」が勇壮に町を駆け抜ける
お祭りですけど、「飾り山笠」という
高さ10メートル以上のきれいな山笠もあるんです。
当時、博多部でしか展示されなかった飾り山笠を
ようやく福岡部でも展示されるようになった
時代だったんですけど、
商業施設の中に展示したことはなかったそうです。
山笠は800年近い歴史がある神事ですけど、
最近の飾り山は現代的で片面に
テレビのキャラクターがついたりしている。
それはそれで子どもが喜ぶからいいんですけど、
元々のルーツを調べてみると、
裏がアニメじゃない、一体型の
どこから見ても美しい山笠の資料が見つかった。
しかも電線がない時代には高さ制限もなかった。
これを再現したらおもしろいだろうと思って
熱い企画書を書いて山笠の振興会に行ったら、
門前払いされました。
- ──
- え? どうしてですか?
- 深町
- 「お前らみたいな新参者が
簡単に参加できると思うなよ」みたいな勢いで
突っ返されました。僕らも諦めたくないから、
なんとか思いを伝えようと思って行くんですけど、
「これは神事だから、吹き抜けの上から
山笠を見下ろすなんてとんでもない」と言われました。
でも何回も足繁く通って、
「歴史ある飾り山笠を、ぜひみなさんに
見ていただきたいんです」と説明して、
ようやく僕らの本気度を理解してもらった。
半年以上かかったと思うんですけど、
「もうよか。お前たちやってみろ」といってくださって、
それがいまも続いています。
- ──
- よく諦めずに……。
- 深町
- 怖い物知らずでしたね。
失うものはなにもない若造やし。
相手は800年近い歴史がある振興会だけど、
とにかく、おもしろくて、
誰もやったことがないことをやるのに
命かけてましたね(笑)。
(つづきます)
2019-11-12-TUE
-
チケット販売のお知らせ
※椅子席は完売していますが、
好評につき、桟敷席を開放いたしました。日時:
2019年12月17日(火)
17:00開場、18:30開演、20:30終演
大濠公園能楽堂
(福岡県福岡市中央区大濠公園1番5号)出演:
木村龍之介、河内大和、真以美、岩崎MARK雄大
(以上カクシンハン)、
鶴澤寛也(三味線)、
深町健二郎(ミュージックプロデューサー)、
河野通和(ほぼ日の学校長)料金:
桟敷席:3,000円(税込)購入方法:
福岡市の「ブックスキューブリック」の
けやき通り店、箱崎店にてお買い求めください。